ACT13「エクスと笑い声の夕べ(後編)」

「ところでエクス、さっきの女性は一体?」



 それからひとしきり周りと歓談し、お酒とつまみをひとしきり堪能したエクスへとスィードが訊ね、テンデットも思い出したように指を鳴らします。



「あれだろ?デートの約束?」

「違いますよ!」

「ムキになる所が怪しいなあ」



 握るグラスを落としそうになる勢いで両手を振るエクスに向かって、かなりお酒の回って来たテンデットが半分座った眼を向けます。



「それが……」



 呟いたエクスは胸の前でグラスを両手に握り、若干視線を下に向けました。てっきり更に反論を受けるだろうとにやけていたテンデットの眼ははその反応を見て一瞬にして真剣さを取り戻し、スィードも心配のあまりその顔を下から覗き込んでいました。



「……何かあったのですか?」



 スィードとテンデットに、捨て台詞を残して去ったギター弾きの姿が蘇ります。しかし、ただ非難を浴びたというには、その様子はどうにも落ち着きません。

 単に気落ちしているという訳ではなく、悩みの中にどこか恥ずかしそうなはにかみが浮かんでいます。



「自分の絵のモデルにしたいから、定期的に演奏する姿を見せてくれ、って……」

「「なんだ……」」



 自分たちの取り越し苦労に気付き、テンデットは肩を滑らせ、スィードはがくりと高度を落としました。大した悩みでないと思われた、そんな誤解から2人へとしかめっ面を向けて、エクスは続けます。



「なんだじゃありませんよ。つい、勢いに負けて承諾してしまって……どうしたらいいのか」



 やり取りを思い出してすっかり困り果てた顔を浮かべるエクスへ、勢を直したテンデットが慌てて謝ります。


 

「ごめんごめん……でも、見せてやればいいじゃないか。別に減るもんでもないだろう」

「そんな軽く言われても――」



 事もなげに言い放つテンデットに思わず顔を上げ、エクスが反論に口を尖らせようとした時、成り行きを見守っていた聴衆の一人が声を張り上げました。



「俺も見に行くぞ!」



豪胆な笑いを付け加える陽気なその声に、エクスだけでなく提案した張本人のテンデットでさえ目を丸くしていると、それに呼応したように周りの人たちの声が次々と続きました。



「あたしもあたしも!」

「なんなら毎週末でもいいな」

「ここ使いたいなら、俺が話付けようか?」

「今度は別の曲もやってよ!」


 

 それも無理もありません。明日は週明け、仕事があるというのにも関わらず、広場に残って盛大に酔っ払い大騒ぎを続けているのだから、今ここにはそもそも盛り上がることが大好きな人たちしか残っていないのです。

 あっという間にエクス達を取り囲んで盛り上がる声にのっぴきならなくなったエクスは曖昧な半笑いを返し、テンデットといえば自分の発言が引き起こした事態を眺めながら若干頬を引きつらせています。



「いやあ、こりゃ嫌とは言えない雰囲気だね」

「誰のせいですか」



 気恥ずかしさの残る半眼で呻くエクスに向かって、テンデットはまあまあと開いた両手を上下させます。



「そんな睨むなって。言った事にはちゃんと責任取るからさ」

「というと?」

「一緒にステージ立つって事。幸いあとひと月くらいは週末休めそうだからね。俺自身、練習のいい動機付けにもなる」



 周りの盛り上がりと、またこんな雰囲気を味わえるかもしれないという期待。そして何より、テンデットが一緒に演奏してくれるという心強さが、エクスの顔から難色を消していきます。



「そうですね……もしかしたら、続けているうちにトレムマンさんも見に来てくれるかもしれませんし……」



 続けてぼそりと呟くエクスに、テンデットとスィードが互いの眼とカメラを合わせます。

 どうやら演奏に集中するあまり、エクスは途中からトレムマンがステージを見守っていたことに気付いていないようでした。



「やりましょう。いつか彼が来てくれるまでにもっと曲のレパートリーを増やして、更にスムーズに弾けるように」

「あの、エクス君……」



 静かに決意を固め、意気込みを語ったエクスに幾度目かとなる歓声が広場を包みます。その中心で所在なさそうに漂うスィードと、顔色に引き気味な苦笑の色を浮かべて説明しようとするテンデットでしたが――



