V-2 学習

 

 2

 

「お二人はチョベリバって言葉ご存知ですかあ」

 博士の言葉にイロハが鼻を鳴らした。

「それくらい知ってます。昔のテレビ番組でしょう?」

「テレビ番組?」僕が首をかしげる。

「10代の少年少女がしょうもないことについて熱い議論を繰り広げるんです」

 それはしゃべり場ですうと博士が言う。

「チョベリバは20年くらい前んい使われた略語ですう」

 そういえば何かで聞いたことがある。

「チョベリバはちょうべりーばっどの略でえ、まあ awsome とかヤバいとかと同じなんですけど、いわゆる昔のギャル言葉ってやつですう」

「はあ、それでそのチョベリバが何なんですか?」イロハが聞く。

「別にチョベリバ自体に意味はありません」

「じゃあなんで言ったんですか?」

「つまりたったの20年で言葉なんて全然変わってしまうってことが言いたかったんですう」

 博士が当たり前のことを言う。そんなの少し前の小説でも読めばわかるし、あるいはYou Yube に上がってる昔のテレビ番組を見てもわかる。同じ日本語でも20年前の言葉と今の言葉は結構違う。100年前の言葉と今の言葉は全然違う。もっと昔の言葉は更に違うだろう。きっと僕たちが1000年前の言葉を聞いても理解できないだろう。

「言葉は変化していきますう。一つの例は先ほどのチョベリバです。よく使われれば言葉は短くなる傾向がありますう、同じ言葉を何度も言うのは面倒ですからあ」

 博士の言葉を考える。

「つまり博士はその言葉のダイナミクスみたいなものを調べていたってことですか?」

 僕が言う。

「そうですう」

 博士は頷いた。

「人と人とが意思を伝えあうためには言葉を使わなければなりません。でも言葉はどんどん変化していきますう。それはすごく不思議でした。だっていちいち言葉を変えるなんtね非効率極まりないじゃないですかあ?」

「別に効率が悪いとは限らないでしょう。それこそさっきのチョベリバです。何度も行く言葉を短縮形にする。それで伝わるならその方がより効率的です」

 イロハが言う。

「そうかもしれません。そうじゃないかもしれません。だから私はそれを調べていたんですう」

「そしてその手段が機械学習だと?」

 博士は頷いた。

 その時階下から声が聞こえてきた。イロハがちらりと時計を見てため息をついた。

「私そろそろ行かなくちゃいけません」

「何か用事?」僕が聞く。

「ええ、ちょっと信者の方の相談に乗らなくちゃいけないんです。なんてったって私、聖女ですから」

「大変だね」

「ええ、でも救世主様が戻ってくれば少しは楽ができるんですけどね?」

「救世主に頼るなんて馬鹿な真似はやめた方がいい。その場ではいいかもしれないけど、その後2000年くらい残る深い禍根を残すことになるかもしれないから」

「そうですね。その代わり、兄さんは博士の話聞いておいてください」

 僕がうなずくのを見て、イロハはドアに手を掛けた。

「あ、でも兄さん」

 ドアの手前でイロハが振り向く。

「私がいないからって博士にエロいことしちゃだめですよ」

「……あのなあ」

「やるなら私がいるところでしてください」

「誰がするかッ!」

 イロハは軽やかな笑い声を残して、今度こそ部屋を出て行った。

 僕はため息をついて博士に向き直る。博士はおびえるような目で僕を見ていた。

「あのお、私を襲うと大変ですよお??」

「大変って何がだろうか」

「私に危害を加えた瞬間、この部屋に潜んでいる護衛用のアンドロイドが暴漢に襲い掛かる仕組みなんですう」

 僕はもう一度ため息をついた。もしも本当にそんなものがいるならこの目で見てみたいものである。

 

 3

 

