さきゅの後輩、現る!

 いきなり窓から侵入してきてまっぱだかになり、あげく縮んで3才児になったこいつが、ここに居座るようになってはや二週間。

 さきゅ❤ の愛(……悪魔のことで使うとなると、けっこう気が引ける単語だが、まあいいや)、愛称で、俺の恋人のみならず、大家のおじいちゃんおばあちゃん夫婦、道路挟んで向かいのタバコ屋のおじいちゃんおばあちゃん夫婦にかわいがられまくりのこの小悪魔はいま、ほぼ人間の幼児の平均的生活――即ち、規則正しく起きる、朝ごはん食べる、仕事に行く俺の恋人にいってらっしゃいする、おさんぽ、お昼食べる、気が向けば買い物つきあう、それかお昼寝する。おやつ、お絵かきとか、アニメのDVD見る。恋人帰る。夕ごはん食べる。ちょっと遊ぶ。お風呂入る。恋人に添い寝されながら、絵本呼んでもらう。で、寝る。で、また朝来る。朝起きる、一日が始まる。――という生活を送っている。


 おい! 男の精気はどうした、男の精気は!


 ここに来て二週間。すなわち、14days。時間にして336時間! 分に直せば、2万とんで160分! (秒は我ながら細かすぎると思うから、割愛)

 お前はただ食って寝て遊んでを繰り返しているだけじゃないか!

 まったく、悪魔の風上にも置けないやつだ!

 ……って、そんなこと考えてる俺も、無職のぐーたらニートだけど。

 でもでもっ! 愛する恋人のために部屋を整え、買い出しに行き、料理を作る分だけ、俺の方が健気で、働いてもいるはずだ……。

 そんな言い訳をしつつだらだら過ごす、働く人間のための休日、日曜日。

 恋人が、ふいにのたもうた。


「は? 公園?」


「そう。さきゅを連れて公園に行ってくれよ」

 そう言いながら、恋人はリュックサックの中に水筒やタオルやおやつを入れている。

「なんで?」

 水筒を入れようとしていた恋人の手が止まった。

「なんでって……」

 手が再び動き始める。恋人は当然のように言った。

「さきゅを遊ばせるためにだけど?」

 いや、それはわかる。

 公園とはずばり、朝は老人たちの憩いの場。昼は子どもが遊ぶ場所。

 夕方は甘酸っぱい初めての恋が展開する場所。

 そして夜は……。

 ここまででやめておこう。それより。

「なんで遊ばせなきゃなんないの?」

 恋人はさも当然のように言った。

「子どもはちゃんと遊ばせて体を作っていかなきゃいけないだろ。それに、さきゅもお友だちを作って、ちゃんと社交性も学ばせなきゃ」


 社交性……。

 こんな小さい頃から、人間って大変だなあ。


「で、お前も基本的にヒッキーだから。たまには太陽にちゃんと当たってもらおうと思って」

 ヒッキーって、ひょっとして、ひきこもりってこと?

 いやいや、確かに買い物とかご近所の目があるから、あんまり行きたがってはいないけどさ。でも、まったく出ないわけじゃないし、こいつのお洋服もちゃんと買いに言ったし。

 ……ぶっちゃけ、行きたくないんだよね。

 だって、俺は職がないだけで、ニートじゃないもん。


 俺はささやかな抵抗を試みる。


「お前が連れてきゃいいじゃん」

 正直、子どもを遊ばせるって、あんまりよくわかんないし。

「俺はこれから洗濯とか、掃除とか、いろいろやんなきゃいけないことがあるの! お風呂の排水溝も大分つまってきたから、パイプクリーンしなきゃだし」

「言えばやってやるよ。パイプクリーンくらい」

「言わなきゃやんないだろ。それがすでにダメなんだけど」

 自身の名誉のために言っておくが、俺は決して洗濯も掃除も下手なわけじゃない。

 こいつだって、そうまめなタイプじゃない。

 ただ。


「今日は徹底的に掃除したい気分なんだ。上から下まで全部」


 俺の恋人は月イチくらいで、スイッチが入るのだ。

 つまり、恋人のいう「上から下まで」を行うには、きっとさきゅと俺が邪魔なのだ。

 恋人の顔をあらためて見る。


 だめだ。

 きらきらしすぎてる。


 仕方なく俺は、さきゅを連れて家を出た。


 ――と、ここまでが俺とさきゅが公園に来ることになったいきさつだ。

 そして、アパートから歩いて15分ほどのここに来るまでの道すがら。

 俺は、気づいてしまった。


 こ、これはいわゆる公園デビューではないか!


