祀のアト
ゆずはらとしゆき
訃報小説
訃報小説「甘木さんの訃報」
もう、彼のことを覚えているのは
彼と私は同期デビューの小説家で、当時は似た作風と評されていた。
とはいえ、共通点は少なく、唯一、奇妙な味だけが同じだった。
新刊のたびに後味が悪いと罵られていた私は、日和って通俗的な作品を書くようになったが、甘木さんは変わらなかった。アニメにも漫画にもならず、青春小説ともホラーとも言い難い、仄暗い物語を書き続けた。
気がつくと、既存のジャンルに属さない、雲をつかむような物語の需要はなくなっていた。転向した私の選択は正解で、出会って数ページで裸体を晒す凡庸な少女を書くことすら厭わなくなった。
新人賞の募集要項もまた、そういう扇情的な商品を求めていることを隠さなくなったが、やがて、新人賞自体が機能しなくなった。
凡庸であることを売りにすれば、プロフェッショナルである必然性がなくなる。
それでも、編集者は迂遠な建前で、仄暗い物語を丁寧に潰していくことに腐心していた。
当然、甘木さんは疎んじられる。まるで八つ当たりのように。
新人賞の募集広告で、甘木さんの作品が晒し上げられたこともあった。新人が書いてはいけない作例として。
そんな状況だったから、年末のパーティーで話すのも私だけになった。
担当編集者すら、「なんでお前らが来ているんだよ」と舌打ちしていた。
甘木さんと二人で眺めていたパーティーの中心では、広告代理店社員との兼業を隠し、自作をアニメ化していた賢しらな看板作家が、漫画部署から異動してきた編集者に傅かれていた。
次の年から、甘木さんはパーティーに招待されなくなった。
甘木さんがビンゴゲーム大会で一等賞の旅行券を当てたことが、編集者の逆鱗に触れたのだ。
本当は前述の看板作家に当たる予定で仕組んでいたのだが、新入社員の手違いで甘木さんに当たってしまったらしい。
確かに、甘木さんがビンゴを当てた瞬間、看板作家は賢しらな仮面を忘れ、田舎者丸出しの罵倒を吐き捨てていた。
なるほど、私と甘木さんに招待状を送ってしまったのも、この新入社員だったのだろう。
更に次の年、
もっとも、東京生まれの東京育ちである甘木さんは、山梨にしても沖縄にしても、縁もゆかりもないのだが、私は訊かなかった。
東京生まれの東京育ちには、私には計り知れない矜持があるから、横浜出身の私に訊く資格はないのだ。
それでも、半年くらいは山梨か沖縄か迷っていたようだ。
結局、山梨に引っ越したのは、九葉祀のシリーズのひとつで、最低最悪の失敗作と批評家たちに罵られたSF小説が、山梨の団地を舞台としていたからだ。
甘木さんいわく、家賃の安さと温泉が決め手になった。
もうひとつ、沖縄が候補だった理由は分からないが、先の旅行券で訪れたのかも知れない。ただ、その年は台風が多かった。
引っ越してからは、図書館で過去の名作を読み、夕方になると温泉銭湯へ通う。あとは寝ているだけの生活だった。
私は収入源を心配したが、東京の自宅を引き払ったので、若干の貯金があったようだ。
「四十を過ぎて、東京にいても、もう仕事は回ってこないだろう」
SNSでの言葉はひどく苦々しかった。
「それに、もう長くはない。共同幻想として最適化された少女たちが無謬と信じている連中と一緒に消えるほど、ぼくの
捨て台詞は予言めいていたが、誰も気に留めなかった。私が思い出したのも、ずいぶんあとの話だ。
甘木さんは、出版業界という眼鏡を通して、東京という街がシロアリに喰い散らかされた大木のように見えていたのかも知れない。
読者と編集者の大半は、東京生まれでもなければ、東京育ちでもない。先述の看板作家が編集者に優遇されたのは、田舎者同士の連帯でもあった。
東京生まれの東京育ちであることが、作家の足枷になり、東京人が東京で生きていくことが難しい時代になっていた。いや、そんな時代もあったのだ。
突飛に思えた甘木さんの判断は、結果として正解だった。
移住から数年後、東京は一瞬にして消えた。それに乗じて、沖縄が日本から切り離された。
私たちが関わっていた出版業界も消えた。出版社の大半は東京にあり、前述の編集者たちも一瞬で蒸発してしまったのだから、当たり前なのだが、櫛の歯が欠けるようにポロポロと崩れ去った。
辛うじて生き延びた文化は、限りなく矮小化していく。
東京に居なかった薩長政府の生き残りと、大阪のもっと賤しいものたちが支配層に就き、身も蓋もなく規制したからだ。治安維持を口実に。
そもそも、明治以来の彼らの所業が招いた終局だったのだが、彼らはこれも好機とばかりに、片っ端から文化を潰し続けた。
とはいえ、彼らもまた、無知な大衆による無差別テロの日常化、という報いを受けることになったのだが。
私も若ければ、暴力という自己表現を選んでいたと思う。
今ではよく分かる。小説より暴力のほうが、表現としての強度が高い。
かつての私は平和の中にいたから、暴力を去勢されていたから、小説で自己表現するしかなかった。
