ACT12 「エクスと笑い声の夕べ(前編)」
太陽が沈み、空気中を漂う塵の代わりに星空が煌めき始めた空を見上げ、外に出たテンデットは大きく伸びをするとともに凝りのたまった肩をぐるぐると回しました。
「お手数お掛けしました」
その後ろから続いて外に出たスィードが、遠隔操作で研究所の鍵を閉め、テンデットへと改めて礼を述べます。
「いいっていいって。彼は間違いなく今日の主役だ。一度帰ろうったってみんなが離してくれないさ」
自分の肩まで高度を上げて漂うスィードに親指を立て、2人は広場へと向かって夜の街を歩いていきます。
「でも、本当にあんな短い時間で良かったの?」
人影もまばらな道を歩きながら、テンデットは右手に巻いたレトロなデザインの腕時計へと目を落とします。蓄光塗料によって淡い緑の光を放つ長針は、祭りを終えて2人が研究所に戻ってから再び外へ出るまで1周もしていません。
そんな心配そうな声を気に掛ける事も無く、スィードは得意げにプロペラの回転数を上げ、静かな夜道にぶいんと勢いのいい音を立てます。
「ええ、
「どうかなあ。あれだけ盛り上がると、下手すりゃ飲み明かす奴が出て来るぞ」
壇上から見た聴衆たちの盛り上がりを思い出し、困った様に苦笑を浮かべるテンデットの肩に、スィードが器用にバランサーを調整して乗っかりました。2.3度ボディを左右に振って落ち着きの良い角度を決め、居心地の良いポジションを見つけたと言わんばかりにプロペラがその回転を止めます。
「そうですね……こうしていれば節電にもなります」
「少し厳しいなあ。ただでさえあんだけ弾いて肩ガッチガチなんだけど」
「……私の権限内に限りますが、後でプログラムを解析してもいいですよ?」
「よし、肩がイカれるまで止まっててくれ」
そんなテンポの良いやりとりを交わしながら、2人は辻を曲がります。図らずともエクス助ける立場という共通の役割を担っていたおかげか、今では冗談を言い合える程にその仲が深まっていました。
「お望みならば、このまま下降しましょうか」
それならばと肩に止まったままプロペラの角度を変えるスィード。そのままローターが回れば、働く力はテンデットの体を地面に抑えつけるでしょう。
「それは勘弁――」
想像して堪らずスィードへと向き直り肩を震わせるテンデットが、その視界の端にこちらへと歩いてくる見覚えのある人影を捉えました。
「楽しそうだな。打ち上げはもう始まってるぜ?」
ふざけ合っていた2人とは対照的に、近づいてきた男性は祭りの後にそぐわない暗い表情を浮かべています。どこか恨めし気な口調で話しかけてきたのは、エクスたちの後で演奏を披露したギター弾きの1人でした。
「おっと、そりゃ急がないとな……お前さんは行かなくていいのかい?」
「今は美味い酒が飲めそうにないんでね」
テンデットの言葉に、ギター弾きは顔の渋味を一層深くします。
完全に充電の切れてしまったスィードを弟から手渡され、慌てて研究所に取って返した彼は知りませんが、2人と入れ替わりにステージに立った彼らは、大盛り上がりのまま演奏を終えたエクスへと興味を残したままの聴衆にほとんど関心を払われる事も無く、決して良い気分で出番を終えられませんでした。
「気持ち悪ぃんだよ。機械のくせに」
今ではエクスとテンデットに殆ど逆恨みに近い想いを抱いている彼は、吐き捨てるような文句を残して足早に脇を通り抜けていきます。
「エクスがどれだけ研鑽を積んだかも知らないで……」
足を止めてギター弾きの背中を見送る2人。その後姿が宵闇に消えた後、さっきまでとは正反対に温度の宿らない声を漏らすスィードに、テンデットは力なく首を振ります。
「いいや。多分そういう問題じゃないんだよ」
どこか寂しそうに呟くテンデットの肩で、スィードはそうですか?と異を唱え、彼の横顔を見上げました。
「以前のトレムマン氏と同じような感情ではないのですか?」
「トレムマンさんは何の苦もなく誰かのコピーを鳴らす、いわば音楽への侮辱に怒っていた。だから努力の跡を見たあの人は、素直に認めた」
「彼は違うと?」
――どう言えばいいのかな。問いを返すスィードへと視線を合わせ、その眉根を下げるテンデットは、頭の中で慎重に言葉を選びます。
「多分、エクス君が機械である事そのものが許せないんだろうね。人の営みに加わる事自体に不快を覚える……残念ながら今でも、そういう人間は少なくない」
「自分達でASHを作っておいて、都合のいい」
