IX 長電話
1
博士の食事が終えて食器を片付けて、僕は博士にお茶を出しながら言った。
「何か進展があったら僕にも知らせてくれませんか?」
「なぜですかあ?」
「気になるので」
「気になりますかあ、気になりますよねえ、だって面白いですし……恭子にはあまり周りに話しまくるなとは言われているのですが、まあ救世主君ならいいですよねえ? ご飯作ってもらいましたしい」
博士はずぼらに見えて、意外と律儀な人だった。
「それじゃあ救世主君の連絡先を教えてくれませんかあ?」
「携帯の電話番号でいいですか?」
僕が確認する。
「それも欲しいですけど、メールアドレスももらえるとなおいいですねえ」
博士が言った。
「わかりました。gメールのアドレスも渡しときますね。こちらから博士に連絡するときはどうしたらいいですか?」
「ケータイに電話するのが一番確実で早いですねえ。待ってください、私も番号渡しておきましょう」
言いながら博士はポケットから携帯を取り出した。
「いやあ、電話番号って意外と忘れちゃうんですよねえ。自分のケータイに電話かけることなんてほぼないですしい」
その気持ちはわからないでもなかった。僕も人に連絡先を教えることなんてめったにないので、すぐには出てこない。実際、一番最近で電話番号やメルアドを人に教えたのはいつのことかすら思い出せなかった。
待て。
僕は今何かおかしなことを思わなかったか。
「あ、出てきましたあ。えっとお、私の電話番号はですねえ」
博士の言葉に思考が遮られる。僕は博士の電話番号を電話帳に登録した。
確認のため博士に一度電話を掛ける。すぐに博士の携帯からけたたましい音楽が鳴り響いた。曲は『キン肉マンGO FIGHT』だった。
「なぜキン肉マン……」
果てしなく似合わない。
「歌詞が好きなんですう」
博士は答えた。
どの辺が好きなのだろう。私はドジで強いつもりなのだろうか。それとも心に愛がないとスーパーヒーローでないあたりだろうか。
その音楽で思い出したので尋ねてみた。
「そういえば博士は『〇ンター×〇ンター』の最終巻って作りましたか?」
「『〇ンター×〇ンター』? いえ作ってないですよお? というか前も話しましたけど、未来の予測は今のところ全然ダメなんです。『〇ンター×〇ンター』の最終巻はまだ出ていないですよねえ? だから作れないと思いますう」
「……今はもう残ってない本は再現できるのに?」
「だから不思議なんですよお」
博士は声を荒げた。
「それで救世主君は今日はどうするのですか? 聖女ちゃんが戻るまで待ってるんですかあ?」
博士が聞く。僕は首を横に振った。気になることがあった。
「今日は少し調べたいことがあるので帰ります」
「そうですかあ」
「あ、それとイロハの携帯の番号とか知りませんか?」
「聖女ちゃんケータイの番号?」
博士が首をかしげる。
「知らないんですかあ? 兄妹なんでしょう?」
「兄妹と言っても5年もあってなければ、何も知らないもの同然ですよ」
なるほどお、と博士は頷いた。博士はイロハの連絡先を教えてくれた。
僕は博士に感謝を表し家を出た。
向かった先は駅前のホテル。
この町は地方都市だが、それでも新幹線が通っている程度には栄えており、ビジネスホテルは複数ある。
2
ホテルで休んでいると電話が鳴った。
「もしもし、兄さんですか?」
予想通り妹の声だった。
「僕だけど。イロハはもう帰ったのか?」
「はい」
妹の声が元気に返事を返す。
「どうだった」
「どうと言いますと?」
「いや、用事は首尾よくいったのか?」
「別に大した用事じゃないんです。首尾よく行ったというならば、無事に目的地に着いて、相手に会うことができればそれでお終いです」
妹の声は妙に上機嫌に聞こえた。
「やけに元気がいいけど、なにかいいことでもあったの?」
「わかりますか。実は最近悩んでいたことがあったんですけど、やっとわかったのです」
「それは今日の用事と何か関係があること?」
「いいえ、違います。それとは別の話です……それで兄さんの方はどうでした? 『〇ンター×〇ンター』の最終巻は見つかりましたか?」
「いや、そのものは見つからなかった」
「そうですか」
電話の声が残念そうに言う。
「でも、面白いものは見つけたよ」
「なんですか?」
「例の資料室あっただろ? あそこに面白いものがあってね」
僕は地下室を見つけたことを話した。そしてそこで奇妙な本を見つけたことも。
「存在しない本ですか。でもなぜそんなものを?」
僕の話を聞いた相手は不思議そうに言う。
「博士の話だとハインドキャストの結果だって言っていた」
