第16話 天剣、レベル2の覚醒

 緑の豊かな山地が広がっている、田舎ののどかな景色の中。

 道花はそこで祖父から剣の修行を受けていた。

 太陽が傾き、涼しくなってきたある日の稽古の終わり、祖父は道花に語った。


「もっと強くなりたいか?」


 と……

 いつになく真面目な眼差しを見せる師匠の問いに対する道花の答えは決まっていた。


「うん!」


 無邪気な子供の笑顔をして答えた。

 そんな頼もしい孫娘に祖父は笑って言った。


「ならば都会の学校に行きなさい。そこで多くの仲間達と出会い、学ぶのだ。ここでわしが教えてやってもある程度は強くなれるだろうが、わしの教えてやれることは、わしが振るえるただ一人の剣に過ぎない。お前がもっと強くなるには世間に出てもっと多くの人と出会い、知ることが必要だ」

「そこに行けばお爺ちゃんより強くなれるの?」

「ああ、なれるかもしれんのう」

「じゃあ、わたしその学校へ行く。お爺ちゃんより強くなる!」


 道花の瞳はまだ見ぬ未来への期待に輝いていた。

 今は冷たい雪の中に消えようとしている。寒さが思考まで奪っていこうとする。

 どうして今になってあの時のことを思い出してしまうのか。

 道花は雪の冷たさを身に感じながら考える。

 降ってくる雪が顔に当たり、水となって流れていく。

 これが知るということなのだろうか。こんな敗北をすることが……

 道花は悔しさに歯噛みする。


「違う!」


 そう断言できる。道花は天剣を手に握る。

 天剣道花、その温かさを手に感じる。

 勇一が決闘の日まで負けるなと言ってくれた。そのことが嬉しかった。

 吹雪の中で璃々や低獄中の男達の応援する声が耳に届く。みんなが見ている。

 道花は断じて負けるためにここへ来たわけじゃない。


 目を見開く。降り積もる雪など全く気にならなかった。

 道花は天剣を構えて立ち上がった。発せられる暖かい熱に体に付いた氷が融けていく。

 兎が驚きの顔を見せ、すぐに苛立ちの表情を見せて氷の弓を構えた。吹雪が強まる。

 道花はそれを恐れない。真っ直ぐ相手と向かい合う。

 相手も同じ人間だ。感情を持つ同じ天剣の武芸者だ。ならばと道花は剣に意識を集中した。

 放たれる氷の矢を体勢を崩すことなく最小限の動きだけで回避し、剣の力を開放した。


「天剣道花! 力を示せ!」

「!!?」


 今度驚愕したのは兎の方だった。

 雪が止んでいた。冬が終わっていた。雪融けが終わり、土の地面が顔を見せ、春が訪れていた。

 広がるのは桜の花びらの舞う春の景色だった。

 一転して冬から春へと姿を代えた校庭で、二人の天剣を持つ武芸者同士が対峙する。


「あなたもレベル2の能力を使えるようになったのですか」

「うん、兎ちゃんのお陰だよ。ありがとう。そして、ここからが勝負!」

「舐めないでください」


 新しい力に目覚めたとはいえ、天剣を持つ武芸者同士。道花が使えるようになったのは同じレベルの能力に過ぎない。

 勝負を決するのはお互いの実力。そのことに変わりはない。

 冷静さを取り戻した兎が氷の矢を放つ。道花はそれを避け、斬り落とし、走る。兎との距離を詰める。


「同じ土俵に立てるようになった。ただそれだけのことです。ならばこの場を再び冬に閉ざしましょう」


 兎が氷の弓を振り上げ、天剣の力で再びフィールドを自分に有利な冬の雪化粧に包み込もうとしてくる。

 道花は立ち止まり、剣に込める意識を強めた。

 天剣道花と氷天弓、春と冬の力が拮抗し、春が押し勝った。


「くっ、まさか……」

「今っ」


 剣の届く間合いまで近づき、道花は剣を振り上げた。

 弓を扱う兎は下がるのだろうか。いや、殺気を身に感じ、道花はすぐに剣を攻撃から防御に切り替えた。

 剣の平で受ける衝撃に鈍い大きな音が鳴る。道花は歯を食いしばりながらも兎の放った攻撃を止めきった。


「その手はもう喰わないよ。兎ちゃん」

「わたしの兎殺しを見切ったのですか!?」


 道花の剣は兎の手を受け止めていた。


「それが兎殺しか。おっかないな」


