回帰小説「蛹の国・冬虫夏草」第7話

冬虫夏草シネンシストウチュウカソウは冬に虫の姿で過ごし、夏になると草の姿となると思われたことから名付けられた、と言われています」

 少女の顔をした女が、思い出したように寝物語を始める。

「寄生虫じゃないのか?」

「違いますね。冬虫夏草は寄生菌に侵された蛾の幼虫の成れの果てです。蛾は夏に地面に産卵し、一ヶ月ほどで孵化し、土の中へ潜り込むのですが、その過程で冬虫夏草属の真菌に感染すると、幼虫の体内で菌がゆっくり生長を始めます」

 射精イジャキュレーション後の萎れた男性器を、細い指や小さな唇で繰り返し弄びつつ、立て板に水――性的興奮エクスタシーの酩酊状態から、研究者としての知識を披露する奇癖。

「幼虫はだいたい4年で成虫となりますが、真菌もまた、幼虫の中で徐々に増殖していきます。そして、春になると幼虫の養分を利用して菌糸が成長を始め、夏に地面から生えます。地中の部位は幼虫の外観を保っておりますから、あの冬虫夏草の姿となるのです」

 最初は不可解に思っていたが、何度か繰り返すうちに慣れた。

 内容が何度も重複していたからだ。おかげで、祀の専門領域がどのあたりだったのか、だいたい理解した。

「冬虫夏草を食材とする文化は本場の中国だけでなく、周辺の地域にも広がっています。朝鮮半島では、亀や冬虫夏草などを用いた八卦湯パルガタンという料理がありますね」

八卦湯パルガタン……どうせ、精力をつける料理なんだろ?」

「亀もスッポンですから、そうなりますね」

 寝物語に飽きたら眠る。起きたら飯を喰い、性交セックスする。

 それが、閉じた〈循環過程サイクル〉から生まれた新しい日常だった。

 非日常の中に新しい日常を構築することで、精神の均衡を維持しようとする。

 それが変態的な行為であっても、反復すれば日常になる。

「ところで、退屈しのぎのために互いの体液を交換するのは、あんたの見地では意味のあることなのか?」

 殺人旅行を思いつく少し前、おれは祀に訊いた。

「結果として、わたしの中でし、甘木くんの中ですれば、になるのではないか、と思ったんですよ」

 祀にしては珍しく、曖昧な物言いだった。そのくせ、愉快そうに微笑む。

 おれの意識はざわついたまま、いつもの泥の海ねむりへ沈んでいく。


 家に帰るまでが遠足だ。

 殺人旅行の目的を果たしたおれは、街の近くまで戻ってきたが、眠気に襲われた。

 駅ひとつ分とはいえ、何が起きるか分からない。だから、電車の高架下に作られた児童公園のベンチで少し眠っていた。

 泥の海の底には、いつも日常がある。

 沈んでも沈んでも底が抜けて日常へ落ちていく。

 夢にしては、正確に記憶を再現していた。むしろ、当時よりも克明ではないかと思えた。

 そのくせ、目覚めたおれの肉体は寝ぼけていて、ベンチから起き上がることも億劫だ。

「……どういうことだ?」

 胸ポケットの中でLEDが点滅しているスマートフォンを取り出すと、携帯電話の通信網が復旧していた。そして、立て続けに数通のメールが届いていた。

「九葉祀です。約束通り、甘木くんに送りますよ」

 最初のメールの添付写真を開くと、右手で掲げているのか、上目遣いで自撮りした祀の表情が写っていた。

 次のメールからは、そのまま位置を下げたのか、細い指で拡げた女性器が何枚も写っていた。

ぶちまけて孕ませたいイヌのようにマーキングしたいタイプの甘木くんが、わたしの中で増殖した結果です」

 文面は皮肉めいていたが、写真はストレートに幼い肢体の欲情を主張していた。

 柔らかい産毛から、未熟な襞の形状を経て、桃色のねっとりとした粘膜が蠢いている。その先には、何度も侵入インサートした暗く湿った穴――。

「……届いたということは、自撮りで返信しねえとまずいのか? もう近くまで戻ってきたのにか?」

 そんなことを考えつつ、懐かしさすら覚える穴を覗き込むと、液晶画面がぐるりと捻れた。

 違う。捻れたのはおれの視界――巻き戻しだ。


 次の〈循環過程サイクル〉に入ると、動画ファイルは消えていた。

 電話通信網も不通に戻っていた。

 動画を見る前に電話をかけるべきだったが、後の祭りだ。

 祀がいる街に戻り、祀に会いに行くが、祀がいるはずのベッドにいたのは、鈍く光る異形だった。

 彼女はさなぎと化していた。

「冗談なら、ほどほどにしておけ、九葉祀くようまつり!」

 フロア全体に響く声で恫喝したが、反応はなかった。

 一度、さなぎから這い出した者が再びさなぎと化す。

「とんだ追加ルールだ」

 もっとも、Fが這い出した際に、自身の性別まですり替えていたことを考えれば、今更、怒りを覚える筋合いもない。


 祀のさなぎの傍らには、一冊のノートが残されていた。

 それは、日記のようでもあり、研究記録のようでもあった。おれが旅へ出た〈循環過程サイクル〉から始まり、携帯回線が復旧した〈循環過程サイクル〉まで、毎回の思考が書き留めてあった。

 数行から数ページというばらつきはあったが、通算で三桁近くのナンバリングが振られ、雑多に記されていた。

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