ACT30「エクスと痛みの記憶・3」

 スィードも、トレムマンも、テンデットも。誰しもが発すべき言葉を失っている研究所の中とは対照的に、再び色彩を取り戻したモニターがエクスとプローラぞれぞれの慟哭どうこく激昂げきこうを映し出していきます。



『あんた、プローラに何したの……!』



 突如としてカメラの後ろから割り込んだ声に、食い入るように画面を見つめていた3人はびくりと体を震わせました。

 エクスが何かを口にする前に、カメラがぐるりと後ろを向きます。観る者を酔わせるほどに余りに乱暴で急だったその動きは、エクスが自発的に振り返ったのではなく肩口を掴まれ強引に後ろを向かされていた事を物語っていました。

 行き過ぎてからわずかに戻り、ようやく止まったカメラの先に映っていたのは、訝しさと少しの怖れ、そして大きな怒りと害意を込めた人々の眼。先頭に立って睨み付けていた男がふたりを強引に引き剥がし、崩れ落ちたプローラへと女性達が駆け寄ります。



『プローラ、大丈夫?!痛いところはない?!』

『違います!私は何もしていない!』

『……首元を見ろ!こいつ、ASHだぞ』

『聞いてください!』

『黙れ、所有者マスターはどこだ……暴走か?』



 弁解の余地すら持たせない人々に寄って、あっという間にバグによって暴行を働いた出来損ないのロボットへと仕立て上げられていくエクス。あまりに一方的で偏見に満ちたその光景にトレムマンは舌を打ち、スィードは失意を表すように高度を落とし、そしてテンデットは目を背けようとしました。



『……やられる前に、やっちまおう』

『お、おい……まだ所有者も分からないのに、か?』

『流石にそれは――』

『このままにしておけば、いつ俺達に襲い掛かるか分からないぞ!』



 取り囲む男性の中にひとり、率先して先頭に立ち、明らかに敵意を以って周りを扇動する声がありました。どこかで聞いた覚えのあるその声に、テンデットとスィードの俯きかけた顔が再び持ち上がります。改めて声の主を注視しようとした矢先、画面が激しく揺れて地面に横倒しにされました。



『止めて、下さい……私は、なにも』

『『『『黙れ!』』』』



 マイナスの感情をひとつに束ねたよう重なる罵声。そこから延々と続いた。まるで上から断続的に岩を落とされているような衝撃に乱れる映像が気の滅入るほど続き、やがてノイズの走り出した画面が明るさを落として行きます。



『……機械ごときが調子に乗るからだ』



 電源が落ちる間際、やけにはっきりと録音された扇動者アジテイターの声。それはあの日テンデットとスィードに捨て台詞を残して去った、ギター弾きのものでした。






 ※     ※     ※






 映像が途切れ、静けさを取り戻しかけた研究所の中に、トレムマンが台車を蹴飛ばす乱暴な音が大きく響き渡ります。



「マジで気分悪い」



 吐き捨てる嫌悪の裏側には、もし自分がエクスと出会った時のままだったなら、あるいはあの暴行に加わっていたかもしれないという可能性への空恐ろしさが潜んでいました。

 しかし、それは端に咥える煙草のフィルターを噛み千切りそうなほどに強く結ぶ口の、僅かな震えだけしか知り得ない事でした。



「私達が、原因を作ってしまった……?」

「いや、スィード君は悪くないよ。僕が広場の演奏なんてひけらかすような真似をさせなければ――」

「なんでそうなんだよ!完っ全にやつの逆恨みだろうが!」



 呆然と呟くスィードと責任を一手に被ろうとするテンデットをきっと睨み付け、トレムマンが怒鳴り声を上げました。そのあまりの声量に怯んだように後ろへ下がる2人を見て、少しだけ落ち着きを取り戻したトレムマンが後ろ頭をぼりぼりと掻き毟ります。



「悪い……でもよ、そこを否定しちまったら、アイツはって事になっちまう」



 ぽつりとこぼし、天井を仰ぐトレムマン。それは即ち、自分たちとの出会いそのものが間違いだったという事。いくら気落ちする2人を前にしたとしても、彼にとってそこだけは譲ることができないものでした。

 芸術に興味があって、週末は絵を描くために広場に赴く――想いを告げ損ねた女性の行動パターンに沿って出来る限り出会う可能性を高め、しかしあくまで自然に知り合うように。

