ACT16「エクスと絵描きのプローラ・3」

 ドームの西へと歩みを進めるたび、街並みは表通りのような華やかさが息を潜め、代わりに空の厚い雲で覆われた色と悪い意味で良く調和する、古くさびれた雰囲気に覆われていきます。

 冬の曇り空の下、プローラは整備が充分に行き届いていない道を勝手知ったる足取りで軽快に歩き、そんな彼女とどうにか横並びになろうと必死にペースを上げる度、エクスは何度も剝がれた石畳に足を取られていました。



「きったないでしょ?貧乏だと、なかなかいいところ住めなくてねー」



 でこぼこ道の歩きづらさと再び開いてしまった彼女の距離に小さなストレスを溜めていくエクス。またもつんのめったその顔を上げる前に、一度足を止めて振り返ったプローラが自虐的な笑みを浮かべます。



「いえ、別に私は――」

「顔に書いてあるよ」

「……すみません」



 しゅんとうなだれるエクスに嘘が苦手だね、と返すプローラ。その笑う顔の意味を変えると、彼女は何事もなかったかのように再び歩き出します。



「気にしないで。嘘とか隠し事とか、私はそっちの方が苦手。するのもされるのも、ね」



 目を前に向けたまま零れたプローラの呟きに、常に朗らかな彼女に似つかわしくない寂しさが秘められていた事を、エクスはほとんど意識することなく自身のシステムで解析し暴いてていました。

 それが本来無粋な行いであるという事を知りながら、しかしその理由を訊ねたくなるエクス。誘惑と自制の間で迷っているうちにも、景色は変わっていきます。どんどん細くなり、やがてゴミ回収の自律走行車オートヴィークルがやっと一台通れるか通れないかという幅まで狭まった道を抜けると、突き当りにひときわ古い集合住宅アパートメントが見えてきました。



「はい、到着っと。お疲れ様」


 立ち止まるプローラが指し示す先にある建物を、エクスは見渡します。外壁のあちこちに細かいヒビが走り、2階より上の窓はすべてテープで補修された上、カーテンが全て閉じられていました。

 3階建てのその自重を支えるのがやっとといった佇まい。見上げればその屋上にはドームの中と外を隔てるアトモスクリーンの透明な硬膜がすぐそこまで迫っています。彼女の家は、正真正銘西の端っこにありました。



「自分で言うのもなんだけど、すごいところでしょ?」



 振り返って感想を求めるプローラに、首を上にあげていたエクスが今度は素直に顎を下ろし、外壁の劣化具合と走査スキャンした内部構造からはじき出した結果を伝えます。

 


「ええ……今後3年以内に倒壊する危険性が」

「嘘は苦手ってって言ったけど、もう少しオブラートには包んでほしいかなあ」

「申し訳ありません……」



 さっきと同じようなやり取りの末、プローラはやっぱり顔を微笑みに落ち着かせます。曇天の下でも輝きを失わずに、緩く波を打つ金の髪と、丸みを帯びた輪郭に良く似合う、夕凪のように穏やかな笑顔。もしかしたらエクスはその顔がもう一度見たいがために、自分でも意図せずにわざと自分の学習能力を裏切ったのかもしれません。



「ま、知ってて住んでいるんだけどね。それに、悪い事ばかりでもないんだ」

  


 そんなエクスのこころの内を知ってか知らずか、軽く肩をすくめたプローラは話題を変え、ほら、と建物の左側を見るように促します。そこには以前なんらかのお店が入っていたのでしょう。そこには中央に口を開ける正面玄関とは別に、両開きのドアが開け放たれたまま中と外を繋いでいました。




「少し前にみんな退去しちゃってね。1階は全部借りているんだ。だから、こういうことができるんだ」



 少し得意げなプローラの声に、感嘆の息を漏らすエクス。それまで全体の把握と、カメラから色彩を欠落させたX線分析に努めるあまり見落としていましたが、視覚情報を通常のものに切り替えると、そのテナントの中のみならず、開いたドアの両サイドにまで、この一角にふさわしくないほどの彩りが添えられている事に気が付きました。



「これは……」

「花っていうの。ここのドームじゃ道に生えているのは街路樹ばっかりだから、初めて見るかな?」



 エクスは敷き詰められた無数のプランターから成る原色の競演に見とれたまま、ぼんやりと頷きます。プローラが握っていた筆の時とは異なり、植物全般に対するライブラリーには閲覧履歴がありました。しかし初めて自らのカメラで捉える力強く咲き誇っているその姿は、強い感情の波を誘います。

 とりわけその中の一鉢、くすんだ色合いに支配される街並みの中に鮮烈なまでの赤、曇りのない白、そして透き通るような紫をたたえる花を目にした途端、エクスの意識はまるで抗いようがないかのごとく強く惹き付けられました。



「この花は……アネモネ、ですか?」



 プランターに歩み寄りながら投げかけたエクスの問いかけを訊いたプローラは驚きに一瞬目を丸くし、やがて偶然を喜ぶように声を弾ませます。



「良く知っているね。もしかして今調べた?」

「いえ、そういう訳ではないのですが……」



 口ごもり、自らの言葉を不思議そうに反芻はんすうするエクスを見て、プローラもわずかに眉根を寄せます。



「アネモネ……アネモネ。とても興味を惹かれる花です」

「本当?」



 やがて納得したように頷くエクスに、プローラは眉間に寄せていた皺を消して顔を上げると、その花に宿る意味を一言で説明しました。しかしその言葉はエクスの意識からは上滑りし、理解するより先にメモリーの奥深くへと沈んで行ってしまいます。ですがそれは決して興味が持てなかったからではなく――



「私達、気が合うね」



 説明の前に告げられたそんな言葉と、なにより彼女がほころばせたその表情が、エクスの処理能力の全てを支配してしまったのです。アネモネの花弁と彼女の顔、その両方へせわしなく目線を行き来させながら瞼をしばたたかせるエクスを見て、プローラは何かを思い付いたとばかりに手を叩きます。



「そうだ。モデルのお礼……といっては何だけど、絵が完成したらその鉢、どれかひとつ持って帰っていいよ」

「え……あっ」



 自分のこころの内が正しく伝わっていなかったことに若干の残念さと少しの安堵を覚えるエクスは、その提案に対する反応をすぐに上手く表せませんでした。 



「もしかして、嬉しくなかった……かな?」



 少しの沈黙の後、途端にしおれてしまったフローラの顔に、エクスは慌てて無理くりに顔のパーツをひしゃげる勢いで笑顔を作ります。



「い、いえ!そんなことはありません。有難く頂きます」

「良かったぁ。それじゃ、アトリエは反対側の部屋だから、上がって上がって」



 今度はプローラが安心に息を吐き、エクスの手を掴んで正門へと歩き出します。

 マニピュレーターから伝わる彼女の熱に、テンデットの時とは異なる高揚を覚えながら、エクスはライブラリーからアネモネの手入れ方法を検索し始めました。

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