訃報小説「九葉祀の訃報」

 九葉祀くようまつりの訃報が届いた。

 本名は永田香名子ながたかなこ

 山梨の団地で死んでいた。孤独死だ。


 九葉祀は女性だが、男性向けジャンルの小説家だった。

 それも、ポルノグラフィに限りなく近いジャンルの。

 とある出版社で編集者だった私は、〈兵頭秋幸ひょうどうあきゆき〉というやくざな知人に頼まれ、九葉祀の小説の編集実務作業を担当していた。

 兵頭が立てた企画に沿って、九葉が小説を書いていく。それを私が本にする。

 思っていたより長く続いたが、企画の司令塔だった兵頭が、数年前、不審な死を遂げた。その後始末に追われているうちに、九葉祀との接点もなくなった。


 20年ほど前、男性向けのマイナーなジャンルで、乙女ちっくな少女趣味が流行っていた。

 それは、90年代の渋谷に象徴されていたような、ルーズソックスと援助交際からの保守反動だった。

 当の少女たちにとって、乙女ちっく系の少女趣味はひどく古くさいものになり、スクールカーストの最底辺ですらない、幽霊のような存在と化した。

 だから、それを仕事にしてしまったクリエイターたちは、男性向けのポルノグラフィへ越境しなければ、続けられなかった。

 兵頭が考えた商売は、この越境者たちを利用し、男性読者のニーズに合わせて最適化した商品を作ることだった。

 兵頭の前職は、美少女ゲーム会社のディレクターだったから、母子密着型の性的イメージを絶対だと信じ込んでいる、フェティッシュな男性ユーザーの傾向をよく知っていた。


 九葉祀の仕事は、肉体を媒介としない風俗嬢であり、兵頭はそのスカウトマン――いや、女衒ぜげんだった。サンダカン八番娼館のような未開の僻地へ送り込むのだから。

「平成の村岡伊平治むらおかいへいじ……とは言い過ぎか」

 確かに、兵頭も緒形拳のような野性味のある二枚目だったが。

 仕事は思っていたより長く続いたが、ジャンルは次第に男性向けのポルノグラフィとして最適化されていく。

 そして、00年代に入ると「萌え系」という新しいジャンルが形成されたのだが、その頃にはもう、九葉祀はすべての才能を使い果たしていた。

 いや、最適化に適応できなかったのだ。持ち込んだかつての乙女ちっくを維持することに固執して、飽きられた。

 とはいえ、フェティッシュな男たちの性的なスイートスポット――欲情させる手練手管テクニックは、同じ男のほうがよく分かっている。

 だから、男性クリエイターが乙女ちっくの仮面を被るようになれば、むしろ、本物の女性は不都合な存在となる。


「もう、兵頭さんはいないのだから、葬式は甘木さんが行くしかないでしょう」

 私も直接会ったのは数回だけだが、私以外は誰も会ったことがない。

「なら、行かなくても文句は言われまい」

「そうも行かないでしょう。うちの看板だった時期もあるんですから。まあ、ぼくが入社した頃だから、今の編集部員はですけどね」

 聞けば、彼女の熱烈なファンだった、左巻きのルポライターや国立大学の教授が、私たちの動きを監視していた。

 後者は九葉祀が現役だった頃、何度も毒々しい手紙を送りつけてきたことを覚えている。

 いわく、「九葉祀の世界はもっと純粋ピュアなはずなのに、貴様らが醜く歪めているのだ!」と。

 当時は助教授だったはずだが、教授になっていたのか。

 乙女ちっくな中年男性たちが、その手のマニアックな情報を交換するメーリングリストを主催し、別の幼年向け少女漫画家の追っかけもやっていた。

 その漫画家はノイローゼになり、結婚を口実にして、札幌へ引っ越してしまったが。

「すごいな。筋金入りの狂人じゃないか。男子校出身の片親か?」

 兵頭は笑っていたが、現場で手紙を受け取っていた私は、気が気でなかった。

 その教授が、不審死だった兵頭の件と絡めて、「出版業界の陰謀」に仕立て上げようとしていた。

 そんな大層なものではないだろうが、兵頭の側ではいくつか怪しい動きはあったから、状況証拠を並べれば、言い立てることはできるだろう。


「何はともあれ、よろしくお願いしますよ。先輩」

 年下の上司が去り、私は驚いていた。

 傲岸不遜な編集長こいつが珍しく敬語で話してきたことも驚いたが、死んだ九葉祀に、私より年上で面倒くさい連中の御輿として都合良く担ぎ上げられる程度の価値が残っていたことに。

