ACT11「エクスと青空のアンサンブル」

「……」



 広場の入り口に立つトレムマンの耳に、エクスとテンデットを呼び出すアナウンスが聞こえてきました。



「本当にってやがんのか」



 あのロボットの誘いに乗るか乗るまいか。それだけを考えて午前中を使い果たし、散々迷った挙句いざ自分の店を出た後も狼狽える亀のように遅かった彼の歩みは、そんな独り言と共に完全に止まってしまいます。

 


 ――ロボットが人の演奏なぞできるもんか。俺は不格好な物真似を嗤いに来ただけさ。

 他の誰に聴こえるはずもない弁明を心の中に浮かべながら、トレムマンは懐を探ります。



 ――本当にそれだけならば、何故あんなに迷っていたんだ?

 即座に頭の片隅から聞こえてきた反論をかき消すように、咥えた煙草に火を点けるトレムマン。パテを焼く屋台の女性が向ける苦々しい顔にも気づかず、紫色の煙を勢い良く吐き出しました。

 お店に並ぶ楽器やプレーヤーの類は非常にデリケートであり、トレムマンは店内での食事や喫煙を決して許しません。それは来店する客だけでなく自分も例外ではありませんでした。その為外に出て一服する時間というのは彼にとってかけがえのない気分転換であり、彼は今までいくら思い悩んでも空の下で煙草をふかすだけであっさり迷いを振り払う事が出来ていました。

 


「ああ、クソッ」



 しかし。トレムマンは乱暴に石畳へと煙草を押し付け、携帯灰皿に吸殻を投げ込んでポケットへ捻じ込みます。今日に限ってはフィルターの際まで火種が迫っても、一向に気が晴れません。それどころかステージまであと数10mという所まで来ているというのに、彼の頭には再び帰ってしまうという選択肢すら浮かんできていました。

 


 ――自分を誘った時にあのロボットが見せた、自信に満ち溢れた声と表情。それを裏打ちする修理された楽器と買った本。たった数分歩いて笑い飛ばしてやるだけで、その鼻っ柱を折ることが出来る。

 いや、そもそも出来るはずがないのだから、わざわざ見に行かなくてもいいじゃないか。奴は自分に見せる為に今日まで様々な手段――努力、と形容なぞしてやらない――を講じている。それを見に行って笑おうが、最後まで姿を現さなかろうが、どちらにしろ奴が今日までやってきたことを台無しにできるんだ。



 朝から幾度となく考えてきたことが再び鎌首をもたげ、トレムマンは頭の中で肩を落とすロボットを思い浮かべていきます。そうすることで彼は、ここを後にする自分への、いわばを補填しようとしていました。



「あ……」



 だんだんと輪郭をはっきりと指せ始めていた想像が物理と途切れ、代わりにぽつりとトレムマンの口から声が漏れます。

 彼の想像を止めたのは、風に乗ってその耳に入って来たお世辞にも上手とは言えないヴァイオリンの重奏。人いきれの中やっとの事で届いたか細い旋律は、それでもトレムマンの頭の中をぐるぐると駆け巡ります。

 リズムが狂い、音程が外れるその度に、恐らくテンデットであろうもう一つの音が慌ててフォローに入る。単純な場所は滑らかに音が乗っていくが、少し複雑になれば途端に躓く。それは素人にも分かる程酷い体たらくで、有り体に言えば誰かに披露できるレベルではない。自分が蔑むまでもなくロボットは冷笑に晒されているだろう。

 そんな空気の中でついぞ顔を歪めるロボット。ここに来るまではさぞ痛快な光景だと思っていたのに、いざ音が耳に入ってからでは想像が輪郭をはっきりとさせていくほどに、逆の心地が彼を苛んでいきます。

 とても人前で出来る腕前に至っていないのに、あのロボットは馬鹿正直にプログラムを消して今日ここで演奏している。そこには明らかに自分を見返そうとする意図がある。でなければわざわざこんなことをするはずがないはずがない。

 そんな意地に無視を決め込むことが、果たしていい大人の行いか――。

 トレムマンは弾かれた様に顔を上げ、青い空をいっぱいに瞳に映します。


 

「意地……ね」



 巡らせる思いの中に浮かんだその言葉を反芻し、トレムマンは顔を上げて後ろ頭を掻きました。誰に命じられるでもなくただいたずらに時間を使い、楽器は買わずに直して見せつけ、演奏は1から学び、挙句の果てに笑われながらそれでも人前に出てみせる。非効率に非効率を重ねたその行いが意地人間以外の何だというのか。少なくとも彼には、それよりふさわしい言葉が浮かびません。

 

  

 それじゃあこちらも、筋を通すとするか。括った腹と共に苦笑いを浮かべる口の端に、トレムマンは2本目の煙草を挟み込みます。



「ちょっと!こっちは食い物売ってるんだ!煙草ならよそで吸ってくんな!」

「わ、悪かったよ……」



 咥えた途端に飛んできた怒声と、屋台から身を乗り出して睨み付けてくる女性のあまりの剣幕に、さしものトレムマンも気圧され、逃げる様に足を前に踏み出していました。






 ※     ※     ※






 トレムマンが広場に辿り着くと、そこには並べられた椅子だけでは全く足りず、ステージを半円状に取り囲むように人垣ができていました。更に周辺の屋台からもエクスを応援する声が聞こえ、中にはモノを売る手や作る手を完全に止めている人までいます。



「……なんでぇ」



 右手を腰に当てて、気が抜けたような、しかしどこか安心したように息を漏らしたトレムマンが、人だかりの一番後ろに陣取ります。彼が思っていた以上にエクスの演奏は人々に受け入れられているようでした。

 今しがた来たばかりの彼が知る由もありませんが、周りの目が皆暖かいのは演奏会が始まる前にエクスが立ち並ぶ店々を何周も回っていたからでもあり――



「……ん?」

 


 途中の屋台で買ったビールの栓を開け、半分ほど一気に煽って一心地着いたトレムマン。改めて2人の演奏に耳を傾けて、感じた違和に小首を傾げます。

 


 ――……なんか、上手くなってねえか?

 


 ここまで絶えずごった返す人並