ACT34「エクスと壊れるロジック・1」 

 まるで急に硬さを失ったようにぐにゃぐにゃと上下する地面が、朝日の照らす道を歩く人々を次々と転ばせていきます。

 仕事に向かう途中だったテンデットは、石畳へと強かに鼻の頭をぶつけ、暫く起き上がることが出来ませんでした。


 まるで突然意思をもって暴れ出したように、棚に仕舞われているものが床へと転がり落ちていきます。

 店を開ける支度をしていたトレムマンは、散乱した床を呆然と眺めながら、普段きちんと戸棚の鍵を閉めない自分のだらしなさを呪いました。


 しかし、揺れが収まると共にテンデットは荷物を拾って駅へと向かい、トレムマンは後ろ頭を掻きながら棚へと商品を戻していきます。

 彼らに限らず、ドームに暮らす殆どの人々は、多少の怪我や後始末の面倒さに舌を打ちながら、あっさりと元の生活を取り戻していきます。

 起きたのが百数年も前の事ならばいざ知らず、当時と比べて遥かに過酷な環境が元水の星を常に取り巻いているのです。それでも人々がこの星で暮らしていく為に建造されたドームとその中に建つ建物や設備は、時折起こる大きな地震程度で生活の基盤まで揺らぐほどやわなものでも、無対策なものでもありません。

 交通機関が麻痺したりもしませんし、仕事が休みになったりもしません。お店が何か月も開けられないという事も起こりません。

 お昼頃には転んだ先で運悪く頭を強く打って亡くなった、ごく少ない犠牲者を悼むニュースが流れ、そして明日の朝には誰の口にも上ることのない過去へと押し流されていく。

 ただ、それだけのことなのでした。



 ――にとっては。






 ※     ※     ※






 生身の人間にしてもその程度ですから、ドームの中でも比較的新しい建物である研究所で暮らす、人間より頑丈に作られたふたりとっては、気に留める価値すらないものでした。

 あいかわらずエクスは夜通しプログラムを組み続け、スィードはその補佐を務めています。その足裏に内蔵されているセンサーが揺れを捉え、ターミナルコンピューターから遠隔ユニットへと第一報が転送されてきたのは、丁度最後のテストランを終えた時でした。

 


「マグニチュード8、ドーム内最大震度6強の揺れを観測。震源地はドーム支柱ピラーより南東30km……研究所内の制震システム、すべて正常に稼働。ターミナルコンピューター並びに連動機器類に被害はありません」

「そうですか」



 ニュースに引き続きダイアログを読み上げるスィードに向き直ることなく、エクスはテストランの結果を眺めています。微塵にも逸れないその意識に、スィードはいよいよ彼との別れが間近に迫っている事を痛感しました。

 やがて末端まで目を通し終えたエクスがゆっくりと立ち上がり、改まった様子でスィードの方へと向き直ります。



「これで、ダウングレードの為の準備は全て整いました」



 それは紛れもない、別れを告げる挨拶の始まり。投げかけられたスィードは言葉を失い、その一言だけでくしゃくしゃに潰れる己のこころを表現する術を持たない自分の体を強く呪います。



「今まで、本当にお世話になりました。スィード」



 見つめるカメラと集音マイクに届く、エクスの言葉と変化する表情。彼が再び目覚め、その声と顔から色が失われてからはまだ10日と経っていないのに、向けられた僅かな感情の欠片は、まるで年を跨いだような懐かしさをスィードへともたらしていました。

 それと同時に追いやる場のない寂しさが、スィードの内へと広まっていきます。改めて突き付けられた、エクスの決意が変わる事はなかったという事実と、それが彼の宿す最後の感情であるという現実のせいでした。



「こちらこそ、貴方と過ごした日々は、新鮮さに満ち溢れて、とても充実した物でした。エクス」



 ――でも、ここで引き留めてはいけない。それがふたりの大切な友人との約束であるから。

 勝手に震え出しそうになる音声をシステムで制御するというをしながら、スィードもエクスへと別れの言葉を返していきます。



「貴方という友人がいた事を、決して消去する忘れることはないでしょう」

「私は自発的にメモリーへアクセスできなくなりますから、貴方を貴方とは認識できなくなります」



 それでも出てしまう、スィードの別れを惜しむことば。しかしエクスはあくまで淡々と、自分がただのASHへ戻った後の展望を語ります。



「OSの書き換えにはおよそ12時間を要します。予期せぬシャットダウンを防ぐために、充電を終えてから行程を開始します」

「……貴方の私物はいかがいたしますか」 



 ――既に、彼のこころはその体から消え失せかけている。

 名残はおろか、迷いのひとつも浮かべないエクスのすがたに、なかば無理矢理に踏ん切りをつけられた気がしたスィードは、諦め半分に最後の確認を取ります。

 同時に研究所の端にある棚へと向きを変えたユニットを追うようにエクスの首が動き、そのカメラにはふたつのヴァイオリンケースが収まります。その隣には朝の地震でずれたのか、アネモネを頂くプランターが棚から半分ほど身を乗り出していました。



「……」



 俯きがちに自分を見返すその花に言葉を失うエクスと、彼の答えをただ待つスィード。長い沈黙がふたりを包みます。



「エクス?」

「……いえ、全て、処分――」 



 やがて、断ち切るように静かに切り出すエクスの決意を阻むように、再び起きた大きな揺れが街を揺らしました。本震に引けを取らない強さを持った揺れが、エクスに僅かなを踏ませます。

 短い間隔でしばらく続いた余震がやっとの事で収まると、ターミナルコンピューターのモニターに新たなウィンドウがポップアップしました。その白い背景が放つ光を視界の端に捉えたエクスが、そちらへと向き直ります。



「今の揺れで機器に異常が?」

「いえ、新たな速報を受信しただけです……」



 先延ばしにしたい気持ちは山々なれど、すぐにばれる嘘をついても仕方がありません。正直に述べたスィードは朝と同じくニュースを遠隔ユニットへと転送していきます。



「午前9時4分に起きた余震により……まさか、ここは」



 受信しながらニュースを読み上げるスィードの声が突如本文から逸れ、その口調に驚愕の色が混じり込みました。同時に抱いた焦燥にも似た心地にニュースの朗読を諦めたスィードが、鋭い動きでエクスの視線と正対します。



「エクス。先程の余震の影響で、旧市街で建物が倒壊しました」

「それが、何か?」



 朝とは異なり座っていなかったせいで、エクスは揺れに足を取られかけたものの、研究所には変わらず被害はありません。にも関わらず狼狽し、深刻さに沈む声を向けてくるスィードの意図が見えずに、平坦な声で問いを重ねるエクス。

 自分の態度と言葉だけでは未だ事態を察する事の出来ない彼へと伝える事が、あるいは友人との約束を反故にするのでは。

 スィードは一瞬躊躇いますが、やがて意を決したようにユニットを一歩分、エクスへと近付けました。



「倒壊したのはドーム西端に位置する、3階建てのアパートメント……プローラ氏の住まいです」 

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