ACT28「エクスと痛みの記憶・1」
「そのまま真っ直ぐ……足下に配線があります。気を付けて」
「わーかってるよ。俺は大丈夫だ……おいテンデット、しっかり脚上げてねーとスッ転ぶぞ」
トレムマンとテンデットが、それぞれの両腕をエクスの脇から通す形で、ベッドから研究所へと運んで行きます。僅か数メートルの距離に過ぎませんでしたが、同期の為の椅子へ歩を進める毎に、テンデットが支える右肩が段々と下がっていきました。
「ま、まだ、かな……?」
「あと4歩です。しっかり」
「おめえ本当にひと回り歳下かよ……」
ひゅうひゅうと細い息を混じらせながら、青い顔に大粒の汗を浮かべて呻くテンデットの周りをスィードが心配そうに飛び、対照的にまだまだ余裕のあるトレムマンはその様子を半眼で見つめながら呻きます。
「止まってください。エクスの両脚をここに……くれぐれもゆっくりと」
「「いよ……っと!」」
「っし、これで崩れ落ちる事はなさそうだな」
「多少、不格好……だけど、ね」
曲げていた腰を伸ばして両腕に向け、トレムマンは凝り固まった肩をほぐすように伸びをひとつ。浮かせていた踵を戻すと、椅子の背もたれに格納されているケーブルの先端と、エクスの体を交互に見つめました。
「こいつらはどうする?引っ張り出しちまうか?」
「力任せに行っては、中で断線してしまいます。それに――」
「それに?」
無遠慮に手を伸ばすトレムマンと椅子の間に割り込み、更に何かを言い淀んで言葉を切るスィード。やり取りを眺めていたテンデットはそこから何かを汲み取ったのか、煮え切らない様子に納得の行かないトレムマンが再びケーブルに伸ばし掛けた腕を軽く掴んで止めます。
「なんでぇ、お前まで」
「……先にセキュリティを全部外しちゃおう。スィード君がターミナルコンピュータとの接続を拒む理由と同じ何かが、エクス君にも仕込まれているかもしれない」
――だろ?とスィードを見やるその目配せで確認を取るテンデット。
それは再同期を拒んだ理由そのものを無理に追求し直すことはしない、ただトレムマンの行いを止めたスィードが抱く、本当の意図だけを代弁したものでした。
「それが一体どうしてなのかは、言う覚悟が固まった時に教えてくれればいいさ。それがわからなくたって同期する前に自動実行プログラムを全部殺しちゃえば、新たに予期しない何かが起こる事もない」
「……ありがとう、テンデットさん」
未だ定まらないこころの内をあえて迂回する、その優しいずるさとも言える心遣いにスィードは思わず敬称を外し、深く深く御礼の言葉を述べていました。
そんな彼へとあくまで軽い、へらりと笑いを返したテンデットは、改めて意を決したように立ち上がります。数分の間に取り戻した体力のなせることなのか、今度は確かな足取りをもってターミナルコンピューターの前に立ちました。
「私も協力いたします」
意気込みを飛ぶ軌道に乗せて、その傍らに位置取るスィード。ですがテンデットは少し困った様に腕を組んで唸りました。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、君の力を借りるのはもう少しだけ後かな」
「……そう、ですか」
「気落ちしないで。その時が来たら存分に頼らせてもらうから、さ」
片目を閉じておどけてみせてから、改めてモニターを見つめるテンデット。久しく使われておらず、薄く埃の被ったコンソールに手を置き、静かに一度瞳を閉じます。
やがて再び開いた眼の光からは柔らかさを取り除かれ、連動するように表情も引き締まっていきました。
「上手くいくでしょうか」
それ以上の抗弁を立てなかったものの、トレムマンの隣に戻ったスィードはどうしても不安の拭いきれないようで、ゆらゆらと高度を変えながら呟きます。
「問題ねえと思うぞ」
そんな彼とは対照的に、トレムマンは何の危惧も抱いていないかのように迷いなく返しました。確信すら漂わせるその口調に思わずその根拠を求めてカメラを向けてくるスィードに、トレムマンが顎をくいと上げ、テンデットの横顔を見るように促します。
「完全に本気モードだ」
真っ黒の背景に次々と浮かび上がる文字列をひとつたりとも見逃さず、絶えず目を左右に動かして追っていくテンデット。眺めている側にも空気を伝って届くその集中力に、スィードもいつしかふらふらと飛ぶことを止め、コンソールの上を踊る手先とモニターをじっと見つめていました。
「さて……まずは彼との知恵比べだ」
その一言を皮切りに、テンデットの手が目にも止まらぬ速さで動き出します。彼とセキュリティーとの静かな戦いの火蓋が落とされた合図でした。
※ ※ ※
「……よし」
それから30分程。一度も速度を緩める事のなかったテンデットの手が止まり、代わりにその口から満足気な息が漏れました。
「どうだ?」
「どうですか?」
途切れる事のなかった緊張と迫力に微動だに出来なかったトレムマンとスィードが、弾かれたように同時に駆け寄り、テンデットはそんなふたりへとにんまり口角を上げて応えました。
「研究者としては無上の存在かもしれないけど、エンジニアとしてはこっちが一枚上手だったかな」
「勿体付けずに言えっての」
「ごめんごめん……マスターコードを引っ張り出せたよ。これでここにあるオンライン機器全部の権限を握れた」
そこでテンデットは一度言葉を止め、少し申し訳なさそうに眉を顰めてスィードを見やります。
「なにか、問題が……?」
まさか予期せぬアクシデントが起きたのかと先を急くスィードに、テンデットは暫く目線を
「エクス君や君のOSについても、だけど……つまり、君達を強制的に抑え付けることすらできてしまう」
