ACT31「エクスと要らないパーツ」 


【Reboot】







 およそ50時間ぶりに、エクスのカメラに光が映りこみます。それが見慣れた研究所の天井に灯るライトであると理解するまで数秒を要してから、蒸着槽から身を起こしました。粘り気を含んだその水音を聞きつけ、3人は駆け寄ります。



「目が覚めたか!」

「エクス、私達がわかりますか?」

「どこかおかしなところはない?」



 次々と上がる心配の声に応えないまま首を斜め下に向け、エクスは右腕を見やります。そして指の1本1本閉じては開き、ついで左手も同じように、最後は両脚……と全身の感覚を確かめ、何かを思い出したように頭の右側を触れます。そこは取り囲んだ人たちに寄って初めに殴られた場所でした。



「……毛髪が、なくなっていますね」



 誰とも目を合わせないまま虚ろに呟くエクス。再び目覚めて初めて浮かべる文句にしてはいささかそぐわない言葉に、3人はしばし呆気に取られていました。そんなどこかピントのずれた疑問を浮かべるエクスの様子に気を緩めればいいのか、それとも更に心配すればいいのかわからない微妙な空気がしばらく流れます。

 テンデットもトレムマンも、そしてスィードも。今エクスの中にどんな思いが渦巻いているのかを読み取れないのは、単にパーソナルスキンが剥がれたから、という理由だけではないでしょう。

 再起動を経て、身体の傷が全て消えたからからと言って、彼の体験そのものが消えたわけではありません。受けた心無い言葉と降り注ぐ暴力は、今もなおメモリーの最も新しいところに居座り続けているはずです。

 にもかかわらず、焦点のあっていないカメラでただ正面を眺めるエクスの顔には理不尽に対する怒りも、拒絶に対する悲しみも浮かんでいません。

 喩えるならばそれは決して真っ新なキャンバスではない、ぐしゃぐしゃに混ぜた暗色を上から無理矢理に塗りつぶしたような、不自然な白。

 


「……うん。少し損傷がひどかったから、スキンをもう一度張り直したんだ」



 ともすれば日の暮れるまで同じ姿勢を崩しそうもないエクスに、やがてテンデットが口を開きます。未だ内面を見て取れないまま、ただ沈黙に耐え切れず発したその言葉には、気遣いも同調も含める事ができませんでした。 

 


「そうですか」



 それが彼にどんな感情の欠片を齎したのか、やはりエクスはおくびにも出す事はなく、ただそれだけを返して立ち上がりました。濡れたままの体を拭く事も無く、すたすたと出口へと歩む彼に、思わずトレムマンとスィードが先回りしてドアと彼の間に挟まります。



「……どこ行くんだ?」

「何か、火急の用が?」



 口々に訊ねる2人に、エクスの足が止まりました。



「まだ、細かな点検が残ってる。起き抜けに無理をするのは……」


 

 そこへ一拍遅れて立ち上がったテンデットも加わります。

 どんな思いを抱えているか分からないまま、エクスをひとり外へと出してしまうのは、あまりに心もとない。言葉を交わすことなく同じ思いを抱いていた3人の体は、エクスとドアの間に進行を阻む壁を生み出していました。

 同じようにして取り囲み、そして自分を責め苛んだ大人たちとは違う、純粋に不安を潜ませた心配を向ける5つの瞳を、エクスはゆっくりと見回します。



「お気遣いは感謝します。ですが今は、少しだけひとりになりたいのです」



 そうして発した声と共に首を僅かに傾け、少しだけカメラのシャッターまぶたを降ろして眉を下げるエクス。その顔に潜んでいたのは自分を思ってくれることに対する感謝――







 ではなく、実はでしかなかったことを読み取れなかった3人は、久々に見たエクスの感情の片鱗に安堵を抱いていました。それがドアを塞いで立つそれぞれの姿勢に僅かな隙間を生み、エクスはその間をするりと抜けていきます。



「あっ……」



 あまりにあっけなく突破された壁に、テンデットが間の抜けた声を上げました。慌てて振り返る間に、エクスは開いたドアから昼下がりの街へと歩き出しています。



「エクス!」



 どこか力の感じさせず、ゆくらとした歩みで遠ざかるエクス。その背中を呼び声が突き刺します。

 傍に立つ2人が驚きに目を丸くするほど大きなその声は、必死に追いすがるスィードのものでした。生まれてからずっと静かな物腰を崩さなかった彼が初めて上げた叫びに、エクスの足がピタリと止まります。



「……何か?」



 振り向かないままに呼び掛けの意図を問いかけるエクスに、初めて思考よりこころを先行させていたスィードは次に投げかけるべき言葉を見失ってしまいました。続く沈黙に再びエクスの踵が宙に浮く直前、迷うスィードの思いを引き継ぐように、トレムマンがずいと前に出ます。



「ちゃんと帰って来いよ」

「……それは命令でしょうか」



 静かに返す言葉の裏に隠れた拒絶の意思。

 ここへ戻らないとするならば、彼は何処へ向かうというのか。これが今生の別れになるという最悪の結末が頭を掠めたテンデットが、思わずマスターコードを記した紙を開き、ラップトップの収まる鞄へと手を伸ばしました。