 公園デビューといえばあれだ!

 ボスママ!


 いや、いや、落ち着け俺。

 なんと言っても最初の挨拶が肝心だ!

 なに、案ずることはない。

 サッカー部で培った眼力。そして、厳しい上下関係でもって鍛えられたおべっかの技術をもってすれば、ボスママなど恐れるに足らず!

 さあ! 勇気を出せ!


 ……なんてことは、当然起こらなかった。

 なんてたって、ここは田舎。のんびりしたもんだ。しかも日曜とくれば、当然父親の方が多いに決まってる。

 証拠にそこかしこで。


「あ、どうもどうも」

「や、どうもどうも」


 という挨拶が交わされてる。

 ……なんで父親の挨拶ってみんな「どうもどうも」なんだろうな。

 俺の親父もこんなとき「どうもどうも」って言ってたのかなあ。覚えてないわ。

 手を繋いでるさきゅが、きょろきょろとあたりを見回す。

「ここ、なんだべ?」

「公園」

「こーえんってなにするとこだべ?」

「遊ぶとこ」

「遊ぶって……、なにして遊ぶんだべや?」

「ブランコとか、すべり台とか」

 さきゅが怒った。

「ばかにしてんだべか?! おら、そんな子どもじゃないべ!」

 黙れ。この、300才超え幼児が。


 思いながら、口には出さない。だって、俺は賢い男。


「わかってるよ。本当に遊べとは言わないからさ。けど、ある程度時間を潰して帰らないと、理央がうるさいしな」

 しぶしぶ、さきゅが言った。

「……わかったべ」

 へえ、意外。理央にはちゃんと気を遣ってんだ。

 ふーん。


 俺は適当に時間を潰すべく、ベンチを探す。……あった、あった。

 ん? なんだ? 暑さのせいか、ぐったりした父親がそこかしこに……。

 そんな俺の耳に。

「あっ、す、すみません!」

「いえいえ。この子が……。大丈夫ですか?」

「え、ええ。ごめんねえ、お嬢ちゃん」

 謝りながら男が小っちゃい子の頭撫でてる。髪の長さからして、女の子かな? その子を抱いてる女の人もずいぶん若い、っていうか、大学生か高校生くらいに見えるけど。

 あっ。振り向いた。目ぇ合った。


「あれ? 先輩?」

 

 驚いたように女の子が言った。

 先輩? こんなかわいい後輩、いたかな? と俺が思っていると。


「ナナ!」

 さきゅが声をあげた。


「ナナ?」

「ども、お久しぶりっす」

 びしっと女の子が敬礼する。


 先輩って……。えっ? さきゅのこと?


 先輩。

 さきゅ見て。

 後輩。

 女の子見る。


「……」

 再びさきゅ見る。


「なんだべっ!」

 先輩、ねえ。

「先輩も男漁りっすか? つか、縮んだって本当だったんすね」

 なんか男の子みたいな子だな。髪も短いし、服装もTシャツにジーンズで、この年頃の子にしちゃラフだし。

「で、こっちの男誰っすか? 先輩の下僕?」

 下僕とはなんだ、失礼な! 保護者だっつーの!

「まあ、そんなところだべ」

 否定しろよ、おい。

 しかも、なんだその満更でもなさそうな表情。

「ところで、ナナ」

「何すか?」

「お前、こんなところで何やってんだべ?」

「おれ? おれはいまこの子の世話係なんすよ」

 一人称まで「おれ」?

