第3話 出会い

 この学校は敷地が結構広い。

 名門と呼ばれるだけあって、いろいろな施設があるようだ。

 入学して間もない道花はまだ全貌を知るほど詳しいわけでは無かったが。


 道花は両側を木々が建ち並ぶモダンなレンガの道を歩いていく。

 今日は入学式だし、まだ朝早いのですれ違う人の姿は無かった。

 春の朝の日差しは気持ちいい。このまま行けば何事もなく余裕で会場に間に合うだろうが、それも平和すぎていささか刺激に欠けるかもしれない。


 せっかくの気持ちの良い朝だ。少し朝の準備運動がしたかった。

 田舎にいた頃は気が向いたら山に飛び込んで走り回って剣を振ったりもしたものだが、ここでは自重していた。田舎者だと思われたくは無かったから。

 だが、お陰で腕が鈍った感じもする。気になると腕がうずうずとしてしまう。

 隣の林は田舎の山林ほど鬱蒼とはしていなかったが、これでもなかなか走りがいと剣の振りがいがあるように見える。


 道花は田舎者とは見られたくなかったが、ちょっと羽を伸ばすぐらいのことは良いだろうと思った。

 ここでは名門校に通うお嬢様らしく上品に振る舞おうと思っていたが、やっぱりまだ若かった。

 あまりにも平和すぎる環境に、道花は自分の腕を結構持て余していた。


「誰かが挑戦してきてくれればいいんだけどそんな相手もいないし、熊や鹿や猪が出そうもないし、初日から鈍らせた腕でみんなに置いていかれるのも困る。少し冒険してみるか」


 入学試験の実技では相手を圧倒してみんなに驚かれた道花だが、みんなももしかしたら腕を上げているかもしれない。

 入学試験の会場でみんなの実力もそこそこ見せてもらって、道花をびっくりさせるほどの同級生はいない様子だったが、あれから数か月が経つし、今だとどうだか分からない。

 少しは運動をして勘を戻しておいた方がいいかもしれない。

 道花はそう結論付けて道を外れ、中庭の方に繋がる林の中を走ることにした。




 道花の実力を持ってすれば走りながら木々を避けるなど造作もない。

 と言いたいところだったが、やはり勘の鈍りがあるようだ。

 無理をしない範囲で速度を落とすことにした。

 元より本格的な修行ではなく、軽いウオーミングアップをするだけのつもりだ。

 道花は木々の間を右へ左へとすり抜けて、草を飛び越えて開けた場所へと着地した。目の前に広がるのは中庭の公園だ。


「方角オッケー。予定通りの場所に到着ね」


 前に学校から寮に案内された時にも来たことがあるので分かっている。あの時は道を歩いて訪れたが、今回は別ルートからの到着だ。

 道花は肩にちょっと掛かった葉っぱを払いのけて、前へ歩き出す。公園の隅っこから中央へと向かって。


「ここって静かで落ち着くのよね」


 剣を振るのにはちょうどいい。そう思わせる場所だった。

 時間が気になったが、ちょっとぐらいなら良いだろう。

 汗を掻かない程度に終わらせよう。

 そう決めて中庭の広い場所へと歩みを進める。ちょうどそこには涼しそうな噴水が水を出していて、何となく誘われるようにそこへ向かった。

 ここまで人に会わなかったが、そこには先客がいたようだ。

 噴水の陰に隠れていて見えなかった。

 道花が何かを言うよりも先に相手の方から振り返って声を掛けてきた。


「おや、あんたは」

「え……」


 道花は驚きに目を丸くしてしまう。言葉が出なかった。会ったのがただの人だったら道花も絶句するほどには驚かなかったかもしれない。

 公園で人に会った。はいこんにちはと会釈して通り過ぎれば良かったはずだ。

 だが、相手は男でここは女子校だった。

 いやいやと道花は首を振る。会ったのがただの男だったらここまで驚かなかっただろう。

 こんなこともあるよねと回れ右して通報すれば済むはずだった。

 だが、相手はなぜか全裸だった。全裸の男が神聖な女子校の中庭にいた。

 道花は構わずに剣を抜いた。


「ほ……ほわああ!」


 パニックになりながら突きつけ、上段に構えた。


「この不審者めええ! 警察に突き出してやりゅわあああ!」

「待て! 俺は怪しい者じゃない!」


 男は焦ったように弁解するが、全裸の男のどこに怪しくない要素があると言うのだろうか。

 道花にはどう考えても分からない。

 脳が現実逃避することを望んだのだろうか。ふと故郷のことを思い出す。


 道花の故郷は田舎だったが、さすがに原始時代ではない現代だったので、みんな服を着ていた。

 祖父だってふんどしぐらいは履いていた。


 ふと我に帰る。

 道花は思い切って距離を詰める。相手は来ない。慎重にこちらの出方を伺っているようだ。

 この動きには覚えがある。野生の動物だ。野生の動物がこちらの動きを見切ろうと身構えている。

 

