回帰小説

回帰小説「蛹の国・冬虫夏草」第1話

 おれが暮らしていた街は、平凡な郊外の街だったはずだ。

 なのに、いつの間にか捻れていた。

 テレビやラジオは消え、車も電車も止まったが、電気や水道といった都市インフラは辛うじて維持されている。食物が腐敗していくこともない。

 空を見上げると、流れる雲がゆっくりと揺らぎつつ、一定周期で同じ形を反復していた。

 時間は完全に停止したわけではなく、昼下がりの数時間を延々と繰り返している。

 正確に言えば、ある程度の時間が経過したところで、なんらかの調整が施されていた。

 巻き戻るまでの経過時間も一定ではなく、動くものと動かないものが調整ごとに腑分けされている。

 前に動いていたものが、次の〈循環過程サイクル〉で動かなくなることもあれば、その逆もある。

 誰が?

 おれの知らない誰かのやらかした壮大な小細工で、おれは繰り返す袋小路の中へ迷い込んでいる。

 その証拠に、街を歩いていた人々はすべて、固まったまま動かなくなっていた。

 すべての人間が動かないのなら、都市インフラが維持されるはずがない。

 そして、最初の〈循環過程〉では、ただ固まっていたはずの人々が、いつの間にか誰もが樹脂のような琥珀色の殻に覆われている。

 服も装飾品もまとめて溶けて丸く固まり、輪郭がぼやけている。

 何かに喩えるなら、昆虫のさなぎだ。

 人間はすべてさなぎと化した。

 人間以外の生物、動物や昆虫や微生物までは知らない。姿を消したまま、見かけなくなった。

 確かめるため、近所の動物園へ行ってみたが、人間のさなぎしかいなかった。獣は何処かへ消えていた。

 神様の気まぐれにしては、妙に細々としている。正直、せせこましい。


 今が何度目の〈循環過程〉か、数えるのも面倒くさくなっていた。

 時間の流れがどうにも捻れているから、どれだけ経過したのかも分からない。

 気力がないときは秒刻みの時計を眺めていたが、不意に加速したかと思うと、数秒だけ戻ることもあった。

 巻き戻る時間量は一定ではなかったが、結果的に初夏の晴れた昼下がりが延々と続いている。

 夕焼けを見ることもなく、朝の陽射しまで戻ることもない。

 もっとも、食料には困らない。自宅の食料を食べ尽くした時は困ったが、昼下がりの時間が反復しているのなら、適当に飲食店の厨房へ入り込めばいい。

 退屈しのぎに街を徘徊し、腹が減ったら喰って、適当な場所で寝る。

 そんな生活を繰り返していた。

 しかし、大規模な〈循環過程〉の回数が三桁を超えても、状況に変化はない。


 外食に飽きて、スーパーの食品売り場から加工食品を調達して喰うようになった。

 気に入ったのは、オールブランを無糖ヨーグルトで喰うことだ。

 同じ時間を反復しているが、おれの手で動かしたものは元に戻らず、棚から取った品物はそのまま空白になる。

 だとしたら、規模を大きくすれば、世界に変化が生じるのだろうか。

 無音の世界に苛立っていたおれは、停まっている車や店舗の窓ガラスを割って、観察したが、いつの間にか巻き戻り、破壊前の状態へ戻っていた。

 破壊行為は復元対象とされているらしい。

「だったら、これはどうだ?」

 戯れにさなぎを叩き壊した。中に人間が入っているなら、殺人罪になるかも知れないが、どれを壊しても中身はなかった。

 わずかに粘液や菌糸のようなものが残っていたり。それすらも乾いていたり。

「中身は、何処へ消えたんだ?」

 どれも中身のない空洞でしかなかった。

「てめえらは、何処へ消えたんだ?」

 そんなことを繰り返し呟き、いくつかのさなぎを壊していたら、急におれの動作が鈍くなった。

 抗う間もなく身体が動かなくなり、意識も薄れて消えた。

 もしかしたら、からっぽのさなぎの中に、無臭の神経ガスか、ろくでもない胞子が詰まっていたのだろうか。

 ああ、おれは死ぬのだろうな、と思っていた。

 思っていた、ということは、生きている。

 生きていたのだ。

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