ゼネッタと初の対面
教官が講義室に入り、席に着く為話に区切りを付けたネヴェイユ次期大隊長の背を見送ってゼネッタは小さくため息を吐き出した。
「自習、ねぇ……」
「私たちが知らないだけかも知れないわよ」
こそこそと話すレナとルッティの声が耳に届く。
彼女らは第一班への所属を予定しており、故に同室のミゾレ・タカハシとも顔を合わせた後である。
振り返ると他二人の班員――シータとメリーも物言いたげな顔をしていた。
新たな班長の姿を脳裏に描いて、寮でのやり取りを思い起こせばそのような反応や顔にもなるというものだろう……。
ミゾレ・タカハシと初めて対面した日のことを思い出す。
――元第八班。次期第一班を予定する五名は五名とも、場所こそ異なるが皆地方の出身である。
帰省先から庭の中心部にあるクラウフォルンを目指した時、移動の都合で予定がズレるというのはよくある話で、今回ゼネッタは期日よりも三日は早く入寮の手続きを取ることになった。
三日も、と思うかもしれないが、そもそもの移動が一週間掛かり。
早期入寮の期日を迎えなければ食堂が開かないので自炊が条件に含まれはするものの、引き返すに引き返せない生徒に宿を取らせるくらいならと、学校側が融通を利かせてくれるのだ。
制服や教材の支給を受ける前に一旦、荷物を置こうと指定された寮の部屋に足を運んだ。
おそらく自分が一番乗りだろうと考えていて、だから、勉強机と合わさっているリフト式のベッドの一つに教材が積まれていた時は少々驚いた。
気の早い者が他にもいたらしい。
顔馴染みの内の誰かか、それとも……。
先に述べておくと、ミゾレ・タカハシの飛び級によって元の地位よりもっとも差のある降格を強いられたのはネヴェイユではなくゼネッタだ。
防管分隊から外交・経済分隊へ。
班長からただの班員へ。
たった五名でも率いる立場の《長》の肩書きにはそれだけの価値がある。
しかし、第一班への配属と、それがネヴェイユ・コウランを押さえた実力者の出現によるものだと知った衝撃の方が大きく、降格に落ち込むより、第二クラスより共に班を組んでいたメンバーから自分一人だけが弾き出されずに済んだことに安堵を覚えた。
――防管分隊の頭数は班の数と比例して、八班ならば八名と必ず同数となるよう調整されている。
ミゾレ・タカハシが所属を決めたのであれば、いずれにしろ移動は免れ得なかったのだから……。
それに、だ。成績準拠と言っても個々の能力や相性がまったく加味されない訳でもなく、一一隊第一班を率いるに相応しい成績を収めた相手と行動を共にできることは降格が伴ったとて誇れる栄誉。確かな高揚感と期待が胸の内にはあった。
もし、既に入寮を果たしているのが彼女なら遅くとも今夜には会えるということである。
人数分のベッド。
二人は並べない狭さで通路同然の空きスペース。
洗濯竿の設置されたベランダ。
第三クラスの頃とそう変わらない内装をゆっくり見て回る。
因みに左右に三つずつ並べられたベッドの中で教材が置かれていたのは右側手前。班長の任に就く者の使用が推奨されている場所だ。
他は自由。
全員が揃ってからの話し合いになる。
揃うまでは話し合いも何もできないので、ひとまず右側奥に荷物を置いて、部屋に誰も訪れる気配がないことを確認してから後に回した制服や教材の受け取りに向かおうと足を動かした。
無理に待つよりは時間を無駄にしないで済む。
用があって何処かに出掛けているのなら、すぐには戻って来ないだろうし……。
その考えが当たりだったとでも言うように入寮済みの同室者が姿を見せたのはゼネッタが夕食を終えてからしばらく経った後。入浴の準備を整えている最中のことだった。
「あなた」
「ひぃっ!」
物音一つなく、つい先程まで自分しかいなかった室内で唐突に声を掛けられて驚きのままに振り返る。
肩に少々掛かる程度の濡れ羽色の短髪に無機質な黒曜石の双眸。
何の色も写さない無表情が妙に浮世離れしていて、背筋に冷たいものが走る。
見ない顔の少女だった。
「今日、入寮したの?」