単に社会に参画させる事と、立場まで対等にすることは違うから。
彼らは機械に並ばれたくないんだよ。
呆れたように息を吐くスィードに、テンデットは続きを口には出来ず、ただ目線を夜の空へと向けます。
そんな人間も存在すると知ったら、彼らはどんな思いを抱くだろう。そんな彼の躊躇いこそ優しさの顕れであり、テンデットがエクス達を意思を通わせられる友として認めている、ギター弾きとは異なる思想の持ち主である証拠でもありました。
「まぁ、前向きに捉えよう。エクス君が打ち上げで彼と接触しなくて済む、って事でさ」
唐突に口調を明るいものに戻し、テンデットは伸びを一つして歩き出します。
「……そうですね」
その強引さに引っ掛かりを覚えたものの、スィードはただ同意を返します。知りたがりの彼が話を蒸し返さなかったのは、どこか無理矢理に頬を上げるテンデットの笑顔の裏に自分たちへの気遣い垣間見ていたからでした。
「さ、急ごう。ご馳走が無くなっちゃうぞ」
※ ※ ※
「約束ね」
「は、はい……」
広場に辿り着いたスィードとテンデットが上機嫌な赤ら顔を掻き分けて進み、やっとの事でエクスの姿を見つけた時、彼は昼間出会った絵描きと名乗る女性と話している所でした。
「じゃ、楽しみにしているわ」
何らかの約束を取り付けられた事に満足そうな笑みを浮かべて、片手に持つワインを一気に飲み下す女性。エクスへと近づく2人に気付くと、名残惜しげに手を振って離れていきます。
「エクス」
テンデットの肩から飛び立ったスィードが声を掛けると、遠ざかる女性の背中を見送っていたエクスが一拍遅れて振り返りました。
「スィード、もういいんですか?」
「ええ、彼のお陰でしっかり再充電出来ましたよ」
肩からいきなり飛び立った事に慌てて小走りで追いかけてきたテンデットの方を振り返り、スィードは手招きするようにボディを揺らします。
「いきなり飛ぶなよー……びっくりするんだから」
合流するなり軽くスィードを小突くテンデットへ、エクスは深く頭を下げます。
「ありがとうございました。テンデットさん」
「大した事はしてないさ。それより――」
大仰だと言いたげにひらひらと手を振りながら辺りを見回して、大きなトレイを持って歩く男性を呼び止めたテンデット。彼はお酒の入ったグラスをふたつ手に取って、片方をエクスへと差し出します。
「お疲れ様。大成功だったね」
「生憎ですが、私は酔えませんよ?」
有機物を分解してエネルギーに変える機能を持っていても、流石にアルコールによる酩酊までは再現されていません。深い赤を讃えるグラスにカメラを向けてその成分を分析し、申し訳なさそうに謝るエクスへと、テンデットは白い歯を見せます。
「いいんだよ。こういうのは気分だ」
そんな違いを全く気にすることなくグラスをエクスへと突き出すテンデットに、スィードは言葉に出さずもう一度、感謝の念を浮かべます。
「そうですか……?それでは」
遠慮がちにグラスを上げるエクスを見て大きく一度頷き、テンデットは限界まで息を吸い込みます。
「エクスの初舞台に!」
有らん限りの大声で叫び、グラスを高らかに掲げるテンデット。今日の主役2人による乾杯の音頭に気付いた周りの人たちも彼らに視線を集め、それぞれ握るグラスやコップを構えます。
『乾杯!』
重なる声と共にグラスがかちんと鳴って、広場にひときわ大きな歓声が沸き起こります。後夜祭が始まって随分時間が経ち、皆かなりお酒が回っているというのに、殆どの人が勢いのままグラスを空にしてしまいました。
エクスもそれに倣って一気に飲み下します。アルコールの酩酊も感じられない、ただの葡萄の香りが漂うだけのワインから、どういうわけか一際華やかな味わいが感じられました。
「最高だろう?」
驚きに目を丸くするエクスへ、テンデットは屋台から取ってきたハムを差し出しながら、答えのわかりきった問いを投げかけます。
「ええ、拙い演奏ですが、披露して良かった」
「腕の良し悪しなんか関係ないって言ったろ?しっかりとやりきったプレイヤーにしか堪能できない味さ」
口に入れたハムもやはり特別な風味を運んできて、エクスは知らず目を細めます。彼らの周りもみんなとても美味しそうにお酒を嗜んだり、料理を頬張ったりしていますが、今日この賑わいを作り出した張本人であるこの2人の舌こそ、間違いなくその中で一番の美味を味わっていました。
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