「させない」


 道花は剣士の癖でつい男の全身の動きに気を配ろうとして、下半身で動く物に目が行こうとして、ぶらぶらしたのが見えかけて慌てて目を瞑った。


「心眼よ!」

「心眼は止めろ!」

「くわっ」


 よく考えたら見えない間に逃げられても困る。

 道花は思い切って目を開いて、下は見ないようにして、相手の目だけに意識を集中することにした。


「あなたのどこが怪しくないと言うのお!」


 ちょっと声が上ずった。反省しよう。道花は改めて剣に意識を集中する。


「全部だ! 俺は潔白だ!」

「全部って、そんな物を見せつけておいて! そんな! くっ」


 改めて動く物から目を逸らす。動く物に目が行きそうになる癖、反省したい。


「だからよお、そこの噴水が気持ち良さそうだったから、ちょっと水浴びをしてただけでよ」

「問答は無用よ!」


 道花は剣を振りかぶって相手を威嚇して追い詰める。ややパニックになってはいたが、戦い慣れした道花の動きに相手を逃がすような隙はない。

 後ずさりする男との距離を詰めていく。もう少しで剣が届く、振り下ろせる。そのことが嬉しくてちょっと笑ってしまう。

 ここは思い切って踏み込もうと思った時、男が不意に足元を指して言った。


「おい、そこのコンクリ滑るから気を付けろよ」

「そんな物でわたしが騙さ……キャアアア!」


 注意が足りなかったのか冷静さが足りなかったのか、道花は不意に足元を滑らせて男に向かって倒れ込んだ。


「うお! 危な!」


 男は下半身の物に向かって突き出された剣は避けたが、道花の体までは避けられなかった。後ろに退いた体勢では支えきれずに二人ぶつかって倒れてしまった。

 倒れたショックで道花の視界は暗転してしまった。起き上がろうと手をつくと何か柔らかい物が手に触れた。

 何かぐにゃぐにゃしている。触ったことのない感触だ。不思議に思って数回触ってみる。

 棒のようだ。剣じゃない。


「この柔らかい感触は……だんだんと固く? 不思議……何かお父さんの指を握っている時のような落ち着きを感じるような……」


 そこで我に返った。道花の顔の下には水で少し湿った肌色があった。噴水の音が聞こえる。そして、手が何か握っていた。

 剣じゃない。


「はわっ!」


 道花は慌てて押し倒していた彼から跳び離れて、すぐ傍の視界に入った噴水に駆け寄った。

 瞬間、すぐに手を投げ込んだ。


「うわああああ! わたし何触っているのおおお! 考えたくなあああい!」


 勢いよく水を跳ね上げて手を擦るが、それで何かが取れるというわけではない。


「わたしの剣を握る大切な手がああ!」


 パニックになる道花の後ろで、男は落ち着いて息を吐いて立ち上がった。


「失礼な奴だな。お前が勝手に俺のおちもにょもにょを握ったんだろうが」

「うるさい! おちもにょもにょ言うな!」


 悔しいが、道花には涙目になって言い返すことしか出来ない。

 男の同情の眼差しが目障りだった。


「あんまり激しく擦ると綺麗な手の皮がずる剥けになるぜ」

「うるさい! こっち来んな!」


 男が手を出そうとするのを、水を撥ねさせて追い払った。

 男がため息をついた。そこに第3者からの声が掛けられた。


「あら、随分と騒がしいですね」

「ひわっ」


 新たな不審者かと道花はびっくりして後ろを振り返るが、現れたのは粗暴な男とは似ても似つかぬ優しそうなお姉さんだった。


「弟が迷惑を掛けたみたいですね」

「弟?」


 この綺麗なお姉さんと粗雑そうな男が姉弟だというのだろうか。

 道花はちょっと信じられずにきょとんとしてしまう。

 男は不満そうに姉に言い返していた。


「迷惑なんて掛けてねえよ。俺は誰もいないと思って、噴水で水浴びしてただけなのに、後からこいつが来やがって俺のおちもにょもにょを」

「早く服を着なさい。そのおちもにょもにょを捥いでしまいますよ」

「それを捥ぐなんてとんでもない! 分かったよ……」


 さすがは姉だ。弟のあれを見てもびくともしない。

 道花は女神の壮麗さと力強さに尊敬の念を抱くのだった。

 男は今頃になって渋々と服を着始めた。

 綺麗なお姉さんは改めて道花の方に向き直って言った。


「落ち着いていただけましたか? 私はここで教師をしている秋風昴(あきかぜ すばる)です。こっちは弟の勇一(ゆういち)」

「けっ、名乗るほどの者かよ」

「先生……? ここって女子校ですよね? 何で男がいるんですか?」


 道花の見る先で、男が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 先生は優しい聖女のような笑みを見せたまま答えた。


「この学校も時代の波に合わせて共学にしようという動きが出てきていて、彼はこの学校始まって以来の男の生徒となったのです」

「そうなんだ。知らなかった。よくこの前まで女子校だったところに行こうなんて思ったなあ」


 道花は感心してしまう。自分なら男だらけの学園になんて……うーん、強い人がいたら行っちゃうかもしれない。

 祖父に勧められたからと言って、よく考えずに学校を選んだ道花にはよく分からない話だった。


「彼にも事情があるのですよ」

「へえ」

「俺だって来たくて来たわけじゃねえよ」


 なら、何で来たのだろうか。そんな事情はどうでも良かった。


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴ったから。

 この音はどこの学校も同じなのだろうか。耳に馴染んだ音がする。

 道花は時間を思い出してびっくりした。中庭の時計が時を刻んでいる。


「やば! 始業式が始まっちゃう!」

「まだ予冷ですが、急いだ方が良さそうですね」

「変な男のせいで余計な時間を取っちゃったよ。失礼します」


 道花は先生にぺこりと頭を下げて、体育館への道を急ぐことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る