回帰小説「蛹の国・冬虫夏草」第4話
「これから呟くことは、なんとも心地よい疲れの中の寝物語で、現象からの推測に過ぎないのですけども」
内臓マッサージで脳髄の血行も良くなったのか、九葉祀は退屈しのぎの合間に状況への推察を呟く。
その大半は妄想に近い荒唐無稽だったが、繰り返し聞くうちに考え直した。
さなぎから這い出した者は、さなぎ以前にはなかった記憶や知識が付加されている。
だが、その情報は断片的で、全貌は分からない。
伝染病のように見えるが、恣意的な選別が行われているようにも思える。
時間遅延と巻き戻りの繰り返しで破滅から切り離された実験的管理空間。
おれの思考もそのくらいまでは辿り着く。
「蝶は卵で生まれます。孵化して毛虫……幼虫になり、五回の脱皮を重ねて、さなぎになります。一齢から五齢まで。毛虫や青虫の時期は寄生している植物の葉を喰らい尽くし、成長していくのですが、やがて、大量のねばついた体液を排出し、休眠に備えるのです。蜘蛛の糸のような繊維を吐き、自分の身体を木の枝へ括り付け、青から茶に変わります」
九葉祀は何を言わんとしているのか。
おれたちのさなぎは、確かに蝶のさなぎに類似している。
「おれたちはさなぎになったが、巻き戻ったこの身体は蝶なのか?」
違うような気がする。都市に寄生して生きているが、喰らい尽くした認識もない。
「さなぎになれば、まったくものを食べなくなります。冬眠状態です。枯れ葉のような状態になって、十日から十五日の間、さなぎは全く活動を停止します。その時期を過ぎれば、いよいよ羽化です。しかし、すべてのさなぎが蝶になれるわけではありません。羽化せずにそのまま死んでしまうことが多いのです」
無数のさなぎを開けたわけではないが、いくつかのさなぎは中身がなかった。
「中身のないさなぎは、死んだということか」
「喰われたんじゃないでしょうか。眠っている間に。わたしたちの知らない別の何かに。たとえば、アゲハチョウの場合、メスは一度に100個以上産卵すると言われていますが、そのうち蝶になれるのは、平均するとひとつかふたつなんですよ。さなぎの状態で天敵とも言うべき
寄生虫はだいたいの場合、アゲハヒメバチ、ヤドリバエ、アオムシコバチ、タマゴバチなどの極めて小さな蜂や蠅です。これらの寄生虫がいつの間にか蝶の幼虫に卵を産み付けるのですが、幼虫は気づきません。身体感覚の盲点もありますが、それ以上に微小すぎるのです」
蝶の話を熱く語っているのは趣味なのか、それとも、研究領域に関係しているからか。ベッドから身体を起こしたおれがミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、我に返ったのか、少しだけ黙った。
しかし、祀は受け取っただけで、また喋り出す。
「何はともあれ、さなぎになって羽化を待つ間に蜂や蝿の卵が孵化し、養分を容赦なく吸い尽くして成長します。そして、さなぎの中身はそのまま死んでしまうのです。蝶になるはずだったさなぎの身体は枯れて溶けて消えていくのです」
妄想はすべて喋らないと気が済まない、と言わんばかりに。
「やがて、寄生虫だけがさなぎから這い出して、初めて己の体内に寄生虫がいたことが分かるのです。幼虫は肉体をすべて喰いつくされた亡霊として、その光景を眺めているのです」
そう言って、ベッドに横たわったままの九葉祀は天井を指差す。一糸纏わず、ねばついた体液が付着して乾きかけている平坦な肢体で。
「おれはさなぎから這い出した虫を見たことがない」
「微小な虫かも知れませんし、不可視の虫かも知れません。そもそも、甘木くんもわたしも亡霊ではありませんし、蝶の生物的原理とわたしたちの現象がまったく同じはずもありません」
世の道理が捻じ曲げられているのだから、見えないものがおれたちの物質世界に干渉していても、それは仕方のないことだろう。
そう納得するしかない。
「ただ、さなぎが活動停止をするのは大変に危険なことでもあるのです。どちらにしても。昆虫の世界で繰り広げられている生存競争は人間世界と通じるところがありますから」
九葉祀がそう言った瞬間、また時間が巻き戻ったような気がした。
さなぎ化のために〈
これは妄想か? いや、無関係と言い切るほうが無理筋だ。
「甘木くん、この空間はいま、完全にさなぎ化しているように思えるのですよ。そして、わたしやあなたのさなぎが――」
大いなるさなぎの、無数の可能性のひとつだったとしたら?
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