 まァ、会社としては、主流を外れて閑職に回された私が矢面に立って穏便に処理しろ、ということなのだろう。

 失敗すれば、それはそれで私を処分する理由になる。どちらに転んだとしても、会社は損をしない。


 考えてみれば、九葉祀と直接会うことは稀であり、会うときもほとんど兵頭を介していたが、一度だけ、一対一で会ったことがある。

 何故か、御茶ノ水の山の上ホテルで会った九葉祀は、見るからに冴えない三十路の眼鏡女で、鬱屈としていた。

 話すこともなかったから、適当に作品の背景を訊いたら、作品とは関係のない来歴を話してきた。

 祀には父親がいなかった。祀の母親は、学生時代、とある極左組織に所属していたが、内ゲバで輪姦まわされ、祀を孕んだ。

 そして、生まれてすぐに祀を捨て、行方不明になった。

 祀は祖母に育てられたが、母親も祖母も強度の人格障害だった。

 特にカルト宗教の信者だった祖母からは虐待を受けていたらしく、祀は「宗教性人格障害」と言っていたが、むしろ、生来の人格障害がカルト宗教と結びついた結果、よりひどい形で表出したように思えた。


 因業な祖母は、祀が中学三年生のとき、団地に押し入った強盗の手で惨殺された。

 だが、祀はその強盗殺人犯を王子様だと思い込み、身体を委ねた。

 どうやって屍体を処理したのか。

 どうして事件にならなかったのか。

 それらに関しては、あやふやにしか語らなかったので、私は、この時点で「これは作り話だろう」と思った。

 よって、そのあとは話半分に聞いていたのだが、結局、祀は死ぬまでその団地に住み続けたことになる。

 強盗殺人犯は半年ほど匿っていたらしいが、忽然と消えた。

「でも、戻ってくるような気がするんです。に」

 はじめての男が再び現れるはずだ、という、いびつな妄想だけを抱えて逝った。

 地方都市ではよくある話だ。どうせ、地元のヤンキーに弄ばれ、捨てられた記憶が美化されたのだろう。


 母親のほうはいつの間にか事業を興し、バブル景気に乗って、メディアでも話題の女社長に成り上がっていた。

 中学から大学にかけての生活費は、母親の仕送りで賄っていたようだが、直接会ったのは高校受験で上京した際の一度だけであった。

 そして、東京の高校に合格したが、前述の強盗殺人犯と同棲生活を送っていたので、結局、地元の高校へ進学した。

 なお、母親はバブル経済の崩壊後、事業に失敗し、崖から車ごと飛び降り自殺している。

 カーステレオからは、ムーンライダーズが70年代の末に発表した『バック・シート』という曲だけが、繰り返し流れていたらしい。

 ルイ・マルの『鬼火』Le Feu folletに影響を受けたこの曲は、私も好きでよく聴いていたが、悪い冗談のように思えた。

 そういえば、作曲者である、かしぶち哲郎も亡くなった。

 

 九葉祀は、己の呪われた遺伝子を自覚していた。

「私は、私の代でこの血脈を絶とうと思っているんです」

 優生学的観点から考えれば、当然の判断だ。

 優生学が正しいかどうかは判断しかねるが。


 私は「この女は頭がおかしいのだ」と思っていたし、兵頭経由だったから、真偽は分からないが、周囲は祀のエキセントリックな我儘わがままに閉口していたらしい。

 先に記した通り、利用価値も無くなっていたが、兵頭の死後、誰も仕事を回さなかったのはそういうことだ。

 葬式の顛末を書く気はない。何も書くことのない、淋しい葬式だろうから。

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