WoW!! 恋人帰宅す!!!!

 戦い終わって日が暮れた……わけじゃないけど、ひとまず俺たちは休戦することにした。ちなみに、俺の手にはなかなか立派な歯形がいくつもついている。休戦に入る前の彼女の最後の捨て台詞は「ふんっ。ざまみろっ」だった。

 言っておくが、これは幼児虐待ではない。

 

 だって、先に手、ならぬ歯を出したのはこのだし、の方が俺より百倍は年上だし。


「なんか失礼なこと考えてないべか?」

「別に」

 

 だって、失礼なことなんか考えてない。呼ばわりしてるだけで。呼ばわりっていうか、が名前だしー。気がすむまで心の中で名前を連呼。そして、ふと気づけば。


 ……ずいぶん縮んだなあ。


「やっぱなんかいらんこと考えとるべ!」


 悪魔の日本語教育ってどうなってんだろうか。方言いろいろまじりすぎだろ。

 とりあえず、ここはあらためて確認から入ろう。


「あの、とめさん」

「その名で呼ぶんじゃないべ!」

「じゃあ、どう呼べば?」


「サキュバスを略して、さきゅ❤ でいいべ」

 

さり気なくかわいくしやがったな。

「なんだべ!!」

「いえ、なんでも」

 いかんいかん。ポーカーフェースだ、俺。高校時代鬼監督と、傍若無人な先輩たちを「うっす」、「あざーっす」だけでやり過ごしたあの日々を思い出せ。


「で、さきゅ」


「呼び捨てだべか!」

 当然。

「確認するけど、あんたは本当に本当に悪魔なんだな?」

「だべ」

「サキュバスの中の落ちこぼれ」

「……」

「10年連続ワーストワン」

「……」

「で、ペナルティが3才児」

「もういいべ!」

 さきゅが小さなこぶしを振り上げて叫んだ。あっ、ぴんくの乳首見えてる。

「見るんじゃないべ!」

 顔を真っ赤にして、さきゅが胸を隠した。腕、みじか。しかも、ふとっ。

 こういうときアニメとかならご都合主義で服も一緒に縮むのに。

「……ちょっと待って」

 試しに俺の服を着せてみることにする。この間洗濯に失敗して縮んでぞうきんにしようって言ってたやつ……。あった、あった。

 着せてみる。


 ……だめか。


 さきゅが情けない顔で俺を見上げた。


 ……ま、追い出すにしても裸のままじゃまずいよな。

 俺は財布を取り上げた。


「ちょっと出てくる」

「どこ行くんだべ!」

「クロユニ」

 少し遠いけど、仕方ない。勝手に金も使って申し訳ないけど、恋人には後で謝ることにしよう。

「ここにいろよ。勝手にお外に出るんじゃないぞ」

 俺は炎天下の中、自転車をこぎ出した。



 結論から言うと、俺の買い物は少しばかり時間がかかった。

 一口に3才児って言っても、サイズって色々あるんだなあ。店員さんにも聞いてみたけど、「身長はどれくらいですか?」とか、「細め? ぽっちゃり系?」とか色々言われて、もうめんどいから、サイズにあんまり問題なさそうなTシャツとオーバーオール風のピンクのワンピースにした。あんだけ迷ったけど。

「ただいま。いい子にしてたか? さ……」

「おいしい? さきゅちゃん」


 ――うわお。


 内心ものすごい悲鳴をあげながら、俺は必死で平静を装う。


「あっ。お帰り。吉嵩よしたか

 いつも優しい顏した恋人の声にはじゃっかん棘がある。

「か、帰ってたのか」

「今日、午後は有給だって言ってただろ」

 そ、そうだっけ。忘れてた。

「それより、ダメじゃん。こんな小さい子を、しかも裸のままほったらかしにしたりしたら」

「ご、ごめん」

 さきゅはちゃっかり怪獣の絵の入ったTシャツと、藍色の半ズボンを着せてもらって、しかもあろうことか、俺の恋人のひざの上でオレンジジュースを飲んでいる。さらにちゃぶ台の上には、皿に乗せられたクッキーが。

 人がチャリ漕いだり、必死で買い物してる間にいい御身分だな、おい。

「ちょっと、その子の服を買いに行ってたんだ」

「あ、そうなんだ」

 よかった。恋人の機嫌はちょっとよくなったようだ。

「と、ところで、その服……」

「大家さんに聞いてみたら、たまたまお孫さんの服がとってあったらしくてさ。借りてきた。パンツは保育園にいつも予備が用意してあるし」

「そ、そう。そのオレンジジュースとクッキーは……」

「一緒に買い物に行ったんだ。あ、今日の夕飯オムライスな」

「そ、そう」

「ところで、さきちゃんのご両親は?」

「え? さきちゃん?」

「この子に名前聞いたら、『おら、さきゅだべ』って。『さき』だから、あだ名が『さきゅちゃん』なんだろ? かわいいよな」

「そうそう! そうなんだよ!」

 ダメだ。話がまったく見えない。ここに至って、俺はとうとう恋人のひざからさきゅをひったくった。


「――あ」

 

