第4話 意外な発表


 道花が急いで始業式の行われる体育館へと駆けつけた時、館内はすでに大勢の人達で賑わっていた。

 まだ始まっていないようだ。何とか間に合った。道花はほっと安堵する。

 早めに寮を出たのに、余計な手間を食って遅刻なんて冗談じゃない。


 道花は気を落ち着けるよう意識して深呼吸して息を整えてから、自分のクラスの列に近づいていった。

 田舎から都会に出てきた道花にとって、ここはアウェーな環境だ。知っている人なんて誰もいない。

 そう思いながら列の後ろにつくと、すぐ前の女生徒が振り返って声を掛けてきた。

 気の強そうな彼女は知っている顔だった。


「遅いですわよ、道花さん。来ないかと思っていました」

「ごめんなさい」


 彼女の名前は財前璃々(ざいぜん りり)。ここの地元の都会のお嬢様で入学試験の実技で道花が打ち負かした相手だった。

 あの時のことを恨まれたら嫌だなと思ったが、彼女にはもう田舎者を馬鹿にする気はないようだった。

 明るくサバサバとした声を掛けてきた。


「別に怒っているわけではありません。あなたの剣の腕は素晴らしい。わたくしはいかに自分が井の中の蛙であったかと思い知らされました。またあなたに会えることを心待ちにしていましたのよ」

「うん、わたしもまた璃々ちゃんに会えて嬉しいよ」


 それは道花の本心だった。どんな環境でも知っている友達がいるというのは嬉しいものだった。


「あ、璃々ちゃんって言うの馴れ馴れしかったかな? 財前さん?」

「璃々ちゃんで構いませんわ。わたくし達もうクラスメイトですもの」

「うん、よろしくね」


 慣れない環境で緊張しているのは璃々も同じようだった。照れたように少し頬を赤くしていた。


「道花さんもその……わたくしのことを意識されてましたのね」

「うん、璃々ちゃんの剣も悪くはなかった」


 道花の見たところ、璃々の剣は道花には及ばないまでも良い線は行っていると思った。

 それを璃々は挑戦と受け取ったようだ。不敵に笑んで答えた。


「ここからは負けませんわよ」

「わたしも。璃々ちゃんに負けないように頑張る」


 そんなことを話し合っているうちに短い時間は過ぎ、始業式の始まる時間となった。



 

 集まった生徒達が静粛に見守る前で、校長先生が登壇して話を始めた。

 学校の偉い人にしてはまだ若いといえる男の先生だ。

 彼は張り上げなくてもよく通る深みのある声で言った。

 さすがは剣を教える学校の校長先生。素人ではないなと道花は思った。


「君達、入学おめでとう。みんなももう知っていることだろうが、ここは古くから剣を教えてきた学校だ。と言っても普通の授業ももちろん行うので気を抜かないように。我が校のルーツは遥か昔の天剣の武芸者にまで遡り……」


