平行線で向かい合う

 この世界の人形住人には大きく分けて二通りのタイプが存在する。

 関わり方によって態度の変わる者と変わらない者。

 無論、全く変わらない……という訳でもないが、前者と比べればその差は明らかで《不老の気狂い》や大半の精霊種などが後者の例としてあげられる。

 ルクフツァリヒ・リア・ユーツェント。

 彼もまた、そのうちの一人だ。


 ――ドガッ。

 鈍い音が響くも繰り出した足に残る感触は軽く、受け流されたのだと直感する。

 それは私が初めてクラウンフォルン衛士養成学校に入学してしばらく経った頃のこと。

 感情に任せて暴れ回った時を除けば一番に荒んでいた時期であり、血生臭いモルモット生活の後遺症で常にピリピリとしていた。

 余裕なんてものとは縁遠い。

 入学試験における対戦の相手を殺そうとして試験官に止められ、何故止められたのか本気でまったく理解出来ずに首を捻り、私の置かれていた状況が異常だったことを思い出してそう経たない頃のことでもある。

 ペアを組んで社交ダンスの練習を。

 発表された授業内容に私は顔を顰めた。

 単純な嫌悪感からで、そもそも自分が触れられることを許容できない……条件反射に近く、自制を試みても叶わない状態にあるという自覚はまだなかった。

 だから、いざレッスンが始まってペアの相手が私に手を添えようとした時、それを避けると同時に蹴りを放ったのは無意識のうちで。自分が何をしたのか。理解したのは相手――ルクフツァリヒが床に転がる姿を捉えた後だった。

「何をしているんですミゾレ隊員!」

 教官の怒鳴り声が響き渡った。

 駆け寄ってくる足音を聞きながら振り抜いた足を下ろし、自らの手に視線を落として握り締める。

 ほんの僅かな震え。

 痛いくらいに縮こまっている心臓。

 冷え切った背筋。

 フラッシュバック。

 ただ教官の指示に従いながらダンスの練習に移ろうとした彼が怪しい行動を取った訳じゃない。

 私に害をなそうと近付いた訳ではない。

 けれど、そんな事実をいくら言って聞かされたって私が理解を示すことはなかったろう。

 何をされるか分からないから。

 信じることができないから。

 虚飾にまみれ卑劣を卑劣とも思わない残忍な子供クソガキたち。《不老の気狂い》の元で殺し合いを重ねた相手の声が耳元で囁くようにして私を嘲笑う。幻聴に、奥歯を噛み締める。

 視界の端には助け起こされるルクフツァリヒと、彼の無事を確認する教官の姿あった。

 ……彼が転がったのは私の蹴りを受け流しつつ避けた末のことで、受け身もきちんと取れていた。怪我らしい怪我なんて一つもないだろう。

 教官が私に向かって何かを叫ぶ。

 幻聴と混ざり合って上手く聞き取れない。

 不協和音。煩い。黙って。静かにして。

 彼らに聞く耳なんてものは備わっちゃいないのだから、力で、全てを捩じ伏せないと。

 ああそうだ、殺さなければ――。

 パンッ! と誰かが手を叩いた。

 声が止む。

 唐突な音に警戒心が働いて、攻撃的な思考に待ったが掛かる。

 強制的に引き戻された意識を音源となった人物に向けると、集まる注目にルクフツァリヒは申し訳なさそうな笑みを張り付けた。

「すみません、一度落ち着く為に彼女と外に出てもいいでしょうか?」

 居合わせた全員が目を見張る。

 何を考えているのか。

 二つ返事では頷かなかった教官は、しかし、このままでは他の隊員たちのレッスンが進まない。何かあればすぐに戻ると食い下がる彼に負けて最後には申し出を受け入れる。

 頭を冷やしてくるように、と命じられた私は反論しようと開いた口を結局何も言わないままに閉じてヤヴォールの返事に変えた。

 落ち着く必要があるのは確かだと判断して……。


 教室を先に出たルクフツァリヒの後に大人しく続いたのは下手に背を向けたくなかったからで、それ以上でも以下でもなかった。

 しばらく歩いた先の裏手広場で足を止めた彼は薔薇の彫像の側に置かれたベンチを勧めてきたが、当然ながら断った。間合いに入りたくないし、入れたくもない。苦笑を滲ませるも気に留める様子はなく、一人さっさと腰を下ろした彼は言う。

