VI 週刊少年ジャンプ

 1

 

 博士の話だと未来の言語を予測するのはうまくいっていないらしい。

 せいぜい一か月先の言語を予測するのが精いっぱい。しかも言葉なんて一か月じゃ何も変化しないだろうから、実質は何もできていないに等しい。

「だからイロハが心配するようなことはないんじゃないか」

 イロハは僕からの報告を黙って聞いていた。

 美しい石像のように黙り込むイロハは美しいが、少し怖い。

 怖い?

 なぜ?

 僕がなぜ妹を怖がる必要があるのだろう。

「そうですか」

 しばらくして、イロハはようやく口を開いた。

「だからあれはあの人の妄想じゃないのか」

「あれ?」

「世界最後の言葉」

 僕の言葉にイロハは頷いた。

「確かにそうかもしれませんね。でももしかしたら私の妄想なのかもしれません。別に私も直接母さんからそういう話を聞いたというわけではありませんから」

「そういえばイロハはあの人のどんな様子から世界の最後の言葉がわかるって感じているって思ったんだ?」

「具体的にどう、と言われても難しいです。ただなんとなく、母さんがうきうきしているというか、そういう雰囲気を感じたのです」

「雰囲気?」

「世界が終わりそうな雰囲気です」

「どんな雰囲気だ……」

 僕はそういうもんなのかと頷いた。一緒に暮らしていなければわからないものがあるのかもしれない。

「で、これからどうするの?」

「どう、というと?」

「まだ調べるのか、それとも打ち切るのか」

「あそのことですか」

 僕の問いにイロハは少し考えこんだ。そして言った。

「でも、やっぱり私は気になります。理由とかは答えられないけど気になるんです。だから兄さんにはもう少し調査をして欲しいです。迷惑でしょうか?」

「いや」僕は首を横に振った。

「これくらいどうってことないよ」

「ありがとうございます……そういえばそろそろ夕食の時間ですね、今日はうちでご飯食べて行ってください」

「けど――」僕が口ごもる。僕がそれ以上のことを言えずにいると、イロハはあっさりと言った

「母さんなら今日は帰ってきませんよ。言ったでしょう? 出資者の方たちと夕食を食べると連絡がありましたから」

「……妹にそこまで気を使わせる兄貴ってのも、割と最低なんだろうな」

「ええ、そうですね」イロハが微笑む

「わかった」僕は頷いた。「久しぶりに実家でご飯も悪くない」

「何言っているんですか」イロハは呆れるように言った。「こんな美人の妹の手料理を食べられるんだから、悪いどころの話じゃありませんよ」

 

 2

 

 食事を終えて僕はホテルに戻った。

 シャワーを浴びて人心地ついて、僕は今日わかったことに思いを巡らせた。

 博士は機械学習の手法で未来の言葉を予測しようとしている。

 そのために、あの人は大量の言葉に関する資料を集めている。

 しかし、今のところ博士の方法は上手くいっていない。全然未来の言葉を予測するような精度が得られていないということだ。

 なぜだろう。

 博士の手法が悪いのだろうか。

 実装方法がいけないのだろうか。

 それとももっと根本的な何かに問題があるのだろうか。

 僕としては根本的に問題がある節を推したいところである。

 言語の変化なんてその時の技術や流行りなどに影響を受けものだ。例えば100年前の言葉からググるなんて動詞が生まれるなんて、どうやったら予測できるだろうか?

 だから博士の方法は根本的に間違っている。

 そう思う。

 じゃあ、イロハを怖がらせたものは一体何なのだろう。

 妄想?

 そうなのかもしれない。

 そうじゃないのかもしれない。

 電話が鳴る。

「もしもし?」

 電話口の向こうで女性の声が言う。

「私です」

 イロハだった。いやこれだけではイロハだとわからないかもしれないけど、声がイロハだった。

「何か要件があるのか?」

「別にありません」

 そうだろうなあ、と思う。

「兄さんと話がしたかったんです。迷惑でしょうか?」

「いや、いいよ。迷惑なんて何もない」

 僕が答える。

「……この言い方も卑怯な言い方かもしれないですね。こんな風に言われたら迷惑でも迷惑じゃないって言わざるを得ないです」

「少しそういう部分もあるかもしれない」

「つまり兄さんは本当は迷惑だったのに、迷惑じゃないと嘘をついていた」

「いや別にそういうわけじゃないけど」

「本当ですか? 本当に迷惑じゃないですか?」

「本当だって」

「怪しいです。兄さん優しいから」。

「いや本当に迷惑じゃないって」

「……この言い方も――」

「いやだからそこまで言われるとむしろ最高に迷惑だって言いづらいし、そこまで言われたら迷惑じゃなくても迷惑って言わなくちゃ逆に迷惑なんじゃないかっていう気分にすらなるよ!?」

