第3話 ショーコの場合
空港から離陸した赤と緑のラインディング・ライトが灯るジェット旅客機最終便は、ポートタワーの曲線に沿ってうねるように飛び去った。マスターは店先に出してあったウエルカム・ボードや、パラソルを畳んで、店じまいを始めた。閉店時刻は決めていない。おおよそ最後の客が帰って、次の客が30分以上たっても現れないと、いそいそと閉店準備を始める。
家で夫の帰りを待つ妻のシンディに電話をかけた。
「I'll be back home―今から帰ります。」
「オツカレサマデシタ。Now, I am making your favorite―チキンナンバン」
受話器の後ろでは、チキンを揚げる音がする。
「Thanks, After later・・・」 とマスターは言い電話を置くと、大急ぎで店の仕舞をする。
片付けを終わらせ、店の照明を消して外に出た。
交差点を行き交う車が途切れた時、向かい側の歩道に立っていた、スカイブルーのスーツケースを引きずった、背の高い痩せた女と目が合った。
「お店―――終わってしまいました?」
「―――ああ、ごめんなさい、たった今終わってしまって。」
「そうですか。明日は何時から開いてますか?」
「明日は10時から開いています。」
「分かりました。」
はて? どこかで聞いたことのある声……。
マスターは信号が青に変わるのをじれったく待ちながら、頭の中で、
(もしや……ショーコ・ヤマグチ?) と何度もつぶやく。
ショーコ・ヤマグチとは、ハリウッドで活躍する新進気鋭の女優だ。
最近では、リメイクした「赤と黒」のレナール婦人を演じた
マスターは、慎重に慎重に声をかける。
「あの……人違いでしたらごめんなさい。もしかしてショーコ・ヤマグチさんではないですか?」
背の高い女は、コクリと頷き「赤と黒」のセリフらしきものをつぶやく。
「―――it was delight……」
「……大変失礼いたしました。ショーコ・ヤマグチさん。さあ、どうぞ」
マスターは店の鍵を開け、照明をつけると、彼女が好んで飲むレモネードを作り始めた。
レモンの甘酸っぱい香りがあたり一面に漂う。
密度の濃いアンゼリックのカウンターに座るショーコに、柔らかなスポット・ライトが当たる。
透き通るほどの肌の白さは、マリリン・モンローを、
少し上を向いた鼻は、ベティ・デイビスを、
やわらかな濡れたその唇は、イングリッド・バーグマンを思わせた。
ただ、その瞳だけは微かに憂いを帯びているようで、差し当たりジャンヌ・モローと言った感じだろうか……
―――ハリウッド女優のショーコ・ヤマグチがなぜこの町に?
そんな噂はすぐさま知れ渡って、
ショーコを一目見たさに、芸能記者や野次馬がこの店に押し寄せるかも知れない。
その時が刻一刻と迫っているかも知れないと思うと、今、自分は何をすべきなのかを考えるのだが、これといった良いアイディアは思い浮かばない。
「あの……」
「……?」
「わたしはお客様が心地よくこのカフェで過ごしていただくことを望んでおります。」
「ありがとう。”there shall be no more cakes and ale" 私を覚えていてくださったのですね……」
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