第14話 襲来、兎殺し

 今日一日はこの調子かなと思った道花の思惑が外れたのは学食から教室に戻ってきて、売店で買ってきたパンを男達にやっていた時だった。


「ほら、お食べ」


 教室の後ろでぐったりとしてくたばっている男達にパンを与えてやると、彼らは生き返ったようにムシャムシャと元気に食べ始めた。

 道花はハムスターでも飼っている気分で微笑ましく眺めていた。

 そんな時だった。

 教室にまた別の男が駆け込んできた。柄の悪そうなそのラフな恰好からすぐに低獄中の人だと推測できた。

 彼は粟を食って酷く慌てた様子で叫んだ。


「豪さん! 大変だ!」

「何だ? お前には留守番してろって言っただろ?」


 パンを食べながらリーダーとしての威厳を見せながら訊ね返す豪。

 もう少し彼が早く来ていたら……道花がパンを与える前に来ていたら情けない姿を見せるところだった。

 良かったねと子を見守る母親のように思う道花だった。


「それが低獄中にあの兎殺しが乗り込んできて、天剣の武芸者を出せって言いやがって」

「兎殺しだと!?」


 その言葉に、途端に低獄中のみんなの顔に緊張が走った。

 道花にとっては知らない名前だったので首を傾げてしまった。

 兎殺しって何だろう。兎を殺すんだろうか。そんな酷い人がいるとは思えないので、きっと不良の間の通り名だと思うが。

 もしかしたらジャケットの背中に兎のマークでも背負っているのかもしれない。


「兎殺しなんて北国の伝説でしょう?」


 璃々は知っているようだ。伝説ぐらいは。

 伝説になるような人物なのだろうか。

 璃々が気楽な声を掛けても、豪達の緊張は解けなかった。


「いや、奴が南下して来ているって噂は昔なじみの不良仲間から聞いていたんだ。まさか奴が低獄中に現れるとはな」


 豪が立ち上がる。周囲の不良生徒達もリーダーに続くように立ち上がった。

 自分達の学校に挑戦者が現れたのだ。メンツを守る喧嘩屋の彼らにもう腑抜けた態度は無かった。


「こうしちゃいられねえな。低獄中に戻るぞ! 道花、世話になったな」


 豪達は立ち去ろうとする。自分達の学校に帰るのだ。

 待ち望んだ瞬間だろうが、道花は彼らをすぐに呼び止めていた。


「待って! 行くならわたしも行くよ!」

「だが、道花にはまだ午後の授業があるだろう?」


 そう言われるとまごついてしまうが、相手が天剣の武芸者に挑戦してきていると聞いては、黙ってスルーするわけにはいかなかった。


「わたしは強くなるために、もっと天剣を知らなきゃいけないと思うんだ。その兎殺しって人は天剣の武芸者と戦いに来たんでしょ? だったら、わたしにも用があるはず」


 道花は腰に下げた天剣を持ち上げて言った。

 豪も同じ天剣の武芸者として感じる物があったのだろう。道花に向かって頷いた。

 一緒に行こうとすると、璃々もすぐに立候補してきた。


「道花さんが行くならわたくしも行きますわ。伝説の兎殺しと天剣の武芸者との戦い、見逃したくはありませんもの」

「璃々ちゃん……」

「お前ら……本当に物好きだな」


 豪が感心と呆れが入り混じったような息を吐く。璃々が道花に強気な女傑のように目配せを送ってきた。


「どの口が言いますか。ねえ、道花さん」

「だよね。今度は低獄中にわたし達の面倒、見てもらうからね」

「仕方ねえな。だが、無理はするなよ」

「もちろん」


 大事な決闘が控えているのだ。無理をするつもりは無かった。

 ただ伝説と呼ばれる挑戦者と戦う気があっただけで。

 こうして道花達は後の連絡をクラスメイトに任せ、低獄中へと向かうことになったのだった。




 穏やかな春の昼下がりの都会の道路。

 落ち着いた街並みの雰囲気をぶち壊すかのように、バイクの集団が大きな音を響かせながら走っていく。

 道花はまさか自分が玉座に座ることになるとは思っていなかったが。

 初めて豪が来た時は偉そうだなと思ったものだが、いざ自分が座ると勇気があるなと思うのだった。


「恥ずかしすぎる!」


 標高が高めの目立つ椅子に座ってもじっとしてしまう。

 みんなに薦められたし、ちょっと興味があったのでつい座ってしまったが、やっぱり止めた方が良かったかもと後になって思った。

 バイクに乗って馬のように座を引いて走る豪が振り返って訊ねてくる。


「道花! 乗り心地はどうだ!」

「ま……まあまあかな」


 あまり名前を大声で呼ばないで欲しい。近所の人に聞かれたら恥ずかしい。

 困惑しながら答えると、横を走るバイクの後ろに乗せてもらっている璃々が話しかけてきた。


「道花さん、なかなか様になってますわよ」

「そ……そう?」


 璃々はバイクのような乗り物にも慣れているのだろうか。困惑する素振りは見られない。お金持ちのお嬢様の経歴は道花にはよく分からない。

 華やかな都心を抜けて、何だか少し寂れたところに出てきた。

 何だか壁の落書きやボロイ建物や目付きの悪い人達が増えてきた気がする。

 道花が疑問に思っていると、璃々が教えてくれた。


「都会の裏の町、ダウンタウンですわね。わたくし達に喧嘩を売ってくるような愚か者がいるとは思えませんが、あまり近づかない方が良い場所ですわ」

「俺達の低獄中はこの先にあるんだ」


 豪がバイクのエンジンを吹かし言ってくる。集団でメインの大きなストリートを走っていく。

 目指す先は分かった。前方の空だけ何故か暗くなっているからだ。

 近づいてみて分かった。目的地に着いて、みんなは校門の前でバイクを降りた。


「ここが低獄中……」


 どこにでもある学校なのだろう。薄汚れた建物だけなら。

 バイクのまま校内に入らなかったのには理由があった。

 道花の足が雪を踏む。白い雪を含んだ風が髪や服をなびかせていく。


「何で雪が降っているの……?」


 世間は入学シーズンで桜の花の咲き乱れるような春だというのに、なぜか低獄中の敷地内だけが吹雪の吹きすさぶ冬となっていた。

 豪の方を振り返ってみても、彼にも分からないようだった。璃々や低獄中の人達も困惑している。

 璃々はいつも強気だが、わけの分からない場所に踏み込むような愚か者では無かった。誰もうかつには踏み込まない。


 だが、いつまでも校門前でびびって立っているわけにもいかない。

 道花の腰に下げる天剣にほんのりとした熱が宿った。まるで自分が守るから中に入れと言わんばかりに。

 その反応は豪の持つ斧のような天剣も同じようだった。

 お互いに顔を見合わせ、頷く。


「行こう!」


 そう決める。

 この吹雪の吹きすさぶ校内に天剣を持つ武芸者が待っている。天剣同士が相まみえたがっているのを道花は感じる。

 ここから先は天剣を持たない者には厳しいかもしれない。道花はそう璃々に伝えようとするのだが、


「まさかここまで来て、置いていくつもりじゃないでしょうね」

「璃々ちゃん……」

「あなた達の戦い、しかと見届けさせてもらいますわ」

「俺達も行くぜ!」

「ここは俺達の学校だからな!」

「行こうぜ、道花!」


 低獄中の男達も元気だった。

 道花は何だか心の温かくなる思いで中に踏み込む勇気を得るのだった。

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