「え、あ、はい。昼過ぎに」
表情通りの淡々とした声音に思わずかしこまる。
身長で言えば頭一つ分は低く、年下のようにも見えるのだけれど。
「あなたは?」
まさか幽霊……なんてことはないだろう。
体は透けていないし足もある。
名乗るよう求めれば相手は少しの間を置いてから、やはり淡々とした声音で応えた。
「同室のミゾレ・タカハシよ」
ごちゃごちゃと脳内を巡っていた思考がピタッと止まる。
「あなたが? 第一クラスから飛び級してきた?」
「そうね」
イメージしていた出会いとはまったく異なる形になってしまった。
慌ててこちらからも名乗る。
「私は外交・経済分隊に配属予定のスクルヴェーク・ターリス・ハルネヒト。周りからはゼネッタと呼ばれてるわ」
壁に埋め込まれたクローゼットの前から通路に立つミゾレ・タカハシの元まで移動して手を差し出す。
これからよろしく、と声を掛ける。
握手を求めた私に、しかし、彼女はチラッと視線を落とすに留めて、それ以上の反応を示さなかった。
機嫌を損ねた?
「さっきはその、驚いて。失礼な態度になってしまってごめんなさい」
挨拶の前に非礼を詫びるべきだったか。
言葉を付け足すも、静寂ばかりが肌に刺さる。
「……ええっと、」
ガチャリ。
気不味い空気を割くようにドアノブの回される音が響き、視線をそちらに向ける。
――机には壁側半分に金網が取り付けられている程度で、直線的な位置にあるものならおおよそを見渡すことができる。
ゼネッタの位置からでは生憎、柱の間に渡された板が邪魔をして誰が訪れたのかよくは伺えなかったが……。
「あら? あなたは」
聞こえてきた声でルッティだとすぐに分かった。
「……同室のミゾレ・タカハシよ」
「ああ。見慣れない顔だったから驚いてしまってごめんなさい。私は情報分隊のノイルタ・アムゲル。ルッティの愛称で通っているから、そう呼んでもらえたらと思うわ」
先程の自分と似たようなやり取りと近付いてくる足音に内心でホッと胸を撫で下ろす。
それに合わせて道を譲るようにベランダ側に退がったミゾレ次期班長が死角に入って見えなくなり、ゼネッタは身を乗り出さない程度に前へと出た。
傍まで来てこちらに気付いたルッティと軽く挨拶を交わす。
「ゼネッタも来ていたのね」
「久しぶり、ルッティ」
「机はここ? なら私はこっちね」
皆が揃えば決め直しとなるが悪戯っぽく笑うと入り口から見て左側奥の机の上に荷物を置いた。
学校には着いたばかりらしく、最低限の入寮手続きのみ済ませて来たようだ。
黙ったまま私たちの話を聞いていた次期班長に第二クラスから同じ班なのだと説明を入れておく。
「そういえば、どう呼んだらいいかしら?」
ルッティが首を傾げる。
――《宝玉の庭》では私的な場において本名を避ける傾向が強い。
ほとんどの者が決まった愛称というのを持っており、名乗る時は本名の後に添える。
ミゾレ次期班長は本名しか名乗らなかったが、愛称はどうなっているのか……。
視線を向けると変わらない無表情で彼女は答えた。
「まず、先に言っておくと私はあなたたちとよろしくするつもりがない。名乗る愛称もないし、分かるように呼んでもらえたらそれで構わない」
言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
よろしくするつもりがない……?
「必要以上に関わらないで」
これから一年、共に過ごそうという相手にそんなことを言われたのは初めての経験だった。
自身の使っている机に向かおうと通路を進んだ彼女を呼び止めようとして、振り向きざまに向けられた視線の鋭さに閉口する。
「……言い忘れてたけど、背後に立つのはやめて。殴るし蹴るし安全は保障しかねる。文句を言われても聞かないから」
こちらで気を付けろということらしい。
通知表を受け取った時の誇らしさや期待が静かに崩れ去っていくのが感じられた。
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