 ウィル博士によって仕込まれたそんな命題がエクスの行動の基幹であったとしても、『そこに辿り着くための術そのもの』が定められているわけでは無い。

 

 あくまでこころをも手にしたエクスが自分で選んだ道の途中に、自分たちとの出会いがあったのだと思いたい。

 そして、彼にとってマイナスよりプラスの欠片を多く運ぶ出会いであったと信じていたい。


 トレムマンは雄弁にものを語れる人間ではありません。そんな願いを上手く口にできない自分に苛立ちを覚えていました。

 ですが、テンデットも、スィードも静かに頷きを返します。それは言外に彼の意思が伝わったという、そして何よりこの場にいる3人が3人とも同じ願いを抱いているという証明でした。



「……そろそろ、蒸着槽のスタンバイが終わる。スキンを定着し終えたら、彼を起こそう」



 その思いが正しいのかどうかは、エクス本人にしかわかりません。意を決したように答え合わせの算段を口にするテンデットへと、スィードが口を挟みます。



「プローラ氏による否定に、受けた数々の暴行……エクスに堆積しているマイナスの欠片は計り知れません。使命を終えてしまった彼が、如何なる行動を取るか……」

「自棄になるかもしれない、ってこと?」

「ウィルって野郎も、随分と自分勝手だよな……やらせるだけやらせて、後の事を考えなかったのかね」



 噛み砕くテンデットの言葉に意味を理解したトレムマンが、ため息を交えて嘆きます。するとテンデットがその言葉によって何かを思い出したように、再びターミナルコンピューターの前にある椅子を引き、コンソールを叩き始めました。



「何してる?」

「どんな優れたプログラムを組んでも、いざ走らせないと分からない事は絶対にある。こころなんて複雑なものならなおさらだ。彼にとってはエクス君がプローラさんに思いを寄せる事自体、想定外だったのかもね」



 モニターには滝のような勢いで文字列が流れていきます。訝しむトレムマンとも、覗き込むスィードとも視線を合わせず、指先のスピードも全く緩めないままに、テンデットは独り言のような小ささの早口で答えました。



「……やっぱり。さっきは覗く前にまるまる阻害するようにしちゃったから、気付かなかった」

「何が判明したのですか?」



 説明を促すスィードに、指の動きを止めたテンデットが椅子ごと振り返り、感慨の深そうな顔を浮かべました。



「目的を果たした後の行動基準が、結果の如何に関わらず何も設定されてない……つまりは今現在、エクス君は初めて誰からの強制も受けない、を手にしている」



 ――ついでに言うと、君もね。と続けたテンデットでしたが、スィードはその事実に対する喜びも戸惑いも表さず、むしろ心配に浮ついたような声を向けます。



「ということは、彼が例えば自分を害するような行為に走っても、システムが阻止する事はないということですか……?」

「うん」

「おいおい、挙句の果てに無責任ってか……」 

「それは――」



 呆れたように呟くトレムマンに何かを言い掛けるテンデットでしたが、そんな彼の口先を制するように、蒸着槽から電子音が鳴りました。

 プレーンスキンを成す為の構成物はプライベートスキンのそれと比較して速乾性を重視しているため、直ぐにボディを浸さなければいけません。考える猶予の限界を告げるフラットなその音に、テンデットは仕方ないといった風に椅子から立ち上がりました。

 


「……あとはエクス君を起こしてからにしよう。僕達も少し休まないと、良い考えも浮かばないよ」



 気付けば朝日はとうに街並みから離れ、空へと向かって輝きを強めています。テンデットの一言に呼び起されたようにこみあげる欠伸を噛みしめ、トレムマンも渋々と言った風に頷きます。



「だな。寝不足であーだこーだこねても、結局は口喧嘩になっちまいそうだ」

「私は蒸着槽をモニタリングします……どの道眠れそうもない」



 苦笑交じりの冗談を浮かべて強がるスィードに、トレムマンは小さく笑って、彼の不安を和らげようとします。



「頼んだよ。……でもあんまり思いつめないで。万一の場合への備えも、ないわけじゃないから」

「備え?」



 鸚鵡おうむに返してくるスィードにも気取られないほどの短い一瞬、トレムマンは細い瞳で机の隅を一瞥しました。



「……できれば、使いたくはないけど」



 誰にも聞こえないほどの小声で呟くテンデット。

 机には開いたままのメモ帳が乗っており、そこには作業の傍ら残した汚い走り書きで、エクスのマスターコードが残されていました。

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