ACT29「エクスと痛みの記憶・2」

 映像は、エクスのカメラが鏡と睨みあっている所から始まりました。映し出されるその顔は緊張に引きつりながらも頬は緩んでいるという、複雑な色を浮かべています。



「随分楽しそうだな」



 服を変えては全身を映し、たっぷりの間を挟んでクローゼットの中をズーム。そして再び鏡へ……エクスの足取りの軽さを表すように上下に揺れる映像に、思わずトレムマンがくくっと笑いを嚙み締めます。とてもその先に大きな不幸が彼を待ち受けているとは思えません。 



「……そりゃ足繫あししげくも通うわ、なあ?」



 台車に手を伸ばし、映像の中でエクスが手に取ったものと同じ眼鏡を手に取るトレムマン。右眼側だけに残るレンズを天井に向けると、黒縁の中だけ世界が歪みます。



「必要ねえだろうに」



 上げる口角にちょっと下卑たものすら漂わせ、トレムマンはテンデットに同意を求めました。

 しかし彼はそれに答えず、ただ鏡に映るエクスのプライベートスキンを食い入るように見つめていました。一向に返ってこないリアクションにトレムマンがつまらなさそうに溜息を交える頃、ドアへと向かう映像がにわかに激しくぶれ出します。




「ま、このあたりは飛ばしてもいいだろ」



 トレムマンの声に我に返ったテンデットが慌てて頷き、それを合図として倍速で上下に揺れていた画像が、1軒の古ぼけたアパートメントの前で止まりました。

 窓辺のある1点を捉え続ける映像がその主、つまりはエクスの関心を強く表している事を察して、テンデットは再生速度を元に戻します。



「ここは?」

「プローラ氏の住まいです」



 つるが歪み、レンズの割れた眼鏡を手元で遊ばせていたトレムマンの問いに答えるスィードの声に、テンデットはここが……?と密かに眉根を下げました。



「このエリア一帯は、老朽化が進んでて人は住めない筈だけど」

「お上にダマでバカ安値で紹介してるとこがあんだよ。大方あいつも訳アリってとこなんだろ」



 スィードに代わってトレムマンが答えますが、テンデットの顔から曇りは取れません。

 彼が知りたいのは住むことの許されない場所に居を構えることが出来るのか、ではなく、なぜ彼女がそんな場所に住んでいるか、ということでしたので、訳知り顔で語ったその説明はいささか的を外していました。

 ただひとり、その理由を知るスィードだけが沈黙を守っている間に、映像はアパートの中へと入っていきます。



『ウィル……?』

『何年振りになるだろう。再び君の口から私の名が出たことに、先ずは感謝を――』



 大映しになったプローラの顔が固まり、長い間を以って呆然と呟かれた名前。やがてカメラの最も近くから発された、エクスのそれとはまったく別の声に、ふたりは驚きの表情を浮かべます。



「今のは?」

「なんだ、後ろに誰かいたのか?」



 口々に発される疑問に、どこかこころを押し殺したように平坦なスィードの声が答えます。



「私達の製作者マスターである、ウィル博士の音声です」

「なんだって、んな事……」

「ひとまず続きを見よう。きっと理由がわかるはずだ」



 その意図が分からず、首を傾げながら腕を組むトレムマンをテンデットがたしなめます。しかし疑問に同調するその声とは裏腹に、彼にはそのおおよその理由に見当がついていました。

 突然耳に届いた想い人の声に、呆けた様に固まったプローラの顔。その後ろには古い鏡があり、そこには黒縁の眼鏡を掛けたエクスの顔が映っています。

 一抹の寂寥せきりょうを添えながら、どこまでも穏やかな表情で彼女を見つめるその顔は、パーツのどこを挙げても、昨晩テンデットがベッドの宮で見つけた写真立てに映る男性のそれと全く違いのないものでした。



「プローラ氏がエクスへと自分の名前を口にすることが、音声プログラム再生の鍵となっていました。この時点でエクスの自律回路は全てプログラムに優先権を奪われています」

「どういうこった」

「……自分の意思とは無関係に喋らされている、って所かな」



 トレムマンにもわかるように専門用語を言い換えながら、スィードの説明に捕捉を加るテンデット。頭の中で平易な表現に噛み砕くプロセスが唐突に、彼へとにまた別の仮説を運んできて、言葉尻の間際にその眼が軽く見開かれます。



「スィード君も、これを恐れて再同期を拒んでいた……ってことかい?」

「はい。同様の現象は以前にも起きていました。その際は私の意識がプログラムに奪われ、エクスへ博士のメッセージを運ぶ役目でしたが――」



 後に反対の言葉が続く接続詞を最後に切られた言葉に、ふたりは目を向けて続きを促しますが、スィードはただ黙ったまま。

 画面の中に映るプローラも予期せぬ再会に声を失っており、彼女の声を待って初めて受け応えるよう設定されているプログラムもまた、自発的に何かを喋る事はありません。

 少しの間だけ流れた静寂の末、スィードの小さな、ともすれば機械の駆動音にもかき消されるほどに小さな呟きが零れました。



「……不思議なものです。あの時は優先されるプログラムに従う事へ、何の怖れもなかったはずなのに」



 僅かにユニットを床へと傾けるスィード。ふたりの視線から逃げると同時に、過去の自分の姿からも目を背たかったのかもしれません。

 こころを持ち、自分に考える余地を挟めるようになった。今だけを切り取ればその新たな可能性が彼を思い悩ませてるのは明らかです。それを不幸だと同情を寄せるのも間違いではないでしょう。




『だってあなたは、私より研究が大事だからって』



 ――しかし。掛ける言葉を失うテンデットとトレムマンの代わりに、画面の中の彼女と彼が再び、静けさの中へ言葉を生み合い出していました。




『それに同じ一方的なものでも、死別ではなく離別ならば、君はまた新たな伴侶を見つけて幸せになれる――』

『そんなの自分勝手だよ!私の気持ちも知らないで……』

『……ありがとう。確かに、君の気持ちを勝手に決めつけた末、酷く傷つけた』



「これって、アイツにも聞こえてんのか」

「ログを追わない事にはなんとも……でも、可能性はゼロじゃない」

「……だとしたら、それほど酷な話もねえな」



 映像の中のエクスを思いながら、テンデットは渋面を浮かべます。映像の始まりに映っていたエクスの浮かれようを見れば、彼がプローラに対して抱いている感情は――たとえ色恋沙汰に疎いふたりにも――明らかでした。

 その想いを告げる前に、以前その感情を互いに通わせていた相手に体を奪われる。まして取り乱すプローラがウィルへの想いを断ち切れていない事も明白です。もし意識が残っていて、しかし文字通り指先ひとつ動かせないままにそのやりとりを見せつけられているのなら……。



『それが今、エクスが君の前に立っている理由の全てだ』

『嘘だ!』



 ヒビの走ったガラスが割れそうな大声を上げるエクスを、見ている誰もが責められませんでした。因果はなにもかも異なりますが、今スィードが抱いている苦悩をエクスもまた――あるいは、それよりも何倍も大きな残酷さを伴って――突き付けられたのです。

 そして突如途切れた映像に、モニター画面が真っ黒に塗りつぶされます。そこには俯くスィードの姿と、奥歯を噛みしめるトレムマンの顔、そして。



「割り込み……?」



 思わずログと見比べながら、僅かな驚きを浮かべるテンデットの瞳が反射していました。 

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