因果小説「鬼は淋しく去りゆく」第4話

 ふくれっ面の九葉が呟いた。

「あんたが、あんなものを飲ませるからだ。せっかく、人とおさらばできると思ったのに」

 指先で長い髪の先を弄びつつ、黒く戻っていることに不満を漏らす。

 水面に映った瞳の色も、黒に戻っている。

 すべてが元の木阿弥だ。

「おまえに飲ませた薬は、確かに解毒だが、熱を下げるだけで、人に戻すほどの効果はない」

「じゃあ、どうしてこうなったんだい」

「言ったろう。おまえの中にある、中途半端な何かが決めたんだ」

 鬼の言葉は嘘ではないが、鬼が擦り潰した野草には毒が含まれていた。

 千年以上も暮らしていれば、〈怨魔〉の擬態と純粋な植物を見分けることはできる。

 そこで、後者の中から、不可視の〈怨魔〉が忌み嫌う毒――有機化合物アルカロイドを含んだものを摘み取り、薬を作り上げた。

 緑に擬態する〈怨魔〉と比べれば、不可視の霊体であるから存在も不安定で、人間が放つ妄念と有機化合物の区別もつかない。

 それを利用して、取り憑いた〈怨魔〉を払い、九葉の病を治す薬を作ったのだ。

 だが、鬼はその事実を伏せ、九葉に告げた。

「人は人の世で生きよ、ということだ」

「なんだい、そいつは。今更、何を言うんだい」

 鬼は答えず、九葉に背を向けると、高く跳躍して消えた。

 木々の中に紛れて消えた。


 九葉は独りになったが、そのうち帰ってくるだろうと思っていた。

 狩りの道具を携えていたから、木の実を集め、獣を担いで帰ってくるはずだと思っていた。

 だが、その日を最後に、洞窟へ戻ってくることはなかった。


 行李に入れている保存用食料は独りなら、それなりの量があった。

 仕方なく食い繋ぎ、あとは眠っていると、三人の老人が九葉を取り囲み、座っていた。

「なんだい、あんたら」

「人間の嬢ちゃん。甘木から、わしらのことは聞いておらんのか?」

 老人たちは〈石工の一族〉と名乗った。

 三人とも短躯だが、岩のようにごつごつとした肉を鎧のように纏っている。

 その点は、鬼と共通しているが、鬼よりは人間に近い。

 それでも、村落の連中とは根本的に違うのだが。

「甘木から言付かったんじゃ。ぬしを郷へ連れて行けとな」

「甘木って、誰さ?」

「ぬしが鬼と呼んどったやつじゃ。あれの古い名前じゃ」

 老人たちは「わしらは、甘木とは長い付き合いだ」だと言ったが、九葉は首を傾げた。

 鬼の名を知ったこともあるが、〈石工の一族〉など、村落の生活では聞いたことがなかった。

「当たり前じゃ。ぬしらは人喰い鬼と〈石工の一族〉の区別もつかん。同族以外はすべて一緒くたじゃ」

 なるほど、そういうことか。

「だったら、あんたらは、あいつに喰われなかったのかい?」

「わしらは固くて不味いのか、まったく喰わなかったのう」

「だから、古い付き合いなんじゃて。ま、千年前より昔は知らぬがな」

「わしらは過去に興味がねえ。あるのは現在だけじゃ。そして、甘木がおるから、人間どもはわしらの山を荒らさん」

 どうやら、鬼と〈石工の一族〉は、ある種の共生関係にあるらしい。

「このまま、ぬしが山で死ぬほうが、わしらには都合がええ」

「だが、甘木の言付けじゃ、郷へ返すしかねえわな」

「郷のもんにわしらのことを言ったとて、また、鬼と一緒くたにされるだけじゃろうから、心配ねえだろ」

 何を訊いても、三人の老人は常に同じ順番で答えた。

「でもさ、鬼に喰われなかったあたしが、帰ることができると思うの?」

 九葉は訝しげに訊いた。

「幸い、ぬしの郷はいくつかの慶事で沸いておる。偶然が重なっただけじゃが、便乗すればええ」

「もう、九葉は病葉ではねえ、と言い張れば信じるじゃろうて」

「それに、ぬしの籠を落とした若いもんどもは、そのまま都へ逃げてしまったからのう」


 籠を担いでいた男たちの中に、不穏な動きがあったことは知っていた。

「てめえにとっては最後の夜だが、おれたちの仕事も、これで最後だからな」

 放り投げる前、監視役以外の男たちが、口々に言っていた。

 腹を殴りつけ、腰を抉るたびに、呪文のように唱えていた。

 その時点で、監視役の声は聞こえなかったから、陵辱の前に殺したのだろう。


「籠を落とした側が、鬼に喰われたのだと言えば、辻褄は合うじゃろう」

 そう言って、老人の一人が差し出したのは、監視役が携えていた刀だった。

「そんな簡単な話で済むかな。でも、此処は従うしかないようだね」

 九葉はそう言いつつ、いくつかの行李から一番小さなものを選び、洞窟での生活で用いていた道具のいくつかを入れていく。

「そういえば、この行李に入っていたものは、元々、あんたらのかい?」

「行李は違うがな、中身はわしらが拵えたもんじゃな」

「ぬしが落ちてきた頃、甘木がわしらの村落近くまでやってきて、買うていった」

「受け渡しは村落の外じゃったがな。わしらはやつを怖れぬが、女どもは嫌がるからのう。喰われぬと分かっておっても」

 九葉は納得した。

 丈が妙に短く、石のような臭いがしたのは、そういうことか。


「……あのさ?」

 老人たちと共に帰路へ就いた九葉はそれほど話さず、振り返ることもなかったが、途中の野営で思い出したように訊いた。

「ひとつ、頼みがあるんだけど。鬼……甘木が使っていた、人に戻す薬を知っていたら、詳しく教えてくれないかな」

「ああ、わしらが甘木に教えた、見えねえ〈怨魔〉除けじゃな」

「確かに、手土産はひとつくれえ、あったほうがええじゃろう」

「あんなもん、別に門外不出でもねえからな」

 三人の老人は鷹揚で、薬の配合は多種多様――効果も千差万別だと言った。

「へえ。面白いねえ。少し割合を変えるだけで、毒にも薬にもなるんだね」

 九葉は口元だけで笑い、素材となる野草の見分け方から配合の妙まで、〈石工の一族〉に教えを請うた。

 そのため、三日ほどで着くはずの帰路が、十日もかかった。

 急ぐ理由もなかったのだが。

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