ペンは剣よりも強し、なんて大嘘だ。
死んでしまえば――いや、殺してしまえば、表現もへったくれもない。
東京が消えた日、SNSの甘木さんは珍しく嬉しそうだった。
「最低最悪の失敗作と罵られた祀が、生き残ったのだからな」
無数に存在している九葉祀の中でも、最低最悪の失敗作と罵られた九葉祀は、清純そうな外見の眼鏡っ娘だったが、鬱屈とした性格で、ほんの一瞬、異星人との愛欲に溺れ、虚しい余生を送った。
そんな少女を、数ある小説ジャンルの中でもっとも保守的であり、母子密着型の性愛傾向が強い読者たちが受け容れるわけがない。罵られるのも当たり前だ。
「冗談はさておき、此処は険しい峠で遮られている。半死半生の避難民も辿り着くことはできないだろう」
甘木さんの故郷は消えたが、残してきた恨みも一瞬にして消えた。
甘木さんが言う通り、避難民の大半は相模湖や上野原市で死んだ。
残りも大月市や都留市で死んだ。甲府を越えて、甘木さんが暮らしている身延線のあたりまで辿り着いた者はいなかった。
「生き残るということは、正しさだな」
既に、新しい統治機構の周縁では、無差別テロと白色テロの応酬が始まっていた。
「祀を罵った者たち、せいぜい殺し合うがいいさ」
以来、亡くなるまで、甘木さんの呟きに翳りはなかった。
業界そのものが消えたので、嫉妬する必要もなくなった。もう、仕事が回ってこないことに憤る必要もなかった。
それから半年ほど、甘木さんはSNS経由で何度か訊いてきた。
「ぼくらの知っているやつで、生き残ったやつはいるのかね?」
心配していたのではない。甘木さんが願っていたのは、一人残らずの死であった。
数え切れないほどの死が、甘木さんの正しさを担保していく。
二十三区内の大半は致死量だったし、生き残ったところで、何ができるわけでもないだろうが、甘木さんは疑り深かった。
やがて、復興の気配すらなく立入禁止区域に指定されたことで、甘木さんは安心した。
当時の私は、甘木さんの態度が気に食わなかった。
とはいえ、人倫的な理由ではない。
東京が消えた日は春だった。
だから、花粉症を避けるため、沖縄のゲストハウスに転がり込んでいた私は、不幸中の幸い――難を逃れた。
しかし、東京が消えたことで、いっさいの生活基盤を失ってしまったのだ。
生き残ったのだから、私も正しかったが、それを臆面もなく信じるほど、能天気にはなれなかった。
それどころではなかった。
内心はさておき、甘木さんは唯一、生き残った知人だった。
なので、その後も気が向いたら答える、という程度の付き合いは続いた。
本人にはついぞ言わなかったが、後ろめたさもあった。
私は、甘木さんの呟きから不穏な空気を察し、すぐに本土へ戻った。
甘木さんの猜疑心は、時に神がかっていた。平時には何の役にも立たず、疎まれるだけだったが、最悪の被害者であることを回避する、特異な才能であった。
私が乗った飛行機は、無事に本土へ戻ることができた最後の便だったからだ。
私が飛び立った翌日、各地で暴動が発生し、沖縄は内戦状態へ突入した。
そして、日本ではない国になったのは、前述の通りだ。
私の家は二十三区外にあり、致死量ではなかったが、健康被害が生じると判定され、住むことができなくなった。
横浜の生家は私が子供の頃に引き払っており、もはや地縁もない。
政府から見知らぬ土地をあてがわれた私の生活水準はずいぶん落ちたが、先んじて水準を切り下げていた甘木さんは、何も変わらなかった。
甘木さんは、それから30年近くも生きた。
本人は誤算だと呟いていたが、働くこともなく、質素な温泉三昧の生活を送っていた。
酒は月に一度、蕎麦屋で焼酎一杯しか飲まなかったし、煙草も吸わない。
SNSでの発言もクローズドで、同業者のフォロワーは私だけだ。
完全な隠遁生活――健康に細心の注意を払いつつ、座して死を待つ矛盾。
晩年は交流も少なくなったが、年に一度、
どちらも反応はなかった。読んでいたのも、私だけだったのではないか。
九葉祀は毎年、異なる役を演じていたが、本質はすべて同じように鬱屈していた。そして、ポルノグラフィとして読者へ奉仕することを拒絶していた。
性交の事実と洞察だけが淡々と書かれ、情景や官能が描かれることもなかった。
だが、アウトサイダー・アートと呼ぶには平凡で、表現としてはありふれている。
何のためにそんなものを書き続けていたのか。
私は訊かなかった。感想を訊かれることもなかった。
独居老人の甘木さんは、山梨の人々と交流することもなかった。
ただ、東京が消えた日の喜びだけを反芻し、長い余録の終わりを待っていた。
私は長いこと、甘木さんの諦念を哀れに思っていたが、訃報を聞いて、少しだけ考え直した。
羨ましく思うこともあったのだ。
故郷を失っても、未だあくせくと働いている私は。
甘木さんのように、覚悟したくなかったのだ。
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