ACT23「エクスと薄暮れのまなざし」

「だってあなたは、私より研究が大事だからって」



 ――目の前にいるはずの彼女の声が、とてもとても、遠い。



「それは理由の半分に過ぎない。君を追い出した時点で、私の体はどうあっても助からない段階まで病魔に侵されていた」



 ――それどころか、自分の口から出ている言葉も、遥か頭上から聞こえる。

 そしてそれは、決して自分の声でも、自分のこころでもない。



「この命が尽きる前に、研究だけは完成させたかった……でも、それ以上に醜く痩せ細っていく姿を、君に見られたくなかった」


 

 ――止めたいのに、止められない。

 博士の独白が続く程に、プローラの顔が歪んでいきます。

 再会の喜びをすぐに打ち消す、突き付けられた死という事実にどうしようもなく乱されていく彼女を助けてあげたくて、寄り添いたくて。

 しかし体全ての優先権を奪われたエクスがいくら回路に割り込もうとしたところで、指先ひとつ動かせない泥の海を漂うような無力さだけが返ってきました。



「それに同じ一方的なものでも、死別ではなく離別ならば、君はまた新たな伴侶を見つけて幸せになれる――」

「そんなの自分勝手だよ!私の気持ちも知らないで……」

「……ありがとう。確かに、君の気持ちを勝手に決めつけた末、酷く傷つけた」


 相手の反応による、再生音声の変化でしょう。プローラの叫びを聞いた博士の声には、妙な一拍の間がありました。

 それと連動してエクスの顔に。空しい笑いが浮かびます。体と意識は引き離されているのに、ひとりでに表情を作るパーツの稼働を、エクスは妙な生々しさを伴って手に取るように感じていました。



「私にとっても浅慮だったことはすぐに自覚したよ。満足に動かなくなった体に引きずられるように衰えていく頭は、君と過ごした日々ばかりを思い返すようになった」

「だったらどうして、すぐに……」



 再び一拍の間を置いて、エクスの眼が勝手に閉じていきます。静かに、ただゆっくりと降りる瞼の動きと、深い首肯。理想の音を奏で終えた後と同じその動きが、博士の密やかな満足を表しているという事を、体を明け渡しているエクスだけが理解します。

 しかしそれを伝える術はなく、エクスはただ力なく俯くプローラの姿を見つめ続ける事しか出来ません。



「恐かったんだ。会いに行った君に拒絶される事を考えたら、どうしても連絡を取れなかった。身勝手な理由で別れを告げたにも拘わらず、さ」



 自嘲を込めた博士の声にプローラはいよいよ肩を震わせ、瞳の端に涙を浮かべ始めます。今自分に声を掛けているのは単なる過去の幻影であり、本物のウィルはどうあったってもう二度と逢うことは出来ない。そんな自覚と、取り返しのつかない後悔が彼女を襲っていました。



「事実私はそれがただ私を責める言葉なのか、それとも怒りを乗り越えた上でなお私と再び会いたかった思いの顕れなのかすらも」

「わからないよ……」



 力なく呟くプローラの爪先と色あせた板張りの床にひとつ、またひとつと水滴が弾け、小さな水たまりを作っていきます。

 

 

 ――目の前に立つ彼女の細い顎の先から滴る涙は、決して自らに向けられたものではない。

 自分はここにいるのに、ここにいない。

 

 プローラの肩を抱く自分の腕と、かぶりを振りつつも振りほどこうとしない彼女を見て、エクスはいっそ消えてしまいたいほどの疎外感に見舞われていました。



「でもどうしても一言、あの時の振る舞いを謝りたいという気持ちは最後まで消えなかったよ。だから死してなお私の形と意志を残せるものに、望みを託すことにした」



 「まさか」

 プローラの口から零れた言葉とエクスの思いがぴたりと重なり、そして再びの頷きによって、無情にも肯定されてしまいます。



「それが今、エクスが君の前に立っている理由の全てだ」

「嘘だ!」



 突然の叫びと変わった声色に、瞳孔を限界まで見開くプローラ。彼女が驚きの声を上げる前にその肩を掴んでいた手がするりと滑り落ち、エクスの体がまるで糸の切れた操り人形のように床へと崩れ落ちていきます。

 処理能力の限界を超えてまで博士の思いを全力で否定したシステムが、その過負荷によってダウンし、エクスの意識は博士の意志ごと闇の中に消えていきました。






 ※     ※     ※






【Last sequence 2 interruption】






【OS check completed】






【reboot】






 ひび割れた窓ガラスが分かれた面に沈みゆくをいくつも映し出し、アトリエの中が橙色に染まっていきます。差し込む夕日の光量まぶしさを感知して、エクスの瞳がゆっくりと開かれました。