「話をしない?」

 何の。声には出さず眉をひそめる。

 ほんの僅かに上げられ口角が私を見透かしていると言わんばかりで気に食わない。

「君は俺が怖い。だから、近付きたくない」

「…………」

「そうだろう?」

「勝手なことを言わないで」

 多分、この時、口を開いた時点で私の負けは決まっていたのだと思う。

「だったらこの手を取ってみなよ」

 言葉と共に手が差し出された。

 怖くないと言うなら取れるだろう。

 そう書かれている顔で私を挑発する。

 嫌だ。近付きたくない。

 率直な言葉は彼のそれを肯定するようで、少し間を空ける代わりに別の言い回しを探した。

「……必要性を感じない」

「怖いから」

「そうじゃないという証明をしてみせる必要性を感じない」

「俺が何をするか分からないと怯えてる」

 差し出されたままでいる手を叩き折り、その余裕を崩して、勘違いも甚だしく私に関わろうなどとしたことを後悔させてやろうか。

 威嚇する非力な子猫を眺めるような目で私を見る相手に軽率な殺意を覚える。

 腹立たしい。

「何もしないよ。ただ、君が正気を失って暴れ回ったら実害を被りかねないから、それを避けたいだけだ」

「だから?」

 仲良く手を取り合いましょうって?

 反吐が出る。

 ……しかし、彼が次に発した言葉は私の予想とは少し違った。

「君のことを教えて欲しいとかまずは信頼関係を気付こうとか、そういうんじゃない。踊れるようになるまで、君が俺を知るといい」

「意味が分からない」

「俺という敵を目の前にして無条件で情報を得られる機会を棒に振る臆病者か否かって話」

 尻尾を巻いて逃げるならどうぞ。背を向けてこの場から立ち去るといい。

 言外の言葉を汲み取るのは容易かった。

 なるほど。

 私は思い違いをしていたらしいと考えを改める。

 指先の動きで答えを急かして挑発を重ねる彼に足を動かし距離を詰める。

 握手を求めるように差し出された手を、握るではなくパンッと軽く叩いて弾いた。

 ……仕込まれているものは何も無さそうか。

 敵だと認めたその潔さに免じて叩き折るのはまたの機会としよう。

「とんだ自己犠牲ね」

 呟くように言えば彼は首を傾げた。

 鸚鵡返おうむがえしに自己犠牲? と繰り返す。

 ああ自己犠牲だ。

「だってそうでしょう。自ら面倒事を引き受けようなんて」

 仲間意識なんてない癖に。よろしくする気もない私に関わって。自分を犠牲に仮初めの安寧を作り上げようというのだから。

 きょとんした顔で目を瞬かせる。

 私を見上げるエメラルドグリーンの瞳に自覚が無いのかとも思ったが、睨まれても平気な顔をして人を挑発するような男にそんな可愛気があろう筈もなく……。

「それ、自分で言うんだ?」

「何」

「存外素直なんだね」

 可笑しそうに笑った彼に手を差し出し直されて、言葉の意味を理解するより先にそちらに意識が引っ張られる。

 先程までの握手を求めるそれではなく、犬猫にお手を求める時のような差し出し方だ。

 にこりと考えを読み取らせない笑みでいる相手に少し迷ってから指先を重ねる。

「何が知りたい?」

 知りたいこと……。

 下手な聞き方をすれば逆にこちらの情報を与え兼ねないし、そもそも彼が馬鹿正直に全てを話すとは思わない。と、すると質問することに意味はないようにも思えてくる。

 どんな答えを彼が用意しようと私がそれを信じることがないのなら。さて、何を尋ねよう。出来る限り彼が困るようなものがいい。

 弱点? 得手不得手?

 それよりもっと、彼という人間が分かるもの。

 思い付いた言葉をそのまま唇を開いて吐き出した。


「――君が守りたいと願うものは何?」

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