第6話 天剣の継承者

 始業式のあった今日は半日もせずに学校は終わりだ。

 授業はせず、ホームルームだけだった。

 これからのことやお互いの自己紹介や教科書等の配布が主な内容だった。

 道花が机の荷物を鞄に纏めて立ち上がろうとすると、璃々が声を掛けてきた。

 彼女の顔に前の休み時間のような不機嫌さはなく、いつもの明るいさばさばしたお嬢様の顔をしていたので、道花はひとまず安心した。


「道花さん、もしよろしければこれからわたくしとご一緒しませんか? 田舎から出てきたばかりでこの辺りの地理には不案内なことでしょう。町をご案内してさしあげますわ」

「えーと……」


 道花は考える。用事は特にない。

 クラスメイトに迷惑は掛けたくないが、好意で言ってくれているのなら断るのも失礼か。


「それじゃあ」


 道花はありがたく申し出を受けようと思ったのだが、その前に放送が鳴った。


『一年生の春日道花さん、校長室へお越しください』

「ちっ、何の用なんでしょう」

「さあ」


 今舌打ちした? まあ、どうでもいいことか。呼ばれたなら行くしかない。

 道花は答えようとした言葉を止めて、校長室に行くことを決めた。


「ごめん、わたし行ってくるから。璃々ちゃんは先に帰ってていいからね。誘ってくれてありがとう。またね」

「道花さん…………もう!」


 教室を出ていく道花の背中を見送って、璃々は不満に頬を膨らませて床を蹴っていた。



 呼び出された道花は廊下を歩いて階段を昇り、校長室へとやってきた。

 歴史のある名門の学校は内装も立派だ。

 由緒と伝統ある女子校だけあって、学校の内装も歴史を感じさせるようなアンティークさと立派な風格を感じさせる物だった。

 足を止めた道花の前に、木製の立派な扉が立ちはだかっている。

 ちょっと緊張する。

 さて、呼ばれたのだからいつまでも立っているわけにはいかない。

 道花はノックして入ることにした。軽くノックすると中からの声が返事をした。


「どうぞ」

「失礼します」


 思い切って部屋に入ると校長先生は正面の立派な執務机の向こうで待っていた。道花は彼に促されるままにその前の席につき、校長先生は仕事の手を止めて、道花の対面に座った。

 校長先生の優しいおじさんの目が道花を見る。道花はただ緊張して背筋を伸ばしただけだった。


「よく来てくれたね、道花君。君はもう覚えていないだろうが、君が幼かった頃に、僕は君と会っているんだよ」

「え? そうなんですか?」


 思わぬ言葉に、道花は顔を上げて校長先生の顔を見る。その優しい年上の彼の顔に、やはり思い出せる面影は無かった。

 校長先生は柔らかく微笑んで言った。


「君はおじいさんの名前を知っているかい?」

「えっと……山衛門(やまえもん)ですけど」


 おじいさんと言ったら、道花に剣を教えてくれた祖父のことだろうか。

 校長先生は天剣を振るった武芸者の子孫だと璃々が言っていたことを思い出す。

 剣を扱う者同士、繋がりがあるのだろうか。そう考えた道花の推測は正しかった。


「君のおじいさんは昔はソードマスターと謳われたほどの剣の達人として名を馳せていたんだ。僕は彼こそが天剣を振るうのにふさわしいと考えて彼の元を伺ったんだよ。まだ君が小さかった頃にね」

