俺、幸せのために買収される!
「もう遅いし泊まってってもらえば」と小悪魔に未練たらたらな恋人を振りきって、出てきた。
「さあ、どこまで連れてけばいいんだ?」
小悪魔はふくれっ面のまま、答えない。
「答えないんだったら、適当に置き去りにするぞ」
普通の子どもだったら絶対に許されない非人道的行為だが、かまうこたない。こいつは悪魔だ。ずんずんずんずん歩き続けると、空き地に出た。もと工場の跡地で、あんまり人が来ないところだ。
ここならいいだろう。
抱いていた小悪魔を下ろす。いい感じに、背の高い雑草がこいつを隠してくれる。
「じゃあな。ここからお家に帰れ」
もちろん、魔界のな。
「じゃあな」
背を向けて立ち去ろうとしたそのとき。
「仕事」
だしぬけに、小悪魔が言った。
「仕事、欲しくないべか?」
しまった。足止めちゃったよ。
「りお、とってもいいやつだべ。このまま苦労させてていいんだべか?」
うっ。
「お前を黙って置いててくれる、大家のおじいちゃんおばあちゃんに、恩返ししなくてええべか?」
ううっ……。
「お父ちゃん、お母ちゃんにも、このままだと申しわけ立たないべ?」
くそっ。悪魔だけあって、痛いところを突いてきやがる……。
「おらなら、そんな情けないお前を救ってやれるべ」
くそ! 乗るな! 乗っちゃいけない! こいつは悪魔だ! これは悪魔の囁きなんだ!
でも――。
「どうやって?」
話を聞くくらいは、いいよね?
小悪魔がにやりと笑って、びらっと札を広げた。おおっ。……って、よく見るとお札じゃなかった。なんか、チケットみたいなやつだ。色紙にサインペンで手書き……。(悪魔ってサインペン手書き好きなのか?)
「人生タダ乗り券だべ」
「人生タダ乗り?」
「そうだべ。いろいろあるべ。例えば……」
小悪魔が紫の色紙を取り上げる。
「これは人生入れ替え券。自分がいいと思った人の人生と自分の人生を入れ替えられる。もちろん、その人のパートナー、財産、舅姑、子ども、もろもろごとだべ」
……そこまで入れ替えられちゃったら、逆に厄介な気が。
「次に“素敵な恋人券。身も心もぴったりなあなたのための恋人が見つかるべ」
いるんで、いいです。
「お次はこれだべ! “一攫千金券”!! 宝くじの一等が必ず当たる券だべ!」
サマージャイアント終わっちゃったしな。KOTOキャリーオーバーしてたかな。
「ええい! これならどうだべ! “カリスマ券”! ある分野でのカリスマになれるべ! 歴史に名が残るべ!」
……だんだん通販みたいになってきたな。
「そして最終兵器!」
おっ。今度は必殺技になった。
「“就職券”だべ! これ! と思った就職先に、必ず就職できるべ!」
俺は券を受け取って、びらっと扇形に広げてみた。
小悪魔が耳元で囁く。
「これ、ぜーんぶ使ってもいいんだべ❤」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
俺は改めて端から端まで券を見る。
使ってみたい。
ものすごーく使ってみたい。
……でも、待てよ。
これって本当にそんなイイものなのか? つか、持ってるなら、自分で使えばいいじゃん。
小悪魔をちらりと見る。
俺の考えてることは、それで伝わったらしい。
小悪魔は偉そうにつんとあごを上げて答えた。
「それは人間にしか使えないんだべ」
「ふーん」
「人間は欲張りだべ。タダのもん、好きだべ」
タダより高いもんはないって言うぞ。
じーっと疑いのこもったまなざしを、俺は送る。
小悪魔、ぽつりと本音。
「ま、
お前は寄生虫か!
