第11話 湯煙の幻想郷

 その一戦をやっただけで豪は満足の行く戦いはもう出来たとばかりに座り込んで見学に回ってしまったので、道花は仕方なく璃々と練習を続けることにした。

 楓ともやろうと思ったが遠慮して断られてしまった。

 天剣同士で戦った後だし、何だか見学人も増えてきて、道花も璃々も何だか見世物になっているような落ち着かない気分になってきて、お互いに真剣に戦おうという空気では無くなっていた。

 お互いに剣を交えて戦い方を確認するだけのような練習を続けていると、やがて先生がやってきた。

 見学したり、女生徒達と楽しそうにお喋りしていた不良少年達が俄かに慌ただしくなった。


「やべ、先公だ。ずらかるぞ」

「またな、姉御」

「誰が姉御だ」


 バイクの集団は来た時と同じように大きな騒音を上げながら走り去っていった。

 うるさい連中がいなくなって静かになった。だが、問題が終わったわけではない。

 傍から璃々が話しかけてくる。


「道花さん、わたくし達も今のうちに」

「うん、そうだね」


 ここで何があったかとか他校の生徒達と何をしていたかとか先生に事情聴取をされても面倒だ。

 道花はここに自分の剣の練習をしに来ただけで、別に騒ぎを起こしに来たわけではないのに。

 なので璃々と一緒にその場を後にすることにした。


「楓ちゃんもまた明日ね」

「うん、ばいばい」


 戦いに最後まで関与しなかった楓が先生達に何かを責められることはないだろう。

 道花と璃々は人混みにさりげなく紛れ、先生に見つからないように移動して会場を後にするのだった。



 ここまで来れば大丈夫だろう。会場から離れた廊下を道花と璃々はクールダウンしながら歩いて行く。

 途中で自動販売機を見つけ、喉が渇いていたことを思い出す。

 道花は璃々を誘って立ち寄ることにした。


「何か飲んで行こうか」

「そうですわね」


 特にネタになりそうな怪しいジュースは無さそうだった。普通に普通のジュースを選んだ。


 ピッ、からんころん。


 自動販売機は田舎もここも変わらない。それぞれに手に取ったジュースを飲む。

 運動をした後の飲み物はおいしかった。


「璃々ちゃんはこれから何か用事ある?」

「今日のところは帰るだけですわね」

「じゃあ、汗掻いちゃったし、シャワー浴びてく? うちの寮、シャワーあるんだけど」

「え? シャワーですか!?」


 道花は気楽に誘っただけのつもりだったが、なぜか璃々は驚いたように目をパチクリさせた。寮にシャワーがあるのが珍しいのだろうか。

 まあ、道花も最初に見た時はさすが都会だなあと感心したので他人のことは言えないが。

 頷いて言う。


「うん、シャワーだよ」

「道花さんとシャワー……」


 璃々は何かを考え込んでしまった。

 もしかしたらお金持ちのお嬢様としては庶民のシャワーなんか使えないといった拘りがあるのだろうか。

 だとしたら無理に誘うつもりはないけど。


「嫌ならいいけど」

「いえ、行きますわ。ぜひご一緒させてください!」


 璃々は道花のびっくりする勢いで手を取って言ってきた。


「璃々ちゃん、速い……」


 やはり年頃の女の子としては汗は早く流したいのだろうか。

 道花は張り切る璃々を連れて、寮の共同で用意されたシャワー室へと向かった。




 道花にとっては勝手知ったる寮への道。

 先を歩く道花の後をついて歩きながら璃々は考えていた。

 道花と一緒にシャワー。その湯煙の光景を。


 広いお風呂場。白い湯気の立ち込める密室で、今日一日を伴に過ごした仲の良い女の子が二人きり。何も起きないはずがなく……

 璃々が自分の体を洗おうとすると、シャワーと石鹸を手にした道花が色っぽい声をして寄り添ってきて囁くのだ。


「璃々ちゃん、今日一日を付き合ってくれてありがとう。お礼に洗ってあげるね」

「え? お礼ですか?」

「うん、お礼。もう、璃々ちゃん。こんなところまで汚しちゃって。これは念入りに洗わなくちゃね」

「嫌ですわ、道花さん。そんな汚いところまで」

「嫌なの?」

「いえ、是非に! 是非にでございますわ、道花さん!」

「フフ、いけない子ね」



「?」


 後ろをちょっと振り返り、道花は不思議に小首を傾げる。

 璃々は何か興奮しているようだ。戦いの緊張がまだ抜けていないのかもしれない。

 あんな戦いをした後なら仕方ないかもしれない。

 道花もまだちょっと気分が高揚しているのだ。


 特に何かを話すこともなく、寮に着いた。

 田舎から出てきた道花にとっては立派と言える建物だが、都会のお嬢様である璃々の感性だとどうかは分からない。


「璃々ちゃんを招くほどの家では無いかもしれないけど」

「いえ! とても素晴らしい家ですわ!」

「そう?」


 お金持ちの価値観は道花にはよく分からなかったが、気に行ってもらえたなら良かったと思った。璃々を中へと案内する。


「シャワールームはこっちね」


 この寮には部屋に個別に用意された風呂もあるが、寮生ではない璃々をそこまで連れていくのは場違いだろう。

 そう考えて道花はみんなに共同に用意されたシャワールームの方へ向かった。

 璃々を連れて廊下を歩いてその部屋へ向かう。

 目的地に辿りつき、扉を開けて中へ入った。


「ここがシャワー室ね」

「は……はい!」


 初めて来た場所に緊張したかのように璃々が答える。

 道花は少し可笑しくなって微笑んだ。


「じゃあ、わたしはここを使うから、璃々ちゃんも好きなところを使ってね」

「はい! …………え?」


 そこは璃々の想像したような広い湯煙の桃源郷では無かった。個別に区切られた個室のシャワー室だった。

 道花はさっさとその中の一室に姿を消してしまう。璃々の湯煙への期待を断ち切るかのように扉が無情に閉められた。

 個別に用意されたシャワー室は脱衣場も個別になっているようだった。

 取り残された璃々はしばらく呆然と立ち尽くし、


「石鹸とシャンプーが無かったら言ってね」

「は……はい!」


 扉をちょっと開けて言った道花の声に我を取り戻し、


「シャワー、浴びますか……」


 自分の当初来た目的を果たすために、別のドアを開けるのだった。




 時刻は夕方となっていた。

 シャワーを浴び終わって、道花は今日一日を付き合った友達を学校の校門まで見送った。

 緊張した様子の璃々と校内の道を歩き、校門まで来ると、そこに立派な車と老執事が待っていた。


「お疲れさまでした、お嬢様」

「ええ」


 後部座席のドアを開けられて乗り込む彼女を見て、璃々って本当にお嬢様なんだなと道花は思った。

 そのお嬢様な彼女が席に着いて道花を見上げて言ってくる。


「では、道花さん。また明日学校で」

「うん、また明日ね。ご機嫌よう」


 璃々が笑みを零し、車が発進していく。

 見送って、道花は寮の自分の部屋に戻ることにした。

 今日は良い一日だったなと思いながら。

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