因果小説「鬼は淋しく去りゆく」第5話
九葉の前から去った鬼――甘木は、別の洞窟で病に伏していた。
彼女から追い払った不可視の〈怨魔〉が転移し、霊障となったのか、神経が縛り付けられるような硬化現象に襲われていた。
「無事に郷へ帰り着いたろうか。いや、郷で無事に生き延びているだろうか」
石のような眠りの中で、甘木は何度も考えていたが、確かめる術はなかった。
一年近くが経ち、ようやく洞窟を這い出した甘木は〈石工の一族〉と接触した。
「すまぬ。わしら、嬢ちゃんに余計なことを教えちまった」
「ぬしの注文通り、無事に送り届けた。郷の連中も、拍子抜けするほど、あっけなく受け容れた」
「まったく問題ねえ。これなら大丈夫だ。そう思ったんじゃが」
何の偶然か、村落では慶事が続いていた。
監視役は籠を担いでいた若者たちに殺される前に伝書鳩を飛ばし、連中の裏切りを知らせていた。
そのため、彼の刀を持って、わざわざ村落へ戻ってきた九葉は信用された。
都へ逃走した連中の半分は、山狩りの追手に討ち取られ、また、千年以上前に仕掛けられた古い罠に引っかかって惨死した。
残りの半分は這々の体で都に辿り着いたが、都の治安は厳しく、村落では取るに足らない罪で処刑された。
彼らは、九葉の両親が都から流れてきた理由を考えるべきだった。
九葉は、甘木や〈石工の一族〉から得た知識を披露することもなく、できるだけ、目立たぬように暮らしていた。
日に日に美しく成長していたが、出自と来歴を考えると、そのうち、残り物のような男をあてがわれるのだろう。
「それは、仕方のないことだ」
口数が少なくなった九葉は、それ以上、何も言わなかった。
村落では慶事が続いていた――と記したが、長たちの孫たちが一斉に適齢期となり、次々と盛大な婚礼を催していた。
最初は疎まれたが、人手はいつも足りなかったので、九葉も宴の手伝いに駆り出されるようになった。
事件が起きたのは、何度目かの宴だった。
何者かが、宴で食する芋煮の鍋に毒を盛り、村人を大量に殺した。
生き残った者から犯人を選ぶのは当然のことだ。
九葉の両親兄弟も死んだが、一人残った九葉も疑われた。
だが、尋問が行われる前に、村落から姿を消していた。
そして、懐かしい山へ戻ろうとしていたところを、山狩りの追手に捕らえられた。
村落の長たちは戒めとすべく、屍の一部を持ち帰るよう命じていたが、九葉は微笑みを浮かべ、綺麗な声で歌った。
すると、空間がぐにゃりと歪み、九葉の首を掴んでいた手が燃え上がった。
結局、首を斬り落とすことはできず、無数の矢を撃ち込み、歌を止めるのが精一杯であった。
「本当は、わしらが弔うべきなんじゃろうが」
「不可視、可視、あらゆる有象無象の溜まり場になっており、わしらも近づくことができぬ」
「もはや、ぬしが弔うしかなかろうて」
三人の老人は、揃って俯いていた。
〈石工の一族〉から場所を聞いた甘木は、森の奥で大木に括り付けられ、腐り果てていた九葉の屍と対峙した。
森の木々に擬態した〈怨魔〉たちは、最後の呟きを覚えていて、甘木へ囁いた。
「もしも、あたしに次の生があるとしたら……せめて人間だけには生まれたくないね」
軽口のように嘆くと、少しの沈黙を経て、更に続ける。
「もう、中途半端はごめんだよ」
まったく抑揚のない、ひどく乾いた言葉で終わった。
「今回に限っては、礼を言うべきなのか。腐り果てて削げ落ちた屍体までは、さすがに喰えないからな」
甘木はふと、人を喰わなくなった理由を思い出した。
それは、最後に食した、名も知らぬ少女の屍――捻くれて飛び散った血まみれの肉塊を口にしたときに気づいたからだ。
人間というものは、実はひどく不味いものなのだ、と。
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