ACT36「エクスと壊れるロジック・3」 


 瓦礫の山を一歩登るたび、剥き出しの柱を掴む手に、砕けた壁を踏みしめる足に、幾つも幾つも傷が刻まれていきます。しかし、今日この日までこころへ刻まれた痕と比べれば、エクスにとって情報としての痛覚を遮断する必要すらない、些細なものに過ぎませんでした。

 連なる細かな裂傷がいつしか合わさり、中からフレームやチューブが顔を覗かせてもなお、エクスの力強い足取りが勢いを失う事はありません。

 やがて崩れたアパートメントのほぼ中央にたどり着いたエクスはぴたりと足を止め、折重なる瓦礫の一角へと目を向けます。

 僅かずつですが確実に、そのシグナルを微弱なものにしていく生体反応は、その下から発せられていました。

 まるで外側から紙がじりじりと焼けゆくような焦りがエクスへ迫って来ますが、その思いに突き動かされるまま遮二無二しゃにむに瓦礫へと手を付けるわけには行きません。センサーはあくまでおおよその位置を示すものであり、当然ですが対象に干渉する恐れのある瓦礫をピックアップして表示などしてはくれないのです。



「プローラっ!」



 ――まずは、彼女の正確な位置を確認しなければ。

 一度だけ大声で叫んでから、アイカメラのシャッターを降ろすと同時に他の5感検知システムを全て切ったエクスは、集音マイクの感度を最大まで上げます。



「……て、くれたの?」



 続く長さに比例してこころへ痛みすら運んで来る静寂の後に、やがて瓦礫の下から聞こえてきたのは、ともすれば風の音にも消え入りそうなほどに掠れ切った、か細い声。

 しかし幸運にも、1km先の小鳥の囀りすら聞き逃さないレベルにまで引き上げていた感覚が、彼女の正確な位置を割り出す事に成功していました。



「もう少し我慢してください!今助け――」



 弾かれたように声の元へと向き直り、励ましの言葉を掛けるエクスの口が、不意に遮られます。

 開いた目で振り向いた先にはマイクと連動したセンサーが、彼女の横たわる場所をハイライトして強調表示しています。

 そして不幸にも、そこは家屋の中心となっていた太い柱が折れて砕かれた壁と重なる、倒壊の最も酷いところでした。



「今、助けを呼んで――」

「……いやだ」



 投げかけるはずだった言葉の最後だけを変えたエクスでしたが、瀕死であるはずプローラが発した、一際輪郭のはっきりとした声に再び遮られました。

  



「傍に、いて。何も見えないの、怖いよ……」




 ――……ィル。

 の名前を不完全に呼ぶ、その一言を最後に途絶えたプローラの声。

 エクスは一度、大きく天を仰ぎます。中天に差し掛かる日の光を、頬に走るひと筋の水分が照り返したことは、誰も知ることはありませんでした。






 ※     ※     ※






【Manipulator:Powerlimit cut】



 再び瓦礫へと顔を戻したエクスが言葉に出さずに自分へと命じ、四肢の力を人並みに制限するシステムと、反動からの保護をオフにします。それはマスターを始めとするヒトへの危害を防ぐため、普通のASHが自発的には出来ない命令でした。

 他の誰でもない自分がここに立つ理由と、その意味ひとつひとつが収斂していく感覚を胸に、エクスは一番上の柱を握ります。



 ――ここに立っているのが、ただの人間ウィル博士ならば、こんな芸当など出来はしないだろう。



 誰かに充てるものかすら知れないそんな言葉をこころの奥で噛みしめて奮い立たせ、過負荷に時折腕から走る火花を頬に受けながら、エクスはひとつひとつ、懸命に瓦礫をどかしていきます。

 ですがいくらリミッターを解除したとところで、災害救助、あるいは土木作業用に作られた体を持たないエクスが取るべき最も効率的な行動が、周囲に助けを求める事である事は変わりません。




「大丈夫です、すぐに、助けますから」

「うん、頑……る。ウ……ル」



 しかし、それを重々自覚していてもなお、断続的に弱弱しく耳へと届く彼女の声が、エクスをその位置から離しませんでした。

 途切れない励ましを投げかけながら懸命に手を動かすエクスは、未だ姿を見せないプローラの間違いを正す事はしません。

 幾度も自分の名前を叫びたくなりましたが、自分が既に亡くなっている者の名を呼んでいる事すら自覚できないほどに意識を濁らせている彼女が今、ウィル博士が自分を助けに来たという喜びだけで命を繋ぎ止めている可能性は否定できるものではなかったからです。



「……もう少しです」



 やがてエクスの足が顔を覗かせた地面へと着き、散らばる筆とへし折れたキャンバスに、カバーの割れた写真立てを抱える様に握り締めて背を丸めるプローラの姿を捉えました。虚ろに開くその瞳にも、エクスの姿が見えているはずです。しかし自分の体に覆い被さる壁を取り払われ、両の目に陽の光が差し込んでも彼女は瞼ひとつ動かさず、その顔をエクスへと向ける事はありませんでした。



「私が、わかりますか」



 駆け寄ってそのすぐ傍へとひざまずき、ゆっくりと声を掛けるエクス。曲げたその膝を、赤い液体が濡らしていきます。



「はっきり、聞こえるよ……真っ暗だけど、わかるよ」



 すぐ耳元で囁かれたその声に、プローラは初めて顔を上げ、乾いた血の筋が走る口の端をゆっくりと上げて微笑みます。しかしその瞳はエクスを中央に捉えるどころか、まるで明後日の方を向いていました。体から血を失い過ぎたせいで、既に視力が失われていたのです。

 彼女の現状を突き付けられて、エクスは初めて気付いてしまいました。距離が限りなくゼロにまで近づいたにもかかわらず、プローラから発される生体反応は初めて声を聞いた時よりも更に弱まっている事を。

 絶望的な予感が、エクスを包んでいきます。



「……大丈夫です。すぐ、明るいところへ連れて行きますから」



 それでも精一杯、気の張った声を振り絞り、エクスは祈りを籠めながらプローラの腰から下に倒れ込んでいる棚を掴んで力を籠めます。

 しかし祈りは聞き届けられる事なく、残酷にも予感は的中し、戸にはめ込まれた硝子の砕ける派手な音と共にエクスの眼へと飛び込んできたのは、壁に埋め込まれていた太い鉄の芯に貫かれ、皮膚との境目から流れ出た赤黒い血だまりの中央に横たわる、プローラの下半身でした。   

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