「ハインドキャスト?」
「大昔の情報から昔の事実を予言できるかを確かめていたってことらしい」
「なるほど……それで、それはうまくいったのですか?」
「博士はうまく行ったと思ってるみたいだった。少なくとも、いろいろ成果物が出るということは、結果自体は出たということだと思う」
「それは確かにそうですね……そして本当の未来を予測しようとすると何も出てこないと?」
「もしも例の漫画の最終巻が出てくればよかったんだけど……博士は例の漫画は作れなかったと言っていた」
「そうなのですか? それじゃあ私の見間違いでしょうか?」
「わからない」
僕は話を変えた。
「ところで、僕は今日面白いことに気が付いたよ」
「面白いこと? なんですか?」
「その前に一つ聞きたいんだけど、君はどうやって僕のホテルの個室の電話番号を調べたんだ?」
「どうもこうも、兄さんの泊まっているホテルのフロントに電話をかけて教えてもらったんです」
「僕の泊まっているホテルはどうやって判断したんだ」
「駅前のホテルに片端から電話を掛けたんです」
「僕は今日駅前のホテルのいくつかに調べに行ったんだ」
「何をですか?」
「3日前に僕のことを聞く電話がかかってきたかって」
「……なるほど」
「そしたらどこにもそんな電話はかかっていなかったとわかったよ」
「……ああ、すみません忘れてました。確かにいろいろ電話を掛けようとはしたのです。けど最初のホテルで当たったので、実際には電話をしなかったんです」
「それじゃあもう一つ聞くけど、どうやって僕の携帯のメールアドレスを調べたんだ。僕はイロハには今まで一度も教えたことはなかったと思うけど」
「……」
声は黙り込んだ。
「お前は誰だ」
僕が聞く。
電話の向こうの何者かは答えない。
「本当に僕の妹か」
電話からは何も聞こえてこない。
「お前は何のために僕に電話をかけてきた」
「兄さん」
電話の向こうの何者かは言った。
「おやすみなさい」
突然電話は切れた。
そういえば昨日に比べて随分自然に電話が切れたな、と僕はなんとなく思った。
僕は昨日の妹からのメールに返信を送った。
それからしばらくして、携帯に電話がかかってきた。
「どうしたんですか、兄さん。いきなりメールなんて送ってきて。しかも電話番号も教えてくれるなんて、いったい何ですか?」
妹の声が尋ねる。
「いや、少し聞きたいことがあるんだけど、昨日僕にメール送ったよね」
「はい、そうですけど」
「僕のメルアドってどうやって調べたの?」
「母さんが教えてくれました」
「あの人が?」予想外の答えに僕は戸惑う。
「ええ、そうです」
イロハの言葉の意味を考える。確かにあの人ならば僕のメルアドを知っている。僕は小学生の時からアドレスは変えていない。
「……そういえば今日の用事ってどこに行っていたんだ?」
「いえ、それがおかしな話なんです」イロハが言った。「地元の政治屋さんのところに行ったんですけど、向こうも別に特に用事とかはなかったみたいで……」
「確かにそれはおかしい」
「まあお茶飲んで、少し話して帰ったんですけど」
「そういえば昨日は結構遅くに決まったみたいだけど、何があったんだ」
「母さんから連絡があったんです。明日用事ができたって」
「電話?」
僕が訊いた。
「いえ、メールです」
イロハが言う。
「なるほど……そういえば3日前の夜から毎晩僕に電話をかけてきてたりした?」
「いいえ、かけていませんけど……なんですか、妹の声が聴きたかったのですか?」
「そうかもしれない」
「……なんですか、兄さんやけに素直ですね」
「そうかな」
自覚はない。
「欲望に素直ですね」
別に欲望に素直になったつもりもなかった。
「それから最後にもう一つ聞きたいんだけど、イロハは最近声を録音したりした?」
「声を録音? どういう意味ですか?」
「僕もよくわかっていないんだけど、例えば歌を歌って録音したとか」
「いえ、そんなことしていませんけど」
「そうか……ならいいや」
少しの間沈黙が続いた。
「兄さん」
イロハはためらいがちに言った。
「なに」
「なんだかいやな予感がします」
「いやな予感?」
「ええ、とても悪いことが起きるような、そんな気がするんです」
「それは聖女の予言とか、そういうの?」
「いいえ」イロハはかすかに笑って言った。「女の勘です」
「……僕は今すぐそっちに行ったほうがいいかな?」
「いえ、そこまでは。とにかく気を付けてください」
「わかった」
僕は電話を切った。
それから少しして、また携帯電話が鳴った。
「あ、救世主君、やっとつながりましたあ、話し中でしたかあ?」