 思わず長々と怒鳴ってしまった。電話の向こうのイロハがくすくすと笑った。

「……本当に用事とかないんだね」

「ええ、最初に言っているでしょう?」

「まあそうだけど」

 僕はため息をついた。

「でも、実は本当に全く何の用もないというわけじゃないんですよ?」

「え、そうなの」

 意外だった。イロハのことだから、ただ単に暇だからとかそれくらいの理由でかけてきているのだと思っていた。僕がそう言うと、イロハは「兄さんひどいです」と言った。

「せめてお腹空いたなあくらいの理由はありますよ」

「それはあまり変わってなくないか……」

 つまり用事と言ってもせいぜいお腹空いたくらいの理由なのか。ていうかお腹空いたからって電話を掛けるだろうか、普通。イロハの行動は謎である。

「で、用事って何なの?」

 僕が聞く。

「あの、今思い出したんですけど、母さんが本気だって思った理由、あれかなあっていうのがあったんです」

「え、なにそれ」

 僕は思わず身を乗り出す。

「ところで兄さんはジャンプを読まれますか?」

「ジャンプ? ていうとあの集英社の出してる漫画雑誌?」

「ええ、それです」

「定期購読はしてないけど、暇だったら読んだりする」

「意外ですね」

「意外か? 僕だって普通の男子高校生だぜ」

「兄さんって雑誌と言ったら厚さが一番大事ってタイプじゃないですか?」

「いや別に雑誌の購入基準が厚さだったことなんて一度もないけど」

「だって兄さんにとって雑誌=お腹に入れる防具っていう認識でしょう?」

「僕はヤンキーか」

 僕の言葉にイロハは笑った。理由がわからなかった。

「いやだって兄さんヤンキーの発音が面白い」

「面白い?」僕は首をひねった。

「普通ヤンキーって語尾を下げません?」

「僕は上げる」

 ヤンキー。

「あははははは」

 妹の笑いのツボがわからなかった。僕は話を戻した。

「で、ジャンプが何なんだ?」

「いえ、そのジャンプに乗ってる漫画なんですけどね」

 イロハは日本で一番、休載が多いことで有名な漫画の名前を上げた。

「あれの最終巻ってまだ出てないですよね?」

「まだ出てないな」僕は頷く。最終巻どころか次の単行本すらいつ出るかわからない。今の調子だと、本当に生きているうちに最後まで読めるかすら心配になってくる。

「でもそれがどうしたんだ?」

「あるんです」

「え?」

 僕は一瞬何を言われたのかわからなかった。

 イロハが言う。

「うちにはその最終巻があるんです。私母さんがそれを持っていたの見たんです」

「でもまだないんだろ? どうしてあの人の手元にそれがあったんだ?」

「だからこれも世界の最後の言葉と関係しているんじゃないかって、そう思うんです。世界の最後までわかるのなら、漫画の続きくらいわかって当然じゃないですか?」

 僕がそのあとの言葉を引き継ぐ。

「逆に漫画の最後まで予測できるようになっているのなら、世界の最後が見えるのも近いと?」

「はい」

 電話の向こうでイロハが頷いた。

 にわかには信じられない話だ。

 しかし。

 僕は今日の博士の話を思い出す。例えばたくさんの漫画を学習したネットワークを作って、それで漫画の最終巻を予測したとか、そういうことだろうか。

 僕は頭を振って妄想を吹き飛ばした。ありえない。そんなことできるはずがない。

「今もきっとどこかにあると思います」

 電話の向こうのイロハが言う。

「わかった。それを探してみる」

「お願いします。でも、すみません。ちょうど明日から少し遠出しないといけなくなって――またメールで細かいことは伝えますね? とにかく明日は一緒に行動できないみたいです」

「わかった。じゃあ明日は僕一人で調べてみるよ」

「はい。お願いします」

「ほかに何か用事はない?」

「いえ、とくにないです」

「そうか」

「……」

 イロハが黙り込む。僕も自然に黙り込んだ。

「……」

「……」

「………………………………」

「……イロハ?」

 なぜ、何も言わないのだろう。

「兄さん」

「なに?」

「電話ってどうやって切ればいいんでしょう?」

「どうって……」

 どうと言われても困る。

「固定電話なら受話器を戻せば切れるし、スマホなら画面のどこかをタッチすれば大概の機種では切れるんじゃ」

 僕が言うと電話は突然切れた。

「……」

 僕はまじまじと受話器を見た。何だったんだ今のは。釈然としない思いと共に受話器を戻す。戻したとたん、電話は再度なりだした。

 受話器を取る。

「……もしもし」

「今のは違う気がします」

 間髪入れずにイロハが言った。そりゃそうだろうと思った。

「電話切るの苦手なのか?」

 僕が聞く。

「別にそういうわけじゃないのですが……スランプ?」

 電話切るのにスランプとかあるのか。

 知らなかった。

「ってそんなわけあるか」

「すみません、今のは冗談で、実は苦手なんです」

 イロハは白状した。

 気持ちはわからなくもない。目の前に人がいて話している時と、電話で話している時のでは何か違う。けどだからといって、どうしろとアドバイスするのは難しい。世の中には流れとか習慣としか説明できないものがある。

「とにかく、『じゃあね』とか『おやすみなさい』とか『失礼します』とか言いながら切ればいいんじゃない」

「そんなに簡単な話でしょうか?」

「簡単かは知らないけど、とにかくやってみればいいんだよ」

「でもその三つの中でどれを言ったら……」

「適当でいいんだよ」

 イロハは半信半疑という様子で首をかしげる。もちろん見えているわけではない。ただきっとそうしているんだろうなあ、と感じるのだ。

「じゃあ、兄さん」

「なに」

「その、おやすみなさい」

「ああ」

「失礼します」

 ふんすという鼻息が聞こえて電話が切れた。

 結局僕が提案したものは全部言ったらしい。

 それにしてもイロハ意外と子供っぽいところがある。ああ見えて高校生――高校生でこれはヤバいという気がしないでもない。

 メールが届く。

 メールの中でもイロハは明日会えないことを誤っていた。

 

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