ACT27「エクスと3人の友達」 

 それから5分ほど経って、スィードに灯るランプの色が鮮やかな黄緑色へと変わり、回るファンが回転数を上げました。更に細かく風を刻みながら高くなっていくローターの音に、微動だにせず見守っていたふたりの眼が大きく開かれます。



「スィード君……聞こえるかい?」

「おい、俺達が分かるか?黒いの」



 確かめるように慎重に問いかけるテンデットと、その脇から身を乗り出して期待と焦りの籠もった大声で訊ねるトレムマン。

 まるで目覚めたばかりの病人にそうするように揺すろうと伸ばした手が触れる前に、ユニットがケーブルに繋がれたまま、ふわりと宙に浮き上がります。



「良かっ……た。伝わっ……たよう、ですね」



 いくつもの複雑なプログラムを起動させながら言葉を発しているせいか、たどたどしい間を挟む口調と共に、段々とスィードが高度を上げていきます。

 


「うん。ちゃんと連れて帰って来たよ」

「感……謝の言葉、もありま……?」



 スィードの言葉に深々と頭を下げる代わりに、正対してユニットを前に傾けようとしたスィードですが、そこで急ごしらえのケーブルが長さの限界を迎えてピンと張ってしまいました。



「っと!」



 予期していなかった角度からの力にバランスを崩し急速に落下するスィード。しかしいち早く反応したトレムマンが滑り込んで抱き留め、すんでのところで地面との衝突を免れます。



「あっぶねえ……お前もまだあんま動き回るな。充電終わってねえんだから」

「トレムマン、さんも……協力していただいたのですね。ありがとうございます」

「お、俺は大したことしてねえって……」



 抱える胸の辺りから告げられた真っ直ぐなお礼に、トレムマンは人差し指で頬を掻きながら視線を明後日の方へと向けます。



「電話するなり大慌てで台車引っ張ってきてくれたんだよ。おかげで雨に濡れずに済んだんだ」

「では、彼のお陰で大きなリスクをひとつ回避できたのですね」

「そうだよ。僕だけじゃ――」

「ああもううるせえよ!……んな事より、次はあいつを治してやらなきゃだろうが」



 僅かな間だけ流れた弛緩した空気が、照れ隠しにがなったトレムマンの言葉によって再び張り詰めていきます。


 

「直す……そうだ、エクスは」



 その姿を探して、スィードは再びトレムマンの腕の中でもぞもぞと動き出します。掛けるべき言葉に詰まるトレムマンが交わした一瞬の目配せの後、テンデットが意を決したようにすっと深く息を吸い込みます。



「正直言って、結構酷い状態だよ。ホント雨の降る前で良かった」

「酷い……?ボディの損傷が、ですか?」



 沈むテンデットの口調と、それに合わせる様にトーンを落とし、予期しない何かを確認するようなスィードの声。

 やり取りを聴いていたトレムマンが眉を顰めながらちょっと待て、と2人の間に割り込みます。



「あいつがあんな状態になっているから、テンデットに助けを求めたんじゃねえのか?」

「いえ……ターミナルコンピューターとの接続が一方的に断たれたので、このユニット単体ではエクスの位置情報をトレースするのが限界でした」

「?どういうこった……?」

「彼が一向に帰宅せず、あまりに長い時間一定の座標から動かないので、何かトラブルが起きたのだと――」

「ううん……?」


 返答を聴いた事で、却って疑問の色が濃くなってしまったトレムマンを差し置き、テンデットが質問を変えて役目を引き継ぎます。


 

「なら、どうして再同期を拒むようなことを?ターミナルコンピューターならば、彼の状態をリアルタイムで詳細に追えるだろ?」 

「それは……」

ない?」



 言い澱むスィードの内面にあえて踏み込むように、どこか突き放した口調で訊ねるテンデット。その声の裏にはほんの少しだけ、友人を傷つけられた原因を口にしないスィードに対する怒りが込められていました。