「ちゃんと見たっつうの」



 突然割り込んだぶっきらぼうな声に、3人が驚いたように振り返ります。そこにはばつの悪そうに明後日の方へ目線を向けたトレムマンが立っていました。



「トレムマンさん!」

「おう、お疲れさん」



 素っ頓狂な声を上げるテンデットに右手に提げたグラスを軽く上げて挨拶を済ませると、彼は目を丸くするエクスへと決して視線を合わせないままで歩み寄ります。目の前まで来てぴたりと立ち止まりますが、トレムマンは何を切り出す訳でもなく、しばらくあー、だの、なんだ、だのと歯切れの悪い言葉を漏らしていました。



「来てくださっていたのですね……気付かなくてすみません」



 ようやく落ち着きを取り戻したエクスが改めてお礼と謝罪を口に浮かべると、それまでせわしなく宙を漂わせていたテンデットの視線がやっと止まり、やがてゆっくりとエクスを捉え直しました。



「ふん、あれだけ余裕なさそうにってりゃ、周りなんか見れるかよ。それに、イチから作り直したっつっても、角度テーパー合わしたのか?途中からいいだけ音高ピッチ狂って耳がざわついたぜ。ちゃんとリーマー通してねえからそうなる。それに弦高も高すぎだよ。響きも悪いしいつ切れるかヒヤヒヤもんだった」



 次々と並び立てられるテンデットの指摘に、すっかり意気消沈して肩を落とすエクス。それを見かねたテンデットは咄嗟に2人の間に身体を滑り込ませます。



「ちょっとちょっと、流石に言いすぎ――」

「だからよ」



 庇い立てて口を尖らせるテンデットをぐいと押しのけて、エクスの前に突き出された左手。そこには透明なビニールで包まれた、大きなケースが提げられています。彼の意図を汲み取れないエクスが、狼狽えながらケースと赤みの掛かった顔を見比べます。



「これは……?」

「ボケっとすんな!とっとと受け取れ!」



 飲んでいたお酒とはまた異なる赤みを増したテンデットが、気恥ずかしさを紛らわすように怒鳴り声を上げてエクスの胸元へとケースを押し付けます。言われるがままにビニールを剥がし、燻した茶色のケースの取っ手に指を掛けます。軋む音一つなく変えるヒンジの角度と共に、その中から真新しく、十分に手入れの行き届いたヴァイオリンが顔を覗かせました。

 


「……聴いてりゃ来週からミニコンやんだろ?だったらこいつを使え。調整の仕方もおいおい教えてやる」



 中を見たままあまりの出来事に言葉を失い固まっていたエクスが、続くトレムマンの言葉にようやく事態を飲み込みます。

 それは彼が何よりも望んでいた、演奏機能付きのASHではなく、1人の演奏者としてトレムマンに認められるという瞬間の訪れでした。



「あ、ありがとうございま――」

「誤解すんなよ!在庫が余ってただけだ!それに、広場の音はウチにも聞こえる。ただでさえ下手な奴が調整も満足に行ってねえ楽器鳴らされると騒音なんだよ。第一あれをウチで買った楽器って言われると迷惑だから……とにかく、そんだけだ」



 真っ直ぐに目を向けて礼を言うエクスに気恥ずかしさが限界まで高まったのか、一層の早口でまくし立てるトレムマン。そんな慌てふためく彼の様子がよほどおかしく映ったのか、横に立つテンデットがたまらずくつくつと笑い出します。



「相変わらず、素直じゃないねえ。貴方が自ら調整した楽器なんて、それだけで引く手あまただろうに」

「おめえは黙ってろ!」

「体温の上昇と発刊量の増加を確認」

「勝手に解析すんな!」



 からかうように目を細めるテンデットと、自分の周りを飛び回るスィードをそれぞれ睨み付けて怒鳴り散らすトレムマンを見ながら、エクスも笑い出します。

 宴会は日付を跨ぐまで続き、この日は彼が駆動してから一番、その心に+の欠片を集積した日となりました。

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