ACT21「エクスと絵描きのプローラ・8」


 2つのカメラの外側にスパゲティーより細い新たなチューブを通し終えて、内部が剥き出しになっているエクスの顔へと、再びカバーが被せられていきます。



「継ぎ目はパーソナルスキンによって隠れますから、仮処置で問題ありません。蒸着槽を起動させますよ」



 スィードの声に答えるように、すっかり綺麗になった蒸着槽が低い唸りを上げ始めます。結局エクスが望んだカメラ洗浄システムとこころの連動――つまり、極端な感情の変化に合わせてあたかも涙を流すように見せる――機能の実装は、エクスがモデルの役目を終えたその夜まで掛かってしまいました。



「かなり大掛かりになってしまいましたね」

「ええ……」



 お腹と脇の間に手を当てながら期待に胸を膨らませるエクスと、それと対照的とも言える低いトーンの同意を返すスィード。1週間ほどスリープモードに入ることなく作業を続けていたという事実を知っているせいでしょうか、疲労を感じないはずのターミナルコンピューター彼の体から発せられるその声もどこか掠れているように聞こえ、エクスはよろこびに緩んだ表情を戻しました。



「申し訳ありません。私の我儘で」

「……143時間に及ぶ連続稼働の見返りがそんな謝罪では、私もも嬉しくありません」



 申し訳なさそうに謝るエクスでしたが、スィードは不満そうに口を尖らせてしまいます。誠意を伝えたつもりの態度が、単に困難な作業を成し遂げたという達成感に水を差してしまった事に気付き、また彼が本当に望む言葉に見当を付けたエクスは、こほんと咳払いの真似ごとをして言を改めました。



「間に合って良かった。ありがとう、スィード」

「ええ。テンデットさんにもお礼を言うんですよ」



 システムの書き換えも勿論ですが、機能の追加に伴って洗浄液のタンクが大きくなる方がより時間の掛かる問題でした。単なるレンズクリーニングならば汚れが落ちればおしまいですが、涙の代わりを兼任させるとなれば、必要な量の予測が付きません。なにせ流れるタイミングも量も決まっていないのです。

 外見に影響を及ぼさず、且つなるべく大容量のタンクを何処に移動するか――そんな課題に突き当って多くの時間を浪費した2人は、開発者であるテンデットにコンタクトを取る事にしたのです。生憎で別のドームに出張していたものの、彼は2人の要請に快く応え、仕事の合間を縫って知恵を貸してくれました。



「ええ、彼がいなければ、顔がもう一回り大きくなる所でしたからね」

「……やはり彼は優秀な技術者です」



 こめかみのあたりをぺたぺたと触りながら安堵を漏らすエクスをカメラで捉えながら、スィードがどこか悔しそうな声を漏らします。

 テンデットはあくまでタンクの移動に固執していた2人に『比較的スペースの余っている腰部に、単なる水を入れる別のタンクを用意してチューブを伸ばし、顔にはノズルの切り替え機構のみを搭載する』というアイデアを打ち出しました。問題を多面的に捉えて直ぐに代案を出すヒトの柔軟さには、エクスもスィードもまだまだ敵いません。



「ですが、そのアイデアをスィードが形にしてくれたからこそ、明日に間に合ったのです」

「貴方も多分に労力を割いていましたが」

「私だけではとても達成できない作業量でしたよ。それにパーツの制作おいては、マニピュレーターを介さず直接制御できるスィードのほうがはるかに優秀です」



 なおも拗ねた様な口調を崩さないスィードをエクスが窘めます。着想からASHの腰部に収まる最適なサイズやデザインを弾き出す正確さ、そして実際に図面を引いて出力するスピードはエクスやスィード機械あってのものです。それぞれの得意な点を分担し、より高度な成果を得る――合奏によって培われた連携が、ひょんなところで活きた瞬間でもありました。

 やがてスィードが自分を戒めるように浮かべたため息の音声と共に、蒸着槽がスタンバイを終えた事を示す軽い電子音が鳴りました。


「継ぎ目も乾いたようですね。では、エクス」

「いよいよ……これで彼女により近付けるという事ですね」



 僅かな緊張を覗かせながらエクスは声を弾ませます。そうしていそいそと蒸着槽へ歩いていくその後姿を、スィードはただ黙って見守っていました。



「スィード?」


 反応がない事を気にしてか、それとも前に立っても開かない蓋に逸る気持ちが抑えきれなくなったのか、ターミナルコンピューターへと振り返るエクスに、スィードはまるでたった今サスペンドから復帰したように、慌てて反応を返します。



「……ああ、いえ。制御は私が担当しますから、中では電源を落とシャットダウンして結構ですよ」

「最後まですみま……いえ、ありがとう」



 今度は指摘される前に訂正するエクスにいえいえ、と返しながら、スィードは蒸着槽の蓋を開き、その中へ彼を誘います。

 中を満たす乳白色の液体に横たわり、言われた通りに瞳を閉じるエクス。遠ざかる5感の中、身体を包む生暖かい温度と粘度の高い液体が掻き回される音だけが最後まで響いていました。







 ※       ※       ※

 





 降り止んだ雪に白一面に染められた街を夜明けの灯りが照らし出し、窓の枠が僅かに輪郭を取り戻す頃。

 天井の灯りが落ちた研究所の薄暗闇で、ただ1か所だけ薄青色の光を放っていた蒸着槽の蓋が、静かに開きました。床を這って来た1本のケーブルが、3層目の定着を終えて水面から浮かび上がったエクスの、植えられた髪と首筋の境に潜り込んでいきます。

 システムの全てを落として眠り続ける彼の中を、ターミナルコンピューターはある一つのキーワードを基準に探っていきます。次々と表示される映像や動画を日付順に並べた最後の――最新のデータには、うつ伏せになって床に倒れ込む男性が映っていました。



「……」



 その全てを消し去った後、エクスの首からケーブルが抜けると何事もなかったかのように蓋が閉じられ、蒸着槽は再び動き出しました。

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