……けど。
「副作用とか……。呪いとか、ない?」
「ないべ」
あっ。券とられた。
「魂をとられるとか」
小悪魔、退屈そうにあくび。
「魂とるのは、別の悪魔の役目だべ」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だべ」
「本当に、本当?」
小悪魔の目がきらりと輝いた。
「おらの面倒、見るべか?」
「どれくらい?」
「おらが元の大きさに戻るまで。そうさな、男百人分くらいの精気で十分だべ」
おお……。チケットで自分を仰いでいやがる。あの風にはきっと、幸福のにおいがたっぷりとするに違いない。
俺は迷うことなく、小さな手を力強く握った。
「よろしくお願いします、さきゅさん。いや、さきゅ様」
◇◆◇◆
家まで戻る道すがら、俺は考える。
こいつの面倒見るのはいいとして、あいつにどう説明しよう。
まあ、親戚の子……はいいとしても、なんで預かるのとか、いつまで預かるとか。
そんなことを考えていたら、どうしよう。着いてしまった。
「おかえり……って、どうしたの、その子。送ってたんじゃないの?」
湯上りか。俺も一緒にお風呂に入りたかった……じゃなくて。
「うん。あの、じつは……」
しどろもどろになっている俺を尻目に、俺をうまいこと買収しやがった小悪魔は、
「りおっ」
と無邪気な子供を装って、俺の恋人の腕の中へ行こうと小さな手を伸ばす。
どうやら、こいつも満更ではないようで
「なあに? さきゅちゃん。こっち来る?」
と俺の手から小悪魔を抱き上げた。
「りお~❤」
「さきゅちゃーん❤」
くそっ。ほおずりなんかされやがって!
俺の恋人はな、ひげが薄くて肌が綺麗なんだぞ! ほおずりなんかしたら、気持ちいいに決まってる!
「で、この子結局どうするの?」
え? えーっと……。
咳払いを一つ。
「じつはな、理央」
俺はできるだけ真剣な顔を作る。
多分、相当に真剣なはずの俺の顔に、尋常ならざるものを感じ取ったのか、恋人は「うん」と小悪魔を抱っこしたまま、正座した。
「この子の父親は、俺の従兄の息子の友達で、母親は俺の伯母さんの嫁いだ家の娘の同級生なんだが……」
「え? 従兄の……なに?」
つっこまなくていい。俺も二度と言えない。
「とにかく」
俺は強い口調で言った。
「この子の両親はいま、万引き、盗撮、その他もろもろのせいで、いま両方とも警察の御厄介になってるんだ」
「万引き? 盗撮? なんかせこい……」
「それだけじゃないぞ!」
俺はなぜかムキになった。
「ほかにもだな、万引き」
しまった。また万引きって言っちゃったよ。えっと、なんかスケールのでかそうな犯罪。
「詐欺、幼児虐待にだな……」
「虐待?」
恋人の目がきっと吊り上った。
しまった。保育士のこいつにとって、虐待の二文字は禁句。
「なんてことだろ。児童相談所に連絡して、親に注意を与えなきゃ」
「いやいやいやいやいや大丈夫! それに、いまは警察に厄介になってるって言っただろ!」
いますぐにでも電話しかねない恋人の手から、急いでスマホを取り上げる。児童相談所の番号を登録してあるなんて、我が恋人ながらなんて用意周到なんだ。
「で、でさ、この子のことなんだけど……」
「もちろん、うちで預かるよね?」
「――え?」
「実刑くらうかどうかはわかんないけど、親がそんな状態なら子供にはしばらく落ち着ける環境が必要だし」
「う、うん」
「さきゅちゃん、しばらくこのお家でお父さんとお母さん待ってようか? お兄ちゃん、おいしいものたくさん作ってあげるよ?」
「おいしいもの? さっきの、おむらいす、とかいうやつだべか?」
途端に恋人の目に、きらりと光るものが浮かんだ。
「おむらいすとかいうやつ? さきゅちゃんのお母さんは、オムライスも作ってくれたことがないの?」
「うん」
恋人の涙腺が崩壊した。
「さきゅちゃん!!」
「ぐえっ」
小悪魔を抱く手に、ついつい力を込めすぎてしまったらしい。こんなときは「ああ、やっぱ男だよな……」と恋人の性別を妙に実感する。
「なにも心配いらないからね! ここでお父さんとお母さんを待ってようね! あと、お料理のことももう心配ないよ! お兄ちゃんがお母さんに料理をちゃんと教えてあげる!」
恋人の手をどうにかこうにか緩めたさきゅが呟いた。
「さきゅのおかあちゃん、りょーりしないべ。っていうか、りょーりってなんだべか?」
「うわああああああ! かわいそすぎるー!!」
「ぐえっ」
……あほ。
「ねえ、吉嵩!」
「なに?」
「この子のこと、二人でいっぱい、いっぱい! かわいがってあげようね!」
「う、うん」
「よろしくね! さきゅちゃん!」
「よろしくね。りお」
……うまく問題は片付いたはずだ。
なのに、何でだろ。いまいち釈然としない。
ともあれこうして、幼児に魂を売った俺の育児奮闘の日々が始まった。
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