 本当、男の子みたいだな。

「おれ、レズビアンとか、バイセクシャル受けのタイプじゃないっすか? でも、それだと落とすのも時間食うし、供給が少ないってことは需要も少ないってことなんすよね。けど、世話係なら半分俺の成績に加算されるんで、そっちを狙ってみようかなって」

 へー。サキュバスにもいろいろあるんだな……。

 っていうか、女でも精気って吸えるのか?

「で、去年からこの子のお世話をしてるんです」

 ナナちゃんが腕の中の子を見せてくれる。

 おっ。かわいい。

 今の今まで子どもの顏なんかどれも同じだと思ってたけど、違うわ。

 かわいい子は本当かわいい。

 金髪に青い瞳の外国人の子どもって条件を差し引いても、本当かわいい。


 ……動くのかな、これ。


 俺は、まじまじとその子を見つめる。


 ――と、いきなりそれが動いた。


 さきゅよりちっちゃくってふっくらした手を俺の方に伸ばし、ぐいぐいシャツを引っ張る。

 いたい、いたい。

 意外と力強いな。

 こらこら、シャツが伸びる!


 さすがに注意しようとしたその時。


 ちゅー。


 な、なんだ? 柔らかいものが唇に……。


 って、えええええ!


「こら! いけません!」


 思わず俺は金髪のマリアちゃんの体を押し返した。

 なんだこの子、なんだこの子、なんだこの子! いきなり俺にキスしたぞ!?


 動揺しまくる俺をふいに。


 くらっ。


 立ちくらみが襲う。


「よしたかっ!」

 目の前が暗くなった。

 俺は仰向けに倒れていった……。


 おお、吉嵩よ。

 死んでしまうとはふがいない。


 ……って、死んでねーよ!


 俺は勢いよく起き上がる。

 まったく、後ろがベンチで助かった。下手したら、後頭部を地面にぶつけるとこだった。

 危ない、危ない。

「へえ。若いだけあって、回復早いっすね」

 ナナちゃんが感心したように言う。


 まったく! 悪魔みたいな子だ。(あっ、悪魔か)


「それより、何だよ! その子は!」

 あっさりとナナちゃんは言った。

「北のリリス様の末娘、マリア様です」


「だうー」

 

 不服気な顔をしててもかわいいな! さきゅとはおおちが……、いたた、いたたた! つねるな! なにも言ってないのに、なんでこんなときばっかり勘が鋭いんだ! お前は理央か!

 さきゅを顔から引き離しつつ、俺は貞操的教育を叫ぶ。

「マリアちゃん! 見ず知らずの男に、キスなんかしちゃいけません!」

「あぇ?」

 くそっ。なんだよ、その「わかってないわね」的な顏!

 悔しいことに、そんな顔しててもこの子はかわいい!

「だって、ランキングは来年もあるんですよ。今年1位だったからって、油断は大敵。最初からがんがんポイント稼がないと」

 え? ランキング1位? そういや、あのサインペン書き模造紙のてっぺんには、確かにマリアって書かれたけど……。


 この子が、その「マリア」!?

 

 さきゅよりちっちゃくないか? っていうか、明らかにまだ乳飲み子だろ!?

 俺はさきゅを見た。

 さきゅは、さっと顔を背けた。

 こら、こっち向きなさい。


「お母さまはリリスの最高権力者、お父さまは大魔王ルシファー様です。悪魔界のまさしくサラブレッドですからね。みんなの期待も高いんですよ」


 そりゃ、すごい。


 俺はさきゅに小声でそっと尋ねた。


「で、お前のお父さんは?」

「……普通のリーマンだべ」


 悪魔にもサラリーマンってあんの!?


 ま、とりあえずまったく大したやつじゃないってことだけはわかった。

 うちの親父もそうだよ。


「じゃ、行きましょうか。マリア様」

「あい」


 こうして、俺とさきゅの公園デビューは、悪魔界の華麗なるサラブレッドと、騎士のように格好いい世話係の前に、完全なる敗北で終わった。


 ―― 一週間後。

「あ」

「あ。ども、お邪魔してます」

 俺は恋人を見る。

 ナナちゃんが片手をあげて、こう言った。

「マリア様を散歩させてたら、声かけられたんで。これからちょくちょく遊びに来ます」


 はああああっ!?

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