  恋人がじゃっかん寂しそうだけど、それは辛抱してもらおう。

 それより。

「お、俺腹減っちまったな。早くお前特製のオムライス、さきゅに作ってやってくれよっ」

「いいけど……。いまおやつ食べたばっかりなのに」

「大丈夫だって。待ってるうちに、あっという間にお腹すいてくるよ!」

「うーん、まあ、いいけど」

 あせる俺の様子に何やら勘づいたのか、小悪魔は。

「やーん! だめだめっ」

 と恋人のひざに戻ろうとする。

 そうはさせるかっ。

「おいしいからな~。おとなしく待っていような~」

 ふんっ。にらんだって全然怖くないからなっ。それより。

「どういうことだよ」

 俺は声を潜めて尋ねた。

 小悪魔がにやりと笑って言う。

「居候なんだってな、ダメニート」

 ぺしっ。

 思わず軽く頭をはたいたら。


「あーん!!」

 

 大声で小悪魔は泣き出した。

「何してんだよっ」

 恋人が台所から文字通りすっ飛んでくる。

「い、いや……」

 しどろもどろになっている俺の手から、恋人は小悪魔を抱き上げ、

「おー、よしよし」

 優しくあやす。

 そして小悪魔、俺に向かってあっかんべー。


 くそっ。


「はーい、いい子、いい子」

 頭を撫でられてるうちに落ち着いたふりした小悪魔が。

「泣かすんじゃないぞ。いいな」

 俺の腕に戻ってきた。

 うぬぬぬ。どうしてくれよう……。

 怒りに震える俺に、小悪魔にやり。

「お前の恋人、いいやつだべ」

 悪魔に褒められても嬉しくないが……。確かに俺の恋人はいいやつだ。

「にしても、びっくりしたべ」

 小悪魔は言った。


「まさか、お前の恋人が男だとは」

  

 あっ。一瞬遠い目になりやがった。

「どおりでおらの魅力が通じないはずだべ」

 いや、異性愛者でもお前の魅力は通じない。だから10年連続ワーストワンなんだろ。

「それより、どういうことだよ?」

「お前が出てったあと、すぐにあいつが帰って来たんだべ。で、おらを見るなり駆け寄って来て……」

 小悪魔はぽっとほおを赤らめた。

「おらのこと、たくさんたくさん、かわいいかわいいしてくれたべ」

 そう。俺の恋人はすべての子どもは天使と信じて疑わない。職業はずばり、保育士さん。

「ちょっとかわいい子どもを演じてみたら、なにくれとなく世話焼いてくれたべ。お買い物も一緒に行って、おやつも一緒に選んだべ」

 超うれしそうだな。

 にしても、あいつ。俺と買い物行っても、そんな楽しそうなことしてくれたことないのに。(いや、別におやつを一緒に選びたいわけじゃないけど)


「おら、決めたべ」


「なにを?」

「おっきくなるまで、ここで世話になるべ」


「はあ!?」

 思わず大きな声が出た。急いで振り向く。よかった。鼻歌まじりでお料理中の恋人には気づかれてない。

 胸を撫でおろし、ぼそぼそと耳打ち。

「困るよ。俺だって居候の身の上なんだし。だいたい、あいつになんて説明するんだよ」

 小悪魔は当然のごとく言った。

「適当に考えるべ。親戚の子とかなんとか」

「冗談じゃないよ! いいか。夕飯までは妥協するけど、夕飯食べたら出て行ってくれ!」

 小声で、しかし、強く言う。

「ぷうっ」

 ふくれっ面しても、だめなもんはだめだからな!

「はーい、お待たせ」

 そうこうしているうちに、恋人の特製オムライスができあがった。

 恋人が用意した、やつようの小さなオムライスには『さきゅちゃん❤』とケチャップで書いてある。

 ……たまには俺にも『愛してるよ❤』とか、書いてほしい……。

 俺の切実だけど、アホな野望は。

「はい。吉嵩の分」

 残り少ないケチャップのぶちゅちゅちゅっという汚い音とともに崩れ去った。


「……」

 

 料理には音も大事だってこと、今日初めて思い知った。

 切ない思いでスプーンをとった俺の前で。

「さきゅちゃん、大丈夫? ちゃんと食べられる? 食べさせてあげようか?」

 あてつけのように恋人が優しく小悪魔の世話を焼こうとしている。


 くそっ。断じて『あーん❤』などさせてなるものかっ。


 哀れな俺を神様が哀れんで下さったのか、それとも、日頃の善行の賜物か。

 小悪魔は。

「ううん。だいじょーぶ!」

 とかわいらしく(絶対計算してるな……)首を横に振り、小さなスプーン(柄がくまさんになってるやつ。見たことない。さては、さっきの買い物のとき買ってきたな)を手にする。

 

 ぱくっ。


 ……いきなり中央か。端からとかじゃなしに。

 くそっ。なんか悔しい。あっ、うまい。もっと味わって食え! いや、ほんとうまいわ。


 ぱあああっ。


 小悪魔の顔がいきなり輝いた。

 恋人が嬉しそうに尋ねる。

「おいしい? さきゅちゃん」

「おいしいべー❤」

「たくさん食べてね」

「うん❤」

 いちいちわざとらしく『おら、かわいい子❤』アピールすんな!

 あっ、もうなくなる。

「もう、吉嵩。もっと落ち着いて食べなよ」

 悔し紛れに俺は言った。

「おかわり」

 からの皿の上で、放り出したスプーンがからんと音を立てた。

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