「おじいちゃんって、そんなに凄かったんですか?」

「ああ、ソードマスター山衛門と言ったら知らない人はいないぐらいにね。僕は彼のような達人にこそ天剣はふさわしいと考えたんだが、断られてしまったんだ」

「そうなんですか」


 道花にはなぜ祖父が断ったのかは分からない。だが、祖父には祖父の考えがあるのだろうと他人事として思った。

 気を取り直して、道花は今度はこちらの気になったことを訊くことにした。


「璃々ちゃんにも聞いたんですけど、校長先生って天剣を受け継いでおられるんですか?」

「ああ、今も僕の手元にあるよ。そして、山衛門さんの仰られた天剣を振るうのにふさわしい武芸者も今はこの学校にいる」

「え!? そうなんですか!?」


 道花は思わずびっくりして瞬きして身を乗り出してしまった。天剣が本当にあるのにも驚いたが、お爺ちゃんが認める、そんな凄い人がいるなら見てみたいと思った。

 その反応が面白かったのか校長先生は笑っていた。


「山衛門さんは僕にこう仰られたんだよ。自分は天剣は使わない。使う者は自分が見極めて育てるとね」

「へー、そうなんだー」


 道花は思い出してみる。田舎で祖父の元を訪れていた人達の姿を。あの中に天剣を扱えるほどの実力者がいたのだろうか。

 道花にはピンと来る人がいなかった。

 校長先生は微笑みながら、道花に向かって古びた年季の入った剣を差し出した。


「というわけで入学おめでとう。これからは君が天剣の所持者だ」

「え!?」


 道花は一瞬何を言われたのか分からずフリーズしてしまった。ぎこちなく差し出された剣を見た。


「これって、まさか……」

「そう、天剣だよ」


 校長先生はにこりと笑む。子供を騙すいじわるな大人のようには見えなかった。

 勢いよく扉の方を振り返ってみても、ドッキリ大成功が踏み込んで来そうな気配は無かった。

 正面に目を戻す。息を呑む。

 その剣が立派なのは道花にはすぐに分かった。慌てて断った。


「こんな大事な物、いただけません!」

「ソードマスターと呼ばれたほどの達人が君を推薦してくれたんだよ」

「お爺ちゃんの世迷言かもしれません!」

「いや、ソードマスターの見立ては正しかったよ。僕も入学試験の君を見ていて、君ならこれを上手く使ってくれると確信したんだ。君は小学校で無敗の女王と呼ばれたあの財前璃々にも軽く勝ってみせた。まさに神童だよ」

「璃々ちゃんはきっと手加減してくれたんですよ!」

「僕にはそうは見えなかったけどね。ともかくこの剣は今日から君の物だ。受け取ってくれるね」

「はい……」


 断る言葉ならいくらでも連ねることが出来ただろう。だが、剣が自分を呼んでいる。道花にはそう感じることが出来た。

 だから、緊張と興奮を胸に抱きながらも、受け取ることにしたのだった。

 ずしりとした重みが道花の手に伝わった。それはただの剣としての重さだけではない。長い歴史に伝わってきた思いの重さのように感じられた。

 道花はじっと手に取った剣を見た。ぱっと見ではただの年代物の剣にしか見えないが、道花の目はその中に秘められた力を見抜いていた。


「この剣、まだ眠ってますね」

「さすが道花ちゃんには分かるね。戦うべき時が来た時、この天剣は覚醒すると伝えられているんだ」

「ならその時のため。精進して参ります」

「うん、頑張ってね」

「はい」


 そして、道花は校長先生に礼をして、部屋を出ることにした。

 今日からこの剣に慣れていこう。ふさわしい武芸者になろうと思いながら。

 廊下に出てドアを閉めて歩き出そうとして驚いた。すぐ足元に璃々がいた。彼女は涙ぐんで跪いて頭を廊下の床に付けていた。

 いわゆる土下座の姿だった。


「今までの御無礼をお許しください! まさかあなた様があのソードマスター山衛門のお弟子さんだったとは!」

「ちょっと、璃々ちゃん止めて!」


 道花は慌てて周囲を見るが、幸いにも見ている人の姿は無かった。勇一や楓に見つかりでもしたら、またネチネチギーンとした喧嘩に発展するところだった。

 ほっと安心する道花の足元で、頭を下げた璃々の謝罪は続く。


「その上、天剣まで継承なされるなんて! わたくしは何て恐れ多いお方に偉そうな口を聞いていたのでしょう!」

「いや、璃々ちゃんは友達だから! 良くしてくれてたよね? て言うか、校長先生との話聞いてたの!?」


 部屋には二人きりだったはずだ。璃々の姿は無かった。扉もきちんと閉めたはずだ。開けて出て、今もきちんと閉めている。

 璃々は懐からコップを取り出した。普通のどこにでもある透明なガラス製のコップに見えた。


「それはこのコップを耳に当てまして」

「ん」


 道花はとりあえずそのコップを没収しておいた。また聞かれないように。

 このコップに水を注いで、いつまでも頭を下げている璃々に水をぶっかけてやったらどんな反応を見せるだろうかと考えてしまったのは内緒だ。

 いじわるな妄想は横にどけて、道花は優しく仲の良い友達の肩に手を置いた。

 見上げる璃々の瞳には涙が込み上げていた。


「璃々ちゃん、もういいから。今まで通り友達として接してくれた方がわたしも嬉しいから。ね?」

「道花さん……あなたは凄い力を持ちながら、ひっそりと目立たず暮らしたいと。そう仰られるのですね」

「いや、そこまでは言ってないけど。普通に仲良く友達として学校生活を暮らしていけたらいいかなって」

「分かりましたわ。それでは普通に……参りましょうか」

「うん、普通に。よろしくね、璃々ちゃん」


 道花の差し出した手を璃々はしばらく見つめ、やがて目尻の涙を振り払って握手してくれた。

 璃々はやっぱり良い人だった。ただ不器用なだけで。

 慣れていないのは道花も一緒だ。ともに学校生活を学んでいこうと思ったのだった。

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