ACT26「エクスと知らない寝床」

「っはぁー……」


 両開きにしたドアから台車を押し込み、中へと入ったふたり。辺りを見回すトレムマンが思わず腕の力を緩め、感嘆の息を漏らしました。

 

「でっけえ機械がこれだけ並んでるってのに、ウチよか床広いぞ」

「そういえば、トレムマンさんは初めてか。来るの」


 ……僕は何度か来たことあるけどねー。

 どこか誇らしげに続けながら、テンデットも周りに目をやります。

 壁にひしめく無数の計器類に工作機械、ターミナルコンピューター。そして中央にぽつんと佇む簡素な椅子……台車のバーから手を離し、どこに運ぶか伸ばしかけては留まる指を目で追いかけていたトレムマンは、やがて待ちきれないと言った様子で声を上げました。



「……で、コイツは何処に寝かせるんだ?」

「うーん……普段ならばあの椅子で充電やメンテナンスをしているけど、今は体に力が働いてないからね。無理だと思う」



 一度台車から離れ、部屋の隅まで歩いていったテンデットが隅の一角を注視して歩みを止めます。そこには今まで自分が訊ねた時には開いていた事のないドアが半開きになっています。隙間から中を覗いてみると、その先は人が過ごすのに必要最低限の広さしかない小さな部屋に繋がっていました。

 

 ――彼らを作った、ウィル博士とやらのものだろうか。

 僅かな躊躇いの後、誰に向けるでもない一礼をしたテンデットが中に踏み入ると、開けっ放しのクローゼットに対面する1床のベッドを見つけました。マットレスを掌で撫ぜてみると、雨上がりの匂いが広がります。舞い上がった埃に思わずせき込むテンデットでしたが、同時に伝わる押し返す感触から、長く使われてはいないものの、スプリングが壊れているわけでは無いと目算を付ける事が出来ました。

 最後に一度ぐっとマットレスを沈み込ませ、これならば寝かせても問題はないと踏んだテンデットが手を離すと、勢いよく元に戻ったスプリングの揺れがヘッドボードへと伝わり、宮棚からかたり、という小さな音が響きました。



「……?」



 テンデットが音の元へと目をやると、支えの付いた薄い小箱のようなものが見えました。

 どうやら倒れたのは写真立てのようでした。テンデットが何の気なしに手に取り、積もった埃を吹き払うと、額の中から若い男女が並んで笑みを浮かべる、古ぼけた写真を見つけました。

 初めて入った部屋で、始めて見る写真。しかしテンデットには、写真に写るふたりそれぞれに見覚えがありました。

 とりわけ男性の方を食い入るように眺め、ひとりでに彼の口から言葉が零れます。



「この顔……」

「おーい。いつまで待たせんだよ」

「ああ、ごめん。トレムマンさん、こっちだ」


 

 呼ぶ声に慌てて写真立てを元に戻し、部屋から顔を出して呼ぶテンデット。ブランケットを捲ってエクスに走る傷に顔を歪めていたトレムマンが顔を上げます。



「なんかあったか?」

「ベッドがある。そこに寝かせよう」



 丁度いい寝床を見つけたものの、小部屋のドアは台車が通れるほど広くはありません。5分ほど苦闘し、やっとのことで担ぎ上げたエクスをベッドに横たえた2人は研究所に戻りました。



「さて、こっからどうする?」



 2度目の運動を経て完全に酒が抜けたのか、顔の赤み引いたトレムマンが懐から取り出した煙草を咥えて窓を開けます。機械の低い駆動音に、途切れなく続く雨脚の音が混じりました。



「お前だけの力で無理そうなら、業者を呼ぶしかねえが――」



 ここに来て、トレムマンも彼なりにエクスの身に何が起こったのかを考えていたようです。煙と共に口から出た、珍しく歯切れの悪いその口調が、事情を知らない自分たち以外の人間をここに呼ぶことへの迷いを表していました。

 問いを受けて改めて研究所に並ぶ機械の一つ一つに目をやったテンデットの首が、静かに横へと振られます。



「……いや、これだけ設備が揃っていれば何とかなると思う。少し時間が掛かるかもしれないけどさ」

「なら、とっとと支度に取り掛かろうぜ」

「本当に、ひとりで研究されていたんだね。彼は」


 ほっとしながらも急かす声をよそに、敬意なのか畏怖なのか分からない声色でぽつりと呟くテンデット。彼というのが誰を指すのかわからないトレムマンが眉を顰めますが、彼が更に質問を重ねる前に、気持ちを切り替える様にテンデットが顔を上げました。