 最初に押し倒された時に兎の手の強さに気づいていなければ、おそらくまともに食らっていただろう。弓だけが彼女の強さではない。

 接近したところに罠が待っている。

 不利な力比べをするつもりはない。道花は剣を振って下がった。

 対峙する兎は手の感覚を確かめるように数回動かしてから握って言った。


「わたしは元来こっちの方が得意なんですよ。弓の方は中学になってから手にしましたので」

「そうなんだ」


 それであれほどの弓の腕前を見せられるのだからたいしたものだ。天剣と武芸者の相性というのもあるのだろうが。

 兎は使い慣れた拳を軽く握って、道花に向けて構えた。


「雪原を逃げる白い兎をも捕まえることから兎殺しと名付けられたこの拳。あなたで試してみますか」


 氷天弓を吹雪の中へと消し、兎は今度はその拳で挑みかかってきた。素早さを増したスピードに道花の剣がついていけずに空を切り、兎の髪が舞い上がる。体勢を落とした兎の拳が跳ね上がるようにして道花の喉元を狙って迫ってくる。

 受け止められるものじゃない。

 何とか横に転がって避ける。兎の冷たい瞳が地面に膝をついた道花を見下ろしてきた。


「どうしました? 怯えた兎のように逃げることしか出来ないのでは運命は決まっていますよ」


 いや、もう彼女の瞳は前ほど冷たくは無かった。

 勝負を楽しんでいる。そんな熱が感じられた。自分の得意技を引き出すほどの相手と出会ったのだ。同じ武芸者として道花にも分かる気持ちだった。

 ならばと道花は立ち上がる。


「こっちも負けているわけにはいかないね」


 道花は剣を構えて対峙する。繰り出す道花の剣を兎は右手で逸らし、すぐに反対側の左手で掴みかかってくる。

 剣は一本しかないのに、手は二本あるからやっかいだ。

 道花は後方へ大きめに距離を取って下がって何とか回避した。


「あの格闘術、やっかいだなあ」


 だが、今度は距離を取ったのが災いした。空に向かって振り上げる兎の拳に吹雪が舞い、再び氷天弓が姿を現した。

 構える弓が引かれ、再び氷の矢が放たれてくる。


「その弓、まだ使うの!?」

「当然です。これもわたしの力ですから」


 次々と放たれてくる氷の矢を、道花は素早く横に走って回避する。

 兎の格闘術はやっかいだが、離れたら一方的に弓で狙われてしまう。

 剣の届く間合いまで近づかないと勝負にならない。

 立ち止まり、舞い落ちる桜の花びらを見て、道花は気づいたことがあった。

 剣を強く握って確信する。


「兎ちゃん、ちょっと真似していい?」

「何をですか?」

「風を操ってみた!」

「!!」


 桜吹雪が舞い、渦巻く桜の花びらが兎の視界を妨害した。風に乗り、道花は一気に接近した。

 兎の兎殺しは道花の剣を払いのける。それは必ずだと確信出来ていたので、道花は剣には構わなかった。


「ごめん!」


 剣に謝罪の言葉を述べて手放す、兎の拳に天剣道花が弾き飛ばされていく。

 思っていた抵抗を外されて一瞬兎の体勢が崩れかけるが、すぐに踏みとどまって二撃目を繰り出してくる。


「さすがは兎ちゃんだ。でも!」


 その攻撃は道花の想定内だった。

 とっさの判断ゆえに、あまりにも綺麗に真っ直ぐに来る兎の攻撃の拳を道花は身を捻って避け、さらに彼女の懐の奥深くに潜り込んだ。


「え!?」


 ここまで接近されるとは思っていなかったのだろう。兎の瞳が驚愕に見開かれた。

 道花は構わず彼女の付き出された腕と懐を取り、彼女の綺麗な制服に包まれた体を蹴り上げた。


「やああああああ!」

「キャアアアアア!」


 悲鳴を上げる兎の体が宙を舞い、地面へ叩き付ける。

 田舎で見てきた祖父の一本背負いが見事に決まった。

 倒された彼女は呆然としたように道花を見上げていた。

 道花は見下ろす。

 動かない兎の瞳に涙が込み上げてきて、彼女は子供のようにわんわんと泣き出した。


「ごめん、痛かった? ごめん、ごめんって」


 駄々っ子のように拳を突き出してくる兎にもうさっきまでほどの力は無く、道花は彼女を宥めるのに時間を要したのだった。

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