因果小説「鬼は淋しく去りゆく」第6話
更に長い時を経て、甘木はひどく衰弱していた。
人を喰わなくなったことは、鬼という生物の理からは間違っている。
生物として存在することが困難となり、限りなく希薄となっていた。
幸い、〈怨魔〉たちに喰らい尽くされることはなかったが、生者と亡者の境目に立つ甘木は、もはや、不可視の〈怨魔〉と大差なくなっていた。
麓の村落はとうの昔に滅び、代わりに都市が形成されていたが、辺境の険しい山を開発する理由はなく、森は相変わらず鬱蒼とした緑に覆われていた。
もっとも、擬態していたはずの〈怨魔〉たちは、完全に植物と化し、意思もなく増殖し続けるだけの存在へ零落していた。
「あんた、人喰い鬼かい」
「……
「いったい誰と間違えているんだよ。あたしはそんな名前じゃねえ。〈
甘木が九葉と間違えたのは、口調や佇まいが似ていたからだが、風貌自体は似ても似つかない。
「あたしがいた組織での通り名だから、本名じゃないけどさ」
茶色の髪を後ろで縛り、薄笑いと苛立ちを繰り返す少女は、
「銃か。それも、獣を狩るためではなく」
「その通り。あたしは狙撃手だった。狙うのは人間さ」
そう言って、甘木へ銃口を向けるが、すぐに取り下げる。
「だけど、人間じゃないよね。あんた」
「お互い様だ。人間なら、もう、おれは視えないはずだからな」
常人には見えるはずのない自分を視た少女を、甘木は訝しく思っていた。
「森へ来たのは、何のためだ」
「追われているのさ。余計なものまで殺し過ぎてね」
「組織も全滅。独りで此処まで辿り着けるとは思わなかったね。正直」
「その歌で生きる道は、考えなかったのか」
「才能と需要は釣り合わないものでね」
綺麗な声で歌う〈祀〉は、生まれながらに歌の才を持っていたが、ある大歌手に「子供が大人の歌を歌うべからず」と咎められ、彼女は歌の道に絶対はないことを悟った。
「絶対の道があるとしたら、それは生と死だけだ」
代わりに手にしたのは銃。狙撃銃であった。
やがて、〈祀〉は狙撃の道を極めんとして、歌を捨てた。
最初は動かぬ的や、放り投げられた皿を撃ち抜いていた。
次に獣を狩ったが、自然を畏れることのない少女は、すぐに飽きてしまった。
なので、手始めに両親を殺した。
様々な条件の下、誰でも殺す必殺の魔銃を会得した彼女は、新しい保護者となった組織の指示を受け、殺し続けた。
だが、そんな組織が、人間社会で許され続けるはずがない。
いくつかの事件で、政治体制が少し変わっただけで、狩られる側となる。
もっとも、そんな変化は、〈祀〉には知ったことではなかった。
「あたしは更なる高みを見たかった。だから、この森へ導かれたのさ」
一瞬、目を輝かせたが、すぐに失望の表情を浮かべた。
「なのに、撃つべきものは何もない。異形の人喰い鬼も、撃つに値するとは思えない」
衰弱している甘木に〈祀〉は失望していた。
「だったら、ついて来い。こんな緑の中で喋っているより、少しは気が晴れるだろう」
甘木と〈祀〉は、森の中から、月の光に照らされた岩山へ歩いた。
「死に場所くらいは好きにさせろ、ってことかい?」
狙い誤ることのない相手に、〈祀〉は飽きていた。
「さっさとあんたを殺し、次の場所へ行くしかないのかね」
「いや、次の場所などない。おれがそうだったのだからな」
「あんたと同じ、だって?」
甘木の呟きに、〈祀〉は薄ら笑いを浮かべた。
そして、甘木はこの少女を九葉と見間違えたことを恥じた。
この少女はむしろ、九葉の前に出会った〈うつろ〉だ。
死人のような瞳がぐにゃりと歪んで、〈怨魔〉に喰らい尽くされた、あの少女だ。
唯一、呟くように答えた名前が〈うつろ〉だった。
だが、九葉の屍を見るまで思い出せなかったし、思い出したところで何の意味もない。
そして、〈怨魔〉が眼前の〈祀〉を喰らい尽くすこともなかった。
歪んだところで、それに見合うだけの〈怨魔〉がいないのだ。
だから、甘木や〈うつろ〉になることはない。九葉にすらならないだろう。
「おまえの敵はおまえだ。撃つに値するのも、おまえだけだ」
「なるほど。さすがだね。死にかけのジジイでも、伝説の人喰い鬼だ……」
銃爪を引く寸前――〈祀〉は膝を崩し、倒れていた。
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