「で、博士は機械学習を使って言葉のダイナミクスを探っていたということですか?」

 博士がうなずく。

「最近流行ってるじゃないですか、機械学習。だから流行に乗ってみようとおもいましてえ」

 博士は軽かった。

「具体的にはどうやって」

 僕が聞く。

「将棋や囲碁とかと同じですう。今までの言葉の歴史を片っ端から学習させて、これから後の局面――つまり言葉を予測させるんです」

「だからあんなにたくさん文字を集めていたのか」僕は一人納得する。

「資料室を見たんですか?」

「ええ」

「文字は素晴らしいです。文字はおおよそ6000年前から言葉を表すために使われていますが、まさに人間の歴史そのものと言ってもいいでしょう。逆に文字以前の言葉となると、これは極端に資料が乏しくなってしまいます……」

「つまり博士はおよそ6000年分の言葉の歴史をコンピュータに学習させて、そのあとの言葉の発展を予測しているということですか?」

「ええ、そうですう」

「……信じられない」

「そうですかあ? 言葉のつながりから言葉を予測するっていうのは昔から考えられてきたことです。救世主君はシャノンのゲームとか知りませんかあ?」

「知ってますけど」

 シャノンのゲームはイギリス人のクロード・シャノンが考案したゲームである。文章を与えられた時、最初から一つずつ文字を見て行って、どこまで行けば最後の文字まで予測できるかを競う。ちょっと例で見てみよう。例えば17字の文章で最初の1字が『な』だったとする。

 な〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 これだけで次の文字を当てることはできない。だが5字まで見て、

 なかぬなら〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 となれば、1/3の人はヤマ勘で当てられるだろう。

 ちなみに僕が考えていたのは、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、である。

 このようにしてより予測しづらい文章を考えられるかを競うのがシャノンのゲームである。

「つまり言語というのは最後まで見なくてもある程度分かるのですう。別の言い方をすれば言語というのはエントロピーが小さい」

 博士は諭すように言う。僕は反論した。

「でもシャノンのゲームはある一つの言語の中の乱雑さの話です。言葉そのものの変化とは全然違います」

 博士はやれやれというように肩をすくめた。

「実際私の試みは結構うまくいっていますよお? ベッドの上のレポート用紙を見てください」

 僕はその上のレポート用紙を手に取った。

 レポート用紙には黒いマジックで大きく次のように書かれていた。

『だーるまさんは、お前だ!』

「……これは?」

 僕は博士を見た。

「事前に救世主君との会話をシミュレートした結果、救世主君が言う可能性が高い言葉ですう」

「どういう状況だったら言うんだ、こんなセリフ……」

「わからないから説明してください」

「全然うまくいってないじゃないですか……」

「あれえ?」

 博士は首をかしげた。首をかしげたくなるのはこっちの方だった。

「……ちなみにそのシミュレーションは今はどれくらい進んでるんですか?」

 僕が問う。

 博士は露骨に目を逸らし、口笛をふいふいと吹いた。

「世界の終わりの言葉まで予測してるんですか?」

 博士は答えないで、まるで嘘を隠している子供みたいに髪をいじっている。

 僕は理由を考えた。

「……もしかして、全然進んでないとか?」

「ああーすみませんごめんなさい、許してくださいい!」

 博士は地に伏した。それから両手をついて頭を下げた。ザ・土下座と言えるような美しい土下座だった。

「じつは全然進んでないんですう」

「は?」僕は驚く。「でも僕は最後の言葉がわかりそうだって聞いていたんですが」

「それはあ、あの、いろいろ事情があってえ、そのだって成果がないって思われるとお金がもらえないかなあって、だからその、すみませーん!」

 博士はもう一度頭を下げた。

「で、実際はどれくらい進んでるんですか?」

「あのーそのー」

「全然予測できないとか?」

「少しはできてますう」

「100年後くらいとか?」

「えっとぉ」

 博士はなかなか答えなかった。でも最後に僕に告げた。

「実は一か月先の言葉までしか予測できていないんですう」

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