 いつも柔和な光を絶やさないテンデットの瞳に今だけ宿る、鋭い月が浮かべるような冷たさ。さしものトレムマンも初めて見る彼の表情にただ押し黙る事しか出来ません。

 しかしその視線を向けられているスィードが黙っていたのはただの怖れではなく、自分のOSに対して自問を重ねていたせいでした。



「――いいえ、接続を断たれた際、同時に所有者権限による全ての秘匿制限も外されています」

「ならどうして」



 先を急かすトレムマンの口を向けた掌で制し、テンデットが尚も変わらない表情で続けます。



「だったら、んじゃなく、んだね」

「はい」

「なんだそりゃ――」

「トレムマンさん。少し黙って」



 思わず気色ばむトレムマン今度は言葉で止めたテンデットが、彼と同様に湧き上がる憤懣を必死に抑えるように、それでいてスィードの内にある何かを確かめるように続けました。



「さっき君は、エクス君がボディの損傷を受けた事に驚いていたよね。まるでは織り込んでいたかのように聞こえたのは、僕の気のせいかな」



 時間にしては5秒も続かなかった沈黙ですが、テンデットもトレムマンも、そしてスィードにとってもその何倍にも長い時間が流れたような錯覚をもたらしています。その末に生まれたのはやはり、スィードの肯定を示す短い返事でした。



「エクスと私が生み出された意味、その最終シークエンスを実行する段階で、彼のこころに多大な負荷が掛かる事を、私は知っていました」



 細い声が語る、その『ふたりの生まれた意味』も『多大な負荷』も、プローラに対する恋情の擦り込みと否定によるものであることを、ふたりはまだ知りません。それでも具体的に何を指すのか追及できなかったのは、表情を持たないはずのスィードから押しつぶされそうな思いを感じ取ったからでした。

 決して絞り出すようなその声からだけではありません。いわば彼の佇まい――存在そのものからにじみ出る自責の念が、ふたりにただ次の言葉を待たせます。



「……情報の開示と言動に制限が掛かっていたとはいえ、本人の意思を無視した行いを止めることが出来なかった事が、今はただ、つらい」



 それは初めて、スィードが何も分析せずに、そして何も飾らずにただこころの抽象さを口にした瞬間でした。トレムマンは言葉を失い、テンデットはその瞳から冷たさを消していきます。



「何が先端の技術ですか。私は彼にとって、何の役にも立てない出来損ない――」

「それは事じゃあない」



 震える声で自嘲を吐き捨てるスィードに向かって、テンデットが放った決然とした一言。対照的なまでの確かな輪郭を持ったことばが、続くはずだった自虐の文句をばさりと切り捨てます。

 その迷いのなさに縋るようにユニットを上に向けたスィードがカメラの中央に収めたその顔は、いつもの暖かい笑みに戻っていました。  

 


「エクス君を治す。僕達だけじゃ無理だ。彼の事を良く知る君の力が要る」



 言いながらクレードルの端子を外していくテンデット。ただ責めるだけではなかった彼の意を汲み取ったトレムマンも、そうだなと大きく頷きます。



「ですが、詳細なデータはターミナルコンピュータの――」

「それはこいつが何とかすんだろ」



 今度はトレムマンが言葉を遮り、ぶっきらぼうな手つきでスィードをひょいと宙に投げます。慌ててローターを回してどうにか宙に留まり見返してくるスィードに向かって、トレムマンはやにで黄ばむ前歯をにっと見せました。



「それに、どうせ凹むんなら勝手に決めつけて先取りするより、てめえに出来る事をやってから本人に殴られた方が幾分気持ちいいぜ?」

「そういうこと。自分で自分を見限る事くらい無意味なことはないよ」

「たまにはいい事言うじゃねえか」



 さっきのお返しとばかりにわざとおどけた調子ではやし立てるトレムマン。赤面しながらぐしゃぐしゃを頭を掻くテンデットを満足気に眺めた後、ふたりに向かって交互にカメラを向けるスィードを軽く握った手の甲でこつん、と叩きます。

 


「ま、アイツが訳も聞かずに怒り狂うこたあないと思うが……万一の場合は一緒に怒られてやっからよ」

「トレムマンさん……」



 スィードの声が僅かに色を取り戻していきます。彼が意識することなく上がる高度に伴うこころの浮上と、ある種の決意を表すように段々回転数を上げていくローターが、再び風を勢いよく切り始めていました。

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