ACT33「エクスとこころへの別れ・2」
「どうしたんだよ、いきなり」
研究所を出て夕闇の迫る道を歩く3人。暫く引きずられてからようやく解放されたテンデットは、腕を大げさに振りながら口を尖らせました。トレムマンはスィードを小脇に抱えたまま、歩調を落とさずに半眼だけを向けます。
「道が分かんないって嘘だろ。これじゃまるで……」
――エクス君をわざち1人にしたみたいだ。
そう続けようとしたテンデットの言葉を先取りするように、トレムマンはなお歩みを止めないまま、首だけを小さく縦に振りました。
「今のあいつには1人で考える時間を与えた方がいい。どうせ今のあいつに俺達が何言っても右から左だろ」
「私には、エクスがますます意志を固くする予想しか立ちませんが……」
悪い未来を予想して沈むスィードの声に、テンデットはそうだよ、と同意を返して足を止めました。
それでも構わず歩いていくトレムマンの背中をしばらく見つめ、やがて苦みを噛んだような顔色を浮かべたテンデット。ポケットから取り出して開いたメモの紙片が、静かな夜道にかさり、と乾いた音を立てます。
「やっぱり――」
「無理矢理言う事聞かせるべきだった、ってか?朝やろうとしたみたいに」
そこで初めて足を止め、険しい顔を浮かべながら薄く開いた目でじっと見つめるトレムマンに、テンデットは否定することも、弁解を並べることも出来ずにただ黙り込んでしまいます。それを肯定と受け取ったトレムマンは腕を組み、大きく息を吐きました。
「……俺を見返すために手を貸した奴のやる事とは思えねえな」
声こそ荒げないものの、ぴりと空気が張り詰めるような怒気を浮かべるトレムマンに、気の早った自分の行いを恥じ入ったテンデットが、視線を地面に落とします。
「だけどさ」
「だけど、なんだよ?」
伏せる視線をおろおろと泳がせながら口ごもらせるテンデットに、とげとげしい口調で先を促すトレムマン。
やろうとしたことがエクスをこころの宿る者として見ない、いわば尊厳を傷つける行いだった事は彼も重々自覚しています。
「……だけど」
うまく自分の想いを言葉にする事が出来ずに、同じ言葉を繰り返すテンデットを庇うように、スィードがゆっくりと2人の間に挟まりました。
「トレムマンさんは、エクスがこころを手放す事に賛成なのですか?」
「んなわけねえだろ。俺だってただのASHに楽器を売ったつもりはねえよ」
「じゃあ、どうして――」
自分を見上げるスィードの問いに迷わず即答し、トレムマンは言葉尻に大きな溜息を混ぜ込みます。それは吐いた言葉の裏に潜む、隠れている事にこそ意味のある真意を汲み取ってもらえなかった、そんなもどかしさが見え隠れしています。
ことばは自らのこころを寸分の互いもなく伝えられるものではありません。
自分とそれ以外のすべてを隔てる壁の内側にしか存在できないこころ。言葉であれ行動であれ、それをどうにかして誰かに伝えようと外に出す段階で、そこには必ず表しきれなかった欠落や、逆に余分な装飾がくっつき、自らの抱くものが正しい形を成して届く事はないのです。
とりわけ人より言葉足らずでぶっきらぼうな性格をしていると自他ともに認めているトレムマンの事ですから尚の事でした。
伝えたいものと伝わるもの。その隔たりを埋めるものこそが、自分と相手との関わりの経験――ことばとうごきの積み重ね――なのですが、それはあくまでお互いの事だけを見ている時に限ります。語るものの中心であるエクス本人がこの場に居ない今、彼を思う3人の視線が交差することはなく、それではことばの裏に隠れた真意など読み取れるはずもありませんでした。
トレムマンとて、明日にでもエクスがただの機械に戻ってしまうという不安を抱いたまま家路に着く事は望んでいません。マスターコードを手にするテンデットが再び思い至った様に、彼がこれからもこころをもった存在であり続けるという確約を得られるのならば、縋ってしまったほうが遥かに楽です。
しかし――。
「あいつがどうしたいかは、あいつ自身が決める事だ。いや、あいつが決めなきゃ意味がねえ」
それは同時に、エクスが心を持つという事に対する何よりの否定でした。その意思を全て抑え込み他人の意のままに動かす、それは映像の中でウィルが目論み、エクスへと深い傷を残した行いと何ひとつ変わりません。
「言う事を聴かせることも、
エクスがこころを手放し、ASHに戻るということは、エクスとしての死と言えます。
生き死にの自由、どこで命を使い切るか。
それこそ、意志を持つものとして最後に残された表明の場所。答えのわかりきった問いに、テンデットは強く首を振ります。
「そうだね。エクス君の望みと僕達が望みと重なるように、祈るしかないか」
「彼が外的要因を意図して排している今、可能性は低いですが……」
テンデットは半ば無理やりに気持ちを前に向けようとしますが、楽観の出来ないスィードは無慈悲に現実を被せてしまいます。珍しく浮かべる渋面を浮かべるテンデットへ苦笑を返すトレムマン。互いにいつもとは逆の表情を浮かべていました。
「あいつだって何も考えずにコンソールを叩いてるだけじゃねえだろ。それができんならダウングレードなんざ必要ねえし」
繋ぎ合わせた簡単な事実を続けるトレムマンに今度は否定も返せず、俯き加減にカメラを下へと向けていたスィードも、ユニットの傾きを戻して夜空を仰ぎます。
「そうですね……私も祈る事にします。願いの強制はいけませんが、密やかに思うくらいならば」
祈りとは迷い苛まれる者が頼る先であり、現実の事象を動かす力は決してありません。
また、3人に向かって抱く願いが実を結んだ結果なのだと告げても、必死に否定を返すでしょう。
あくる日の朝、ドームを大きな、大きな揺れが襲いました。
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