かけてきたのは博士だった」
「どうしたんですか? 何か進展でもあったのですか?」
僕が問うと、博士は「いいえぇ」と、否定した。
「でも、ちょっとおかしなことがあって、一応連絡しようかなあと」
「おかしなこと?」
「そうなんですう。すごく今計算が進んでるみたいなんですよねえ」
「計算が進んでる? どういうことですか?」
「未来の予測が上手くいかないっていうのは話しましたよねえ? それが上手くいかないからデータを集めてたんです」
「データを集める?」
「そうですう。例えば今から100年前までのデータだけと1000年前のデータまで入力したモデルでは後者の方が精度がいいっていうのはわかりますよねえ?」
「まあ、そうかもしれないですね」
「それでえ、前も言ったかもしれませんが、文字に残っている言葉っていうのは大体6000年前くらいのデータが限界ですう。だからそれ以前のデータっていうのは得られません」
僕は頷く。世界最古の文字である楔形文字が作られたのが大体6000年前。それ以前の言葉のデータは手に入れようがない。
「でもそれって本当ですかねえ? 私は6000年前の言葉がわかるなら、60001年前の言葉くらい、私のマシンなら予測できるはずですう」
博士の言葉の意味を考える。未来の予測ではなく、過去の想像、それは確かに可能だろう。
「でやってみたんですよお、そしたら8000年くらい前までは行けるんですけど、それより昔はすごく難しくなっちゃってそっちもダメだったんですう」
なんか博士は駄目ばっかりですね、と言いかけて僕は慌てて口をつぐんだ。さすがにそれはひどい言葉だと思った。
「で、すごく残念で、ああぁーって思ってたんですけよ、それが一か月くらい前の話ですう」
「はあ」僕は曖昧に相槌を打つ。話の終着点がわからなかった。
「でもですねえ」博士の声が急に元気になる。「それが昨日くらいからちょっとずつ進んでるみたいでえ、今日気づいたんですけど、なんかすごいデータがたまってるんですよお」
「……それは今も現在進行形でですか?」
「はいそうですう。だから、世界の最後の言葉はわからないかもしれないけど、最初の言葉はわかるかなあって、そう思ったりするんですう」
「世界の最初の言葉?」
「はい、そうですう。で、結構すごいかもしれないから一応連絡しようと思って」
博士の言葉が遠くなった気がした。
ふいに有名な聖書の一説を思い出す。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハネによる福音書。新約聖書におさめられた4つの福音書の中で最も新しい福音書の、冒頭の言葉。
最初に言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
「……博士に聞きたいんですけど、言葉とはどのような方法で入力していますか?」
博士に問う。
「どういう意味ですかあ?」
博士が聞き返す。
「文字や文章を取り込むのはなんとなく理解したいのですが、それだけですか?」
「いいえ、違いますう。だいたい世の中には文字を持たない言葉というのもあるんですよねえ。だから偏ったデータにならないためには音声や音楽も入力しないといけません」
「……例えば自分の音声を用いたり?」
「それもしてますけどお、自分の声だけだとオーバーフィッティングになると思うので周りの環境音とかも入れてますよお」
「環境音?」
「あーこれ秘密ですよお? 実は私の部屋の周りとか、聖堂とかにマイクこっそりつけててえ、それが拾った声とかも入力にしてますう」
「……つまりあの人やイロハの声も使ってる?」
「まあ必然的にそうなりますねえ……あーやっぱりまずいですかね、まずいですよねえ、まずいなあ、どうしよう。また恭子に怒られる」
「それは怒られてください」
「やだなあ、怒られるの苦手なんですよお……え?」
急に博士の声が途切れる。
「博士?」
電話の向こうからは何も聞こえない。
「何があったんですか?」
電話は何も返ってこない。
「博士!」
僕は叫ぶように言った。
しかし、電話は何も返してこなかった。
何の前触れもなく電話は切れた。
嫌な予感がした。
もちろん僕には何か特別な力とかはないし、ただの高校生だけど。
なにかすさまじく悪いことが起こっているような、そんな気がした。
僕はホテルを飛び出した。
『言葉の教会』までは走れば20分ほどである。
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