その言葉が指す所は、その気にさえなってしまえばいとも簡単に彼らの支配者になれてしまう立場になってしまった事への、ある種の悔やみでした。
それはエクスを治す都合上避けては通れないことでしたが、普通のコンピューターと異なりこころを持つ相手の支配権を握るということは、テンデットの胸にどうあっても割り切れない罪悪感をもたらしていました。
――しかし。
「それが何か、問題が?」
「……へ?」
さっきと一言一句変わらない言葉で、しかし口調には単なる疑問だけを乗せてユニットを傾けるスィードに、テンデットの口からは思わず間の抜けた声が漏れました。
「テンデットさんは、無意味にそのような事をする人間ではないでしょう?」
意味を問い返すテンデットへと放たれる、恩着せもこびへつらいもない、ただ当たり前の事実のみを並べるスィードのことば。
そこに込められたものが、テンデットのこころへと確かな温度を呼び戻していきます。
「……ったく」
やりとりを後ろで聴いているトレムマンのほうが、青臭さと照れくささにそっぽを向いています。目を大きく開いて見つめ合うふたりの間には、しばらくただ心地の良い沈黙だけが漂っていました。
「……じゃあ、今だけは行使させてもらうよ」
決意を新たに、今までよりも数段速度を落とした手付きでテンデットがコンソールに置いた指を動かすと、椅子から同期の為のケーブルが這い出してきました。
しかし普段と違う不自然な態勢で椅子へと固定されているエクスの体に、ケーブルの先端が上手く収まりません。
「トレムマンさん」
「同じ色のとこに差し込みゃいいんだろ?」
「頼める?」
「おしきた」
テンデットの呼び掛けに力強く答えたトレムマンが案外と手際よく、エクスへとケーブルを差し込んでいきます。やがてモニターに表示された自動で同期を始める旨が表示され、再びテンデットがコンソールを叩き、手動制御に切り替えました。
「衝撃のせいかな……OSのデータがあちこち飛んでる……」
おおよそ1日半ぶりに再び接続されたエクスの現状を表すウインドウを眺めるテンデットが、彼の受けた暴虐の無遠慮さを想像しながら顔を顰めました。
「治せそうか?」
「うん……欠損しているのは基幹部分だけみたいだから、普通のASHと変わらないと思う」
「よかった……」
手を叩きついた埃を払いながら顔を覗き込むトレムマンに、余計な心配を掛けまいと顔を戻して軽く頷くテンデット。ついで逆側で安堵の息を漏らしていたスィードへと目を向けます。
「でも、エクス君が普通のASHと比べてどうカスタムされてきたかの情報も必要になる」
「任せてください。ボディ、OS共にアップデートの履歴は全て記録してあります」
スィードの自信を匂わせる声に胸の前で軽く拳を握り、テンデットは蒸着槽に繋いでいたクレードルを取り外します。
充電専用に改造した時よりも数段早い手付きで元に戻し、そこへスィードを招きました。
「OSの修復と並行して破損したボディも成型しよう。図面は呼び出せる?」
「もちろん。ではプリンターを起動させます」
言うが早いか、クレードルに収まったスィードのランプがちかちかと光り、サブモニターへ幾つもの設計図が展開されます。それとほとんど同じタイミングで、研究所の一角から新たに大きな箱型の機械が動き出す低い音が唸り始めました。
※ ※ ※
それから3人は一時も休むことなく、手と頭を動かし続けました。その甲斐もあって窓から街並みの輪郭が浮かび上がる頃には、エクスの体からはすっかりと傷が消え、プレーンスキンすら蒸着していないボディからは、まるで今しがた生まれたかのような輝きが放たれています。
「ふぃー……流石にこの年で完徹は堪えるぜ」
窓辺へと歩いていったトレムマンが、その途中に台車から拾い上げたプランターをことん、と置きます。差し込む朝日を目を細め、トレムマンが鈍い痛みを訴える腰を伸ばし、パキパキと体を鳴らしました。
浮かんだ欠伸と共に目じりにを擦って振り返った先に見えるテンデットは、未だモニターの前から動かず、ひたすらに手を動かしています。
「疲労が見えませんね」
「……ああいう体力だけは底無しなんだよ。あいつ」
感心するような、それでいて呆れるような口調に、スィードはどう返答したものか迷って黙ってしまいます。次の言葉を見つける前に、モニターから目を離したテンデットが歩み寄ってきました。
「ボディはもう大丈夫だ。あとはとりあえずのプレーンスキンを用意するだけ……OSも、起動できる段階まではこぎつけた」
「ならなんでんな辛気臭ぇ面してんだよ」
向き合ったトレムマンが首を傾げます。彼の言う通りテンデットの顔には成し終えた達成感も充足感も一切浮かんでおらず、むしろ作業を始めた時よりも険しさが増しています。その顔をカメラの中央に捉えたスィードがトレムマンよりも先に察し、黙ったまま静かにローターの回転数を落として行きます。
「問題は内側だ。プライバシーは重々承知の上だけど、エクス君に何が起こったのかを把握しないまま起動するのは危うすぎる」
重々しいその声にトレムマンの顔から一瞬にして緩みが消え去り、あくびに開きっぱなしだった口が一文字に塞がれます。
「スィード君。彼のメモリーにアクセスを……いいかい?」
呟くテンデットに向ける肯定の声の代わりに、サブモニターへと新たなウィンドウが浮かび上がり、あの日エクスに映った光景をトレースし始めました。
消えたのはあくまで体の傷だけ。そのこころにはどのような傷が残っているのか、3人はこれから知る事になるのです。
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