「やめろ!」



 機械には疎いトレムマンですが、テンデットがこころを持つもの同士のやりとりを飛び越した、機械に対するをしようとしていたことを感じ取ったのでしょう。

 後ろから聞こえてきたコンソールを叩く音を鋭い声で制止し、トレムマンはエクスの正面へと回り込みます。



「そんなんじゃねえよ。約束だ。まだ演ってない曲目があんだろ?」



 ――楽譜も用意してるんだ。と続けて歯を見せるトレムマンに、エクスはぐっと一度目を閉じた後、無言で再び歩き出しました。先程よりも早いその足取りで角を曲がり、3人の眼からその姿が消えます。スィードとテンデットは慌てて後を追いますが、既に彼の姿は人波へと消えていました。





 ※     ※     ※





 傾きかけた西日が、広場の中央で吹き上がる水に僅かな色を付ける頃、エクスは噴水の前に腰掛けて、間の前を歩く人たちをただ眺めていました。

 つとめて何かを思考する事の無いようにぼうっと目を向けていたつもりのエクスですが、行き交う人の中に小柄の女性を見つけるたびに、短い金髪が夕陽に靡くたびに、そのこころが鈍い痛みを運んできます。

 寄せては返すさざ波のようにざわめく心地に煩わしさが極に達し、俯いて大きくかぶりを振るエクス。大きく振れたその視界の端に、2人の男女が映りこみます。

 何の気なしに見やると、女性が抱えきれない荷物を押し付け、足早にその場を去っていく様子が映りました。残された少年とも言える見た目の男性は両腕に下がる重たそうな荷物にも顔一つ歪めず、エクスの座るベンチの横にじっと立ち続けています。

 エクスの隣にはたっぷりスペースを開けたとしても、ゆうにもうひとり座れるほどの余裕があります。

 にもかかわらず、残された少年はそこに目もくれません。

 荷物は洒落た装飾の施された袋にしっかりと包まれています。地面にも汚いごみが散乱しているわけでもありません。

 それでも残された少年は袋ひとつ置く事はありません。

 しばらく経っても立つ位置ひとつ変えない少年にどこか違和感を覚えたエクスが、今度はしっかりと視線の中央にその姿を捉えます。遠いとは言えない距離でじっと見られていても、やはり少年は視線ひとつ向けて吐きません。その横顔を眺めながら、エクスはひとつの思い立ちのもと、カメラの機能を立ち上げます。


 ――ああ、やっぱり。

 映るもの全ての属性を分析するモードに切り替わったカメラが、彼が人ではなくASHであると告げてきました。小さな疑問が解消したエクスは少年から視線を外し、再び視界を前に向けます。

 人。人。犬。人。ASH。猫。人。ASH。虫。人。ASH……機能を切り忘れたカメラがそれこそ無感情に告げる、視界に映っては消えていくものの正体。改めて眺める人いきれの中には、エクスが考えていたよりも遥かに多い割合で、ASHが混じっていました。

 そしてそのどれもが、自分のような暗い顔を浮かべずに、所有者に寄り添ってその責を全うしています。隣に立って主を待ち続ける少年型のASHもエクスと同じようにただ前を向いていますが、やはりその顔からは微塵も取り残された不安ひとつ伺えません。

 自分と同じ存在であるはずなのに、エクスはその佇まいをどこか遠い、深い溝を挟んだ向こうのものとして見ていました。

 

 ――いいなあ。

 段々と空が明るさを失う頃になっても変わらず、ただ待ち続ける少年の姿勢に覚えたまぶしさ。それが羨みであると自覚したエクスは即座に己の内へと否定の言葉を浮かべます。

 羨望とは自分よりも優れる存在に対して抱くものであり、彼も自分も同じASHである。スペックに差がないそれどころか、自分は他のどのモデルにも搭載されていない機能を保持している。

 なのになぜ、彼らを遠く、あまつさえ羨ましいと感じるのか。エクスはその答えを見出すことが出来ません。

 やがて所有者である女性がやっと戻ってきて、更にたくさんの荷物を押し付けられながら、それでも笑顔で並んで家路に着く少年の顔を見送って、エクスはぽつりと呟きます。



「……惑わないからか」



 空には既に星が浮かび始めています。たっぷりと考える時間を経てエクスは立ち上がり、広場を後にしました。






 ※      ※      ※





「戻って来た……!」



 じっと見る窓の先、遠くの街灯の下に彼の姿を見つけたテンデットが、いち早く研究所のドアを開けます。



「遅えんだよ!結局1日店締めちまったじゃねえか!」



 憎まれ口を叩きながらも顔を明るくするトレムマン。出て行った時と向きだけを変えて、エクスは再びドアの前で3人と向き合います。



「ご心配をおかけしました」

「いいんだよ。俺は信じてたけど、こいつがよぉ」

「僕だってちゃんと待っていたろ!人聞き悪い事言わないでよ……」


 頭を下げるエクスへと軽口を叩きながら破顔する2人。その間を通り抜けて、スィードはじっとカメラの中央にエクスを収めます。



「エクス……無事に帰ってきてくれて、ありがとう」



 染み入るような静かな声で帰宅を喜ぶスィード。浮かぶ彼の高度へ几帳面に顔の高さを合わせたエクスは、穏やかな笑みを浮かべます。




「早速で申し訳ありませんが、ひとつ依頼事があるのですが」

「なんでしょう?」

「僕達に出来る事ならなんでも」

「俺も協力するぜ」



 新たな意思を示したことへの喜びを満面に浮かべる3人の顔をもう一度見まわし、エクスははっきりと告げます。



「では、ダウングレードの準備を」



 ――……え?

 3人の声が重なり、和らいでいた空気が一変します。呆ける3人の姿を見て、自分の要望が何を指すかを飲み込めていないと判断したエクスが、今度は少しだけ声を大きくしました。





「私の自律回路から、こころを排除します」  

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