 道花は学校をよく調べたわけではないが、祖父から聞いて知っていることだった。

 祖父は剣の先生をしていたので、剣を教える学校のこともよく知っていたのかもしれない。

 道花が何とは無しに前にいる璃々の後ろ頭を見ながら聞いていると、その凛々が不意に振り向いて声を潜めて話しかけてきた。


「そう言えば、道花さんは校長先生のあの噂を知っています?」

「あの噂?」


 よく聞こうと体を近づけて顔を寄せようとすると、璃々は赤くなって後ずさった。


「道花さん! 顔近いですわ!」

「ごめん」


 小声で注意された。

 不用意に相手の間合いに踏み込んでしまったようだ。

 お互いに剣士なのだから気を遣うべきだったのかもしれない。道花は少し反省した。

 璃々は気を取り直して話を再開した。


「実はあの校長先生はかつて天剣を振るった剣豪の末裔だそうですのよ」

「え? そうなんだ」


 となると天剣というのも実在するのだろうか。道花は考えてしまう。

 興味を引いたのを嬉しく思ったようだ。璃々は顔に浮かぶ笑みを深くして瞳を光らせ、話を続けた。


「道花さんぐらい剣の腕前の立つ実力者だったら、きっと彼と勝負をしたいと思うことでしょうね。この学校に来たのもそれが目的なのですか?」

「え? どうかなあ」


 道花がここへ来たのはただ祖父に薦められたからだった。

 でも、馬鹿正直にそう答えるのもまた璃々に馬鹿にされそうな気がしたので、適当に誤魔化してしまった。

 はぐらかすような返事を、璃々は道花の余裕と受け取ったようだ。


「フフ、今は話を伺うことにしましょう」


 笑みを残し、再び前を向いて校長先生の話に注意を戻した。

 道花は考える。璃々の頭から檀上へと目を移し、あの校長先生は強いのだろうかと。

 彼は強いというよりも優しいように見える。

 経験の豊富な祖父ならすぐに相手の実力を見抜くだろうが、あいにくと道花はそれほど多くの相手と戦った経験があるわけでは無かった。

 校長先生の話が次に移る。


「ここで発表があります。実は本校は去年まで女子校だったのですが、今年から男の新入生も迎えることになったのです」


 途端に周囲がざわざわとざわめき出す。道花はすでに聞いて知っていたが、それでもやっぱりちょっと驚いてしまった。

 周囲の声が耳に届く。困惑している人もいれば、興味を持っている人もいるようだ。反応は様々。


「男」

「男ですって」

「がやがや」


 生徒達にざわめきが走る。

 それも当然かもしれない。去年まで女子校だったところに男が来るなんて聞かされては。

 璃々は驚いていないようだった。道花の方を振り返った彼女の顔は冷静だった。


「皆さん、自分で情報は集めないのでしょうか。そういう話はしばらく前から出てたんですけど」

「そうだねー」


 余裕しゃくしゃくで呟く璃々に、話を振ろうとしていた道花は慌てて自分の言葉を呑み込んで同意した。

 危ない危ない。せっかく璃々と打ち解けられたのに、また何も知らない田舎者だと馬鹿にされる口実を与えてしまうところだった。

 道花は当たり障りの無いように友達と話を合わせることにした。


「だよね。ちょっと聞けば分かることだよね。わたしも聞いてたよ」


 嘘は言っていない。ただ今朝たまたま聞いただけというだけのことで。

 璃々は少し笑い、さらに自慢そうに言ってくる。


「ええ、それで入学してきた男がただ一人だけということもわたくしの情報網では掴んでいますわ。その男はいったいどんな特別な能力を持った最強さんなんでしょうね」

「うーん、わたしと戦う機会があるかなあ」


 璃々の好戦的な強気の眼差しが語る意味を道花は分かっている。

 その男と道花が戦ったらどっちが勝つのかと考えているのだ。

 道花は璃々に勝っているから、璃々がその勝敗を気にするのは当然と言えた。

 勝っても負けても彼女からはネタにされそうだ。


 その男でただ一人入学してきた特別な最強さんとはどんな人物なのか。

 彼のことを知るのは思ったより早かった。ていうか、もう今朝会って知っている人だった。

 式に間に合ったことでもうすっかり過去のこととして切り離してしまっていた。

 その記憶が今蘇る。

 呼ばれた男が檀上に上がり、道花が今朝会った彼を校長先生は紹介した。


「彼が本校始まって以来初めての男の生徒、秋風勇一(あきかぜ ゆういち)君です」


 みんなの視線が彼に集中する。彼は制服を着ていた。そのことに道花は安堵する。


「男だわ」

「男よー」


 周囲の女子達がふんわりした声を上げていく。別に男なんて小学校で見てきたのだから珍しくないと道花は思うのだが。

 璃々はつまらなそうに呟いていた。


「たいしたこと無さそうな相手ですわね。でも……」


 そして、璃々は道花の方を振り向いて言った。怪しい笑みを浮かべながら


「あなたの例がありますからね。能のある鷹が爪を隠しているのかもしれません」

「わたしは別に何も隠してないんだけど……」


 正々堂々と戦ったはずだ。道花はそう思っていた。

 会場の視線が男に集中する中で、校長先生はさらに発言した。


「みなさんの中では彼のことが気になる人もいるでしょう。そこで知ってもらうために決闘を行うことにしました」

「決闘ですって」

「がやがや」


 周囲の女子達がざわめき出す。それはそうだろう。剣を教える学校とは言え、女だらけの学校で決闘なんて穏やかな言葉ではない。

 璃々は平然とした態度を維持したまま、道花に向かって訊ねた。


「誰があの男の相手をするのでしょうね。道花さん以上に腕の立つ生徒がいるとは思えませんし、先生でしょうか」

「いっぱいいると思うよー」


 こんなことで周りの生徒から敵意を向けられてはたまらない。

 道花は別に自分が一番だとは思っていないし、璃々も不用意に相手を見下すような発言は止めた方がいいと思うのだが。

 璃々は余裕のようだった。


「ご謙遜を」

「あはは……」


 この子はこの子で度胸のある子だなと道花は思うのだった。

 周囲のざわめきが収まるのを待って、校長先生は話を続けていく。

 道花と璃々は話に意識を戻す。


「彼と決闘を行うのは、新入生で一番腕の立つ生徒とです」


 へえ、誰だろうと道花は他人事のように思った。

 周りの生徒達は対象が生徒だと聞いて、わいわいがやがやとざわめいていた。


「まさかわたくしとは言いませんわよね」


 璃々も一応はその可能性を考慮したようだ。ちょっと緊張していた。

 道花に負けたとはいえ、彼女も優秀な成績を収めているし、何と言っても地元のお嬢様なので可能性はゼロでは無いと思った。

 田舎から出てきたばかりの道花が戦うよりも、都会の地元で名を馳せた彼女が戦った方がお互いの強さが分かりやすいだろうとも思う。

 校長先生が紹介する。その新入生で一番腕の立つ生徒を。


「春日道花さんです!」

「ほわっ」


 いきなりスポットライトが当たって、道花は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 璃々は緩やかにため息を吐いていた。


「やっぱりそうなりますわよね……」

「春日道花さんは檀上に上がってください」


 司会の人に呼ばれて道花は戸惑ってしまった。璃々が応援のエールを送ってくれる。


「行ってらっしゃいな。わたくし達の代表として! がつんと!」

「う……うん!」


 断れるものなら断りたい気分だったが、こうも注目を集めてしまっては逃げ場が無かった。

 周囲のみんなが道花を見ている。今日は入学式。これからこの学校で暮らしていくというのに、逃げて生き恥をさらしたくはなかった。


 道花は覚悟を決めて檀上へ望んだ。

 何で田舎から出てきたばかりの自分が都会の学校の代表選手になってしまったのか。

 檀上からみんなを見てそう思う。

 みんなは別に道花が新入生で一番だと言われたことを嫌悪しているわけではないらしく、ただ珍しそうに見ているだけだった。

 そりゃそうだ。道花だって別に嬉しく思ってここに上がったわけじゃない。

 それでも気落ちする態度を見せるわけにはいかないので、せめて背筋を伸ばして堂々とすることにした。

 道花は中央まで来て、足を止めた。


「みんなに挨拶を。どうぞ」

「はい」


 校長先生に優しく促されて、道花はマイクを取ってみんなの方を向いた。

 当たり前だけど知らない顔ばかりだ。見渡すとやはり緊張する。

 知っている顔は璃々だけだった。その彼女から応援のオーラを受け取って、道花は思い切って発言することにした。


「初めまして。校長先生から紹介に預かりました春日道花です。決闘? というのはよく分からないんですけど、要は試合をするんですよね。恥ずかしくない試合が出来るように頑張ります」


 周囲からそれほど大きくない拍手が上がった。わりと疎らだった。

 まあ、いきなりのことだし、みんな道花のことも決闘のことも知らないし、当然といえば当然かもしれなかった。

 困った笑みで、拍手している璃々に返す。

 いつも強気な彼女が顔を赤くして伏せてしまった。今は仲間と思われたくなかったのかもしれない。

 それでも道花がやりきった思いで隣を見ると、なぜか不機嫌そうな様子の勇一と目が合った。

 道花の決闘の相手は不機嫌そうな気持ちを隠そうともせず挑発的に言う。


「まさか今朝会ったお前が噂の最強少女だったとはな」

「噂? 最強少女って……」


 そんなこと言われたことのない道花はちょっと恥ずかしくなってしまう。

 知っている範囲で答えることにした。


「まあ、校長先生の紹介では一番の成績だったらしいね」

「へっ、自慢してやがる」

「いやいや、別に自慢してるつもりはないんだけど」

「そういう最強のお前に一つ教えておいてやる」


 何だろう。彼は妙に敵対心をぶつけてきた。今朝の事を怒っているのだろうか。

 あれは道花にとっても災難だったし、もう忘れたいのだが。

 生徒達の見ている檀上だし、璃々も見ているので、ここで見苦しく言い訳をするつもりはなかったが。

 彼は言う。別に自慢しているわけではないだろうが、堂々とした口ぶりで。

 何だかよく分からないことを。


「俺は前の学校では最弱と言われてたんだぜ」

「最弱?」


 それが何だと言うのか、わざわざ自慢することなのだろうか。道花にはよく理解できなかった。

 彼の体格は平均的な男子とは思うが、実力はそれだけでは測れない。祖父が自分よりも大きな相手を投げ飛ばしているのを道花は見ているし、道花だって山で大きな熊を倒している。

 彼はもしかしたら剣を扱うのが苦手なのだろうか。

 道花は何とか今の状況を呑み込んで言葉を返す。


「えーと……唯一の男子生徒である君? ……に決闘で手加減しろって言うこと? そちらが剣の初心者ならわたしも配慮するけど。決闘なんてよく分からないけどね。えへへ」

「舐めやがって。だが、その日は見ていろよ。最弱が最強を倒すところをな」

「???」


 道花は困惑した。どうも彼は自分が最弱だと言いながら最強と呼んだ道花を倒すつもりでいるようなのだ。

 どういう思考回路なのかよく分からなかった。

 まあ、勝負ならやることは決まっている。勝つことだ。

 道花は気を取り直して宣言した。


「真剣にやろうってことなのよね。いいよ、やろう」


 道花はやる気になって答える。

 会場の生徒達の中にはあくびをする生徒もいれば、雑談する生徒もいる。

 男子なら決闘の話に盛り上がったのだろうが、女子はあまり関心のない様子だった。

 緩んできた会場を、最後に校長先生の話がまとめた。


「では、決闘の日をお楽しみに」


 そして、式は解散となり、みんなはそれぞれの教室へ向かうことになった。

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