VII 地下室
1
最初は博士に直接聞いてみようと思った。
けれどそれはすぐに思い直した。
もしも仮に博士が漫画の続きを書けるほどのマシンを作れているならば、博士はそのことを隠していたということになる。
ならば素直に聞いても話してくれることはないだろう。
とはいえ、どこを探せばいいのやら。
そういえばイロハはどのようなタイミングでそれを見つけたのだろう。
僕はもう一度自分の家のことを思い出す。コミックなんてどこでも隠せる。
もう少し詳しく聞いておけばよかったと、後になって後悔した。
次の日、僕は実家を家探しした。
自分がかつて住んでいた場所を家探しするというのは変な気分だった。
僕は5年前ここに住んでいた。
5年前の僕は小学生だった。
小学生の僕は、ほとんどの分野において周りの人間より優れていた。勉強はやらなくてもできたし、体の動かし方もほかの同級生より上手かった。あまり好きな言葉ではないが神童だった。もっとも10で神童15で秀才20過ぎればただの人という言葉の通り、その後の僕はそんな輝くことはなかったのだが。
僕は家で救世主の役割を果たしながら、学校で神童をやったのだが。救世主として人の悩みを聞き、母に聞いたことを流していた。貧しい男のもとを訪問し話を聞いた。するとその男の病が治る。奇跡である。もちろん嘘だ。実際は母が医者を手配した。貧しい男は金がないから医者にかかれなかった。それだけの話だ。
僕は自分が普通なのだとわかっていた。
でも特別なのだと思っていた。
救いのない話である。
午前中いっぱいを使って調べてわかったのは、この家にはとにかく本が多いということだった。各部屋に備え付けられている本棚はもちろん、トイレの収納やキッチンの流しの下まで、行き場のなくなった本が閉まってあった。以前から母は読書家だったがこれほどではなかった。何か、凶器のようなものを感じる。母は狂ったのだろうか。とにかく、その中に紛れた一冊の本を探すことの難しさは推して図るべきだった。まさしく気を隠すなら人造人間、もとい木を隠すなら森の中である。
「木を隠すなら、ね」
その言葉で違う場所を思い浮かべる。家の中には確かに本がたくさんあったが、それでも生活する空間は確保されていた。それ以上に本ばかり詰まった場所がある。もしもあそこのどこかに紛れ込んでいたら、それこそ絶対に見つからないような気もするが……
僕は念のためにそこへも行ってみることにした。
資料室は相変わらず目も眩むほどの本の山だった。どこから探すべきか。僕はとりあえず漫画が固まっておいてある区画を探してみた。そこには山のような漫画があった。僕は無言で腕まくりをした。
さて、ここから例の漫画の最終巻は見つかるだろうか。
「……疲れた」
二時間ほど漫画の山の格闘した。もちろんお目当てのものは見つからなかった。
ていうかなぜ「〇ンター×〇ンター」の最終巻なのだろう。
単純に興味なのだろうか。
あの人が好きだとか?
まさか、と思うが否定はできない。僕にはあの人が何を考えているのかわからないのだから。
僕はもう一度あたりを見回した。
それにしてもすごい量の本である。
本だけではないけれど、とにかく文字が書かれた大量の資料。そこにはありとあらゆる文字がある。今も使われている文字、もう使われていない文字、誰にも読めない文字。文字が発生したのは世界で3か所しかないと言われている。中米。現在のメキシコに発生したマヤ文明が作り出したマヤ文字、中国の黄河流域で作られた亀甲文字、そしてメソポタミアで作られた楔形文字。この3つ以外のすべての文字は、別の場所から文字を輸入し、自分たちの言語を表すのに適した形に改造して作られたものに過ぎない。
この中で最も古い文字が楔形文字であり、そして一番多くの文字に影響を与えた文字もやはりマヤ文字だろう。亀甲文字でさえ楔形文字が伝わって作られたという説すらあるのである。
僕はいつの間にか資料庫の一番奥にいた。
そこには楔形文字を刻んだたくさんの粘土板――タブレットという――が並んでいた。
そういえば昔楔形文字の読み方というのを習ったことがある。
僕はなんとなく目の前にある石板を読んでみた。
そして不思議な気持ちになった。なんだこれ。そこにはたったの4つしか文字が刻まれていなかった。楔形文字は音節文字なのでそのまま4字の言葉に直せる。そこには、
『チカシツ』
と書かれていた。
ちかしつ、地下室?
資料庫には地下室なんてない。そしてアッカド語にチカシツなんて言葉はなかった、と思う。
「……」
僕は目を凝らして床を見た。床は床としか見えなかった。押してみる。何もない。思い切り踏んでみる。なにもない。
……さすがにそんなのありえないか。
僕は少しがっかりした気分になり、壁に手をついた。
と、その時。手元で何かがはまるような、カチッという音が聞こえて、壁がわずかに動いた気がした。
壁を見る。壁の一部がかすかにへこんでいる。
いやまさか、そんなものがが本当にありうるのか。
僕は力を込めて壁を押す。
壁が動く。もうすでに壁の一部がへこんでいることははっきりと分かった。僕は全体重をかけて壁を押し込んだ。壁はゆっくりと開いていき、その向こうには、ほの暗い階段が地下へと続いていた。
2
地下にあったのも図書館だった。
けれど地上と異なり、それほど本にあふれているわけではなかった。
むしろ本棚の多くの部分は埋まっておらず、まるで作りかけでやめてしまったようだった。
僕は棚に近寄り、その中の一冊の表紙を見た。マルセル・コスタという作者の『ロビンソン物語』という小説のようだった。知らない作者だ。最近の本らしい。隣を見る。『中庭の猟犬』というタイトルの小説だった。どこかで聞いたことがあるような気はしたが、読んだことはない。
なんだか拍子抜けしてしまった。
まるで普通である。なぜこんな風に隠すように置いてあるのだろう。
僕はもう少し探してみることにした。
そしてその本を見つけた。
真新しいハードカバーのその本はアラビア語で書かれていた。
その本の著者の名前は、アリストテレス。正確にはアリストテレスが書いたわけではない、それは今風に言えばアリストテレスの抗議を聞いた人が書き残した講義ノートである。抗議の名前は『詩学』。その第二部。
僕は死ぬほど驚いた。
それはかつて存在したが、歴史の闇の中で消えてしまった本のハズだった。
でもなぜここに?
そして先ほどの二つの小説をどこで見たかを思い出す。一冊はレムの『完全な真空』だ。存在しない本のレビュー集。そしてもう一つは『卵をめぐる祖父の戦争』、その中で主人公の仲間が書いてる本だ。
つまりここは、存在しない本の図書館なのだ。
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