 自分が寝かされていた古ぼけたソファから身を起こし、予期せぬシャットダウンの前後の記憶を手繰り寄せるエクス。混濁したデータの海をゆっくり紐解きますが、なかなかすべてを思い出せません。

 


 ――どうして私は寝かされていたのだろう。

 思わず彷徨わせる視線が、テーブルの端に置かれている綺麗にラッピングの施されたプランターを収めました。



「……目が覚めた?」



 何の気に無しに手に取って眺めようとしたエクスの背後から声が掛かります。触れた指を離して振り向いた先に立っていたプローラの瞳は赤く腫れあがっており、エクスが目覚めるまでに多くの涙を流したことを示していました。



「それ、前に言っていたモデルのお礼。気に入っていた花だから」

「気に入っていた?」

「……大事に育ててね」



 虚ろに浮かべたエクスの問いに、震えの収まりきらない沈みきった声で答えるプローラ。言われるままにプランターを手に取ったエクスですが、まるで今生の別れのような重さを伴った口調に記憶が急速に呼び戻されていきます。

 慌てて立ち上がった勢いに、ソファの足が後ろに引きずられて不快な音を立てました。



「私は――!」

「今日は、もうお開きにしよ?色んな事を聞かされて、疲れちゃった」



 誤解を解かなければと声を上げたエクスを制するように言葉を被せたプローラが、エクスの反応を見る前に踵を返し、アトリエの出口へと歩いていきます。



「絵は後で送るよ。また、広場で演奏があったら、見に行くから」



 ドアを開けながら向けられたプローラの言葉には、プラスマイナスどちらの欠片も籠もっていません。ノブに手を掛けたまま、立ち尽くすエクスを見つめるその眼にもやはり、何の色も浮かんではいませんでした。



 ――、じゃない。彼女は本当に二度と逢ってくれないつもりだ。

 虚ろな瞳を見つめ返して確信を得たエクスはほとんど無意識のうちに、だらりと力なく下がるプローラの左腕を掴んでいました。



「……どうしたの?」



 加減すら忘れて食い込むエクスの指の力にも関わらず、プローラは眉ひとつ動かす事も無く、ただ問い返すだけ。エクスはまだ本調子の出ない回路で言葉を必死で整頓しながら、すっと人工声帯に空気を送り込みます。



「貴方に謝罪を述べるという博士の意志によって、私が生み出された事は否定しません」



 再起動の影響か、語彙を上手く引き出せないエクスの言葉は、どうしても形式ばったものになっていました。しかしそれに構わず、ただ自分を急き立てる焦りのままに、エクスは続けます。



「ですが、私は私のこころのまま行動しただけです。仕込まれたプログラムとは関係ない」



 酷薄に込めた熱に、エクスの声も震えていきます。

 胸の内にあるものを真摯に、正直に伝えれば、自分のこころを誰よりも肯定してくれたプローラならば、きっと信じてくれるはずだ。エクスは知らないうちに過去の博士と同様、根拠のない確信勝手な決めつけへと縋っていました。



「……あんなことを聞かされたばかりで、信じられると思う?」



 そしてやはりあっさりと、その幻想はすぐに打ち砕かれてしまいました。

 そんなプローラの返しが暗に示す、今目の前に立つ自分よりも過去の人となったウィルの言葉に信用を置いているという事実が、エクスのこころをまた深く抉っていきます。



「なら、貴方と一緒に居たいいう私の思いも、博士の手によるまやかしだというのですか?」

「……私は人間で、貴方はロボットだもの」



 論点をずらした誤魔化しに、エクスは彼女の腕を握る手の力を更に強めてしまいました。それが引き金となったのか、プローラの顔は行き場のない怒りに再び歪み、抱えきれない悲しみが再び頬に涙を走らせました。



「離してよ!」



 エクスの手を乱暴に振りほどき、苦悩に疼く頭を両手で抑えて髪を振り乱すプローラ。暴れるその体にぶつかった衝撃アトリエのドアが閉じ、その震動で床に落ちた額縁ががしゃんと音を立てました。



「あの人はもういないんでしょ?!もうどうしようもないじゃない!それで今度は何を信じろっていうの?!教えてよ!」



 金切り声にも近い叫びに幾つもの問いを突き付けられ、エクスがその答えを探しあぐねているうちに、一度閉じた筈のドアが再び開かれます。



「あんた、プローラに何したの……!」



 エクスが目を向けた先に立っていたのはいつぞやの中年の女性――だけでなく、騒ぎを聞きつけてきた数人の大人が、彼を射抜くような瞳で睨み付けています。

 プローラは思わぬ闖入者に気付いていない様に、もはや意味も為さない声を上げ続けています。誤解を解く事の出来る人間はその場におらず、エクスの体へと悪意を込めた無数の衝撃が襲い来るまで、そう長い時間は掛かりませんでした。

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