「にしたってサポートが欲しい。まずはスィード君を起こそう」

「それなら俺にも分かる。あそこに乗っければ充電されんだろ?」



 クレードルを指し示したトレムマンが指に挟んでいた煙草を口の端へと咥え直し、善は急げとばかりに台車からスィードの遠隔ユニットを抱え上げます。



「あ!ちょっと待って!」



 しかし鋭く響いたテンデットの制止に驚きと共に体の動きを止めて、トレムマンは不審そうにテンデットを見返します。しかし彼は再び長いうなり声をあげた末に首を振るだけ。まどろっこしさを覚えたトレムマンは、咥えていた煙草を乱暴に揉み消しました。



「何だってんだよ?ぼやぼやしてっと日が昇っちまうぞ」

「引っ掛かるんだ。聞こえてなかったかもしれないけど、完全に電源が落ちる前に、スィード君が言い残したんだ」



 テンデットは一度言葉を切って記憶の糸を辿り、途切れ途切れだったその声を頭の中で補完しながらつなぎ直します。



「――クレードルには接続するな、って」

「んじゃあどうやって起こすんだよ」

「ホント、仕事帰りでよかったよ」



 苛立ち交じりのトレムマンの声を受けながら、テンデットは台車に乗せていたキャリーケースへ手を伸ばし、中から大きなケーブルカッターと工具を取り出しました。遠隔ユニットを軽く引っ張り、後ろから伸びるケーブルを眺めます。



「あっ、おい!」



 そのままケーブルカッターを手に取り、テンデットは何のためらいもなく開いた刃にケーブルを挟み込みます。思わず今度は制止する側に回ったトレムマンの叫びにも構うことなく、やはり迷いなくグリップを握り締めました。その手を伝わるぷちぷちとした感触を断末魔に、先を無くしたケーブルがぱらりと音を立てて床へと投げ出されます。



「良いのかよ……断りもなく」 

「緊急回避ってやつさ。給電は……こいつでいいか」



 戒めを解かれたクレードルを手に取ったテンデットが、今度は研究所の機械の中で唯一沈黙を守っていた蒸着槽に目を付け、電源に繋がるケーブルを引き抜きます。そしてやはり適当な長さで切断して、2つの断面を見比べました。

 空恐ろしい程によどみのない彼の行いを、トレムマンは若干引きつったような表情でただ眺めているしかありません。機械に疎い――というかよりも、彼と比較すれば大半の人間が機械音痴になってしまうでしょう――彼にとって、彼の所業は直すどころか他の所を悪戯に破壊しているようにしか見えませんでした。

 そして一度始めてしまった以上、その意味も目的すらも見当がつかなければ、迂闊に止めることも出来ません。



「元通りになるんだろうな?こんな高そうなもん弁償できねえぞ」

「そんなヘマはしないさ……こっちが通信用だな。ダミー噛ましちゃえ」



 再びキャリーケースに手を突っ込んで道具を取り出し、地面に胡坐あぐらを掻くテンデット。完全に背を向けられたトレムマンは、もはや制止は無意味と諦め半分に窓辺に肘をつき、もう1本煙草を取り出して咥えました。



「電圧は……っし、いけるいける」



 時折ぶつぶつと小声を漏らしながら、まるで腕がいくつもあるかのような速さで何かを組み上げていくテンデット。独り言の意味も分からないままただ眺めていたトレムマンでしたが、一度も手を止めることなく作業を進めるその様を見ているうちに、ぜえぜえ言いながら台車に引きずられていた彼と同じ人物とは思えない程に頼り甲斐を覚えていました。 



「よし、これで充電は出来るはずだ」



 そのまま10分ほど休むことなく手を動かし続けたテンデットが、やがてかしめ工具を置いて一息。最後に繋げたケーブルにビニールのテープを巻きつけて立ち上がりました。蒸着槽の電源ケーブルの切断面には小さな黒い箱が挟まり、その先にクレードルのケーブルがくっついています。



「出来たのか?」



 煙草を揉み消しながら訊ねるトレムマンに、テンデットは返事の代わりと言わんばかりにクレードルの端子にテスターを当て、示された数値を見て大きく頷きました。



「オッケー。スィード君をここへ」

「大丈夫なんだろうな……」

 


 言われるがままに彼へとスィードの遠隔ユニットを抱えていくトレムマンですが、いざ差し出すときの彼の手には戸惑いが残っていました。いくら手際の良さを目の当たりにしていても、実際に試すとなるとやはり不安が襲います。



 ――突然爆発したりしねえだろうな。

 接続した途端に研究所の屋根が吹き飛ぶ、そんな子供向けのカートゥーンのような光景を想像していたトレムマンは、スィードが台座に収まるその瞬間、思わず目を瞑っていました。

 しかしそんな彼の心配をよそに、改造された久々のねぐらへと戻ったスィードの遠隔ユニットに、柔らかいオレンジ色の光が灯ります。



「イエス」



 満足げに呟くテンデットの声にトレムマンが恐る恐る瞑った眼を開く頃、研究所にはふたつの新たなファンの回り出す、低い風切り音が小さく生まれていました。

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