ACT19「エクスと絵描きのプローラ・6」


 白い粒がちらつく灰色の空の下。建物の屋根にも、葉を落とした街路樹にも、そしてドームの西へと続く道路の一面にも、真っさらな雪が天鵞絨ビロードのように薄く積もっていました。

 その中央に一つだけ続いている、歩幅の全く変わらない足跡をこれまた変わらないリズムで刻み続けているエクス。時折立ち止まり、振り返っては始めて目にする積雪と自分の足跡を物珍し気に眺めていました。

 靴などは履いていませんが、研究所を出る前にスィードの助言で足裏の感覚を鈍く調整しておいたお陰で、冷たさを感じる事はありません。

 新たな年を迎えて3日。お祭り騒ぎの収まった目抜き通りは人通りもまばらで、並び立つ殆どのお店もシャッターを降ろし静まり返っています。街の中心部ですらその調子ですから、プローラの家へと続く小道に入る頃には道を歩く人影すら途絶え、しんしんと降り続く粉雪が残る僅かな音すら覆い隠し、その身を以って景色をすっかり単色に染め上げていました。

 人によっては怖れすら抱きそうな静寂の世界。しかし普段、絶えることなく唸りを上げる機械の駆動音とファンの回る音。そして色とりどりに明滅するLEDやモニターに囲まれて暮らしているエクスにとっては、その真っただ中を一人歩く事すらも新鮮な情動に彩られていました。

 集音マイクの感度を多少上げてみても、全く音を拾わない空間。何度かテンデットさんに連れて行ってもらった防音室のような、作られた沈黙とはまた違った趣き。


 あるいはこの中心で弦に弓を滑らせたなら、また違った感動を得ることが出来るかも――トレムマンさんは楽器はデリケートなんだから、と怒りそうだけれど。


 考え事をしながら進める歩みは、案外と短く感じるものです。いつの間にかエクスの足跡は研究所と噴水広場、そしてドームの西端を結び終え、その体はプローラのアパートメントの前に立っていました。

 さすがに雪の降りしきる外で待つのは辛かったのか、いつもの出迎えがありません。テナントのドアも閉められ、ヒビの入ったガラスの向こうには、普段アパートメントの前をにぎやかに盛り立てているプランターが並んでいます。

 少し窮屈そうにひしめきながら寒さを逃れている花々をしばらく眺めていても、わざとらしくカーテンの閉じきったアトリエの窓を往復してみても、その中に居るはずのプローラがエクスの姿に気付き、外に出てくることは一向にありません。

 エクスはわずかな逡巡しゅんじゅんの後、結局遠慮がちな足取りで右の正門へと近づいていきます。いくら何度も通った彼女の家とは言っても、何の挨拶もなしに上がり込むのは失礼に当たるだろう。正門のドアのノブへと手を掛けたエクスが、少し大きな声色で挨拶を口にしようとした、まさにその時――



「わかっ……でももう少……待……」

「気持ち……るけど……は心配……よ」



 僅かに開いたドアの向こうから途切れ途切れに聞こえてきたのは、2人の女性が話し合う声でした。ここからアトリエまではドアを2枚挟んでいますが、エクスはここに来るまでに上げたマイクの感度をまだ戻してはいません。つまり普通の世間話程度なら一言一句漏らすことなく拾い上げられるレベルでした。

 

 ……にも関わらず、完全に拾えないという事は、恐らく2人とも声を潜めて話している――つまり他の人には聞かれたくない事を話している。


 見当を付けたエクスは中に入って静かにドアを閉め、暫くその場で待つことにしました。

 少し話が立て込んでいるだけだ。プローラも自分との約束を忘れた訳ではないだろう……エクスは靴箱の上に並べられた多肉植物の小鉢をぼんやりと眺めながら、2人の話が終わるのをじっと待ちます。



「また来て……のは嬉し……私は大丈……」

「広場で……さびさに会……ら、気に……ね」



 彼女の事ならどんな些細な事でも知りたいと思っているエクス。プローラが何を話しているのか、本当はとても気になっています。かといってその本人から、深い詮索は嫌われる元だと言われたばかりのエクスは、マイクの感度を上げるわけにもいきません。更に言えば嘘や隠し事を嫌うのならば、盗み聞きなどもってのほかでしょう。

 かといって堂々と会話に割り込む勇気も沸いてはきませんでした。先に聞こえたプローラの声に反応を返すもうひとりの声は、初めてここに来た日の帰り、彼女と並んで歩く自分を奇異の目で見つめていたあの女性のものだったのです。

 再びあの疎外感にも似たマイナスの欠片を覚えたくないエクスは、ただ足を止めて待つ以外ありませんでした。

 


 

 「AS……んて連れ……から、てっきり……だけど」

 「エクスのこと?」



 しかし突然、マイクが偶然にもはっきりと自分の名前を拾い上げてしまった事で、エクスはほとんど無意識のうちに、その感度を最大にまで上げてしまいました。廊下の向こうで繰り広げられているはずの2人の会話は、まるで耳元で囁かれているかのように克明にピックアップされていきます。



「あんたがこんなとこにいなきゃいけないのは、あのロボットのせいなのに」



 びくりと震えた手が、小鉢の一つをことんと倒してしまいます。ノイズを除去し、限りなくクリアに聞こえるまで上げられた感度は、女性がプローラに放ったその一言が持っていた衝撃も、余すことなくエクスに伝えてしまいました。



 西の隅、廃屋同然の場所に住むことになったのは、ASHのせい……?



 散った土を慌てて戻し、小鉢を元に戻しますが、エクスの頭の中は以前、振って沸いた疑問に乱されたままです。

 


「何言ってるの。エクスが悪いわけじゃないでしょ。出会ったのだってついこの間だよ」

「それは、そうだけど……」

「そもそもASHには何の罪もない。私が我慢できなかっただけ」


 自分を庇うプローラの声に、少しだけ均整を取り戻すエクス。同時に渋々ながら事実を認める彼女の態度から、あの日向けられた視線は個体自分ではなく、ASH全体そのものに向けられたものだったのだと悟ります。

 しかし自嘲気味に笑うプローラ自身についての謎は、さらに深まる一方でした。



「確かに見ていると思い出したりするけど、彼はなんていうかな……少し特別で」

「「特別」」



 静かで重い口調の合間、僅かにはにかむような色が混じったプローラの声に、思わず女性とエクスの声が重なります。

 そのたった4文字を勝手に、そして何度も繰り返すエクスの回路。その時だけは出口の見えないすべての疑問を端に追いやって、純粋な喜びを彼へともたらしていました。



「特別……」



 ――それこそ、浮かれた拍子に反芻はんすうしてしまった一言が口から漏れだしていて、そして思いのほか大きく響いたことにも気づかないほどに。



「目指してた……って、何か聞こえなかった?」

「え?」



 急に常温に戻るプローラの声に、はっと我に返りるエクス。間を置かずにバタバタと近づいてくる足音も最大の感度で拾うマイクの大音調にくらつきを覚えながら、這う這うの体でドアから飛び出し、近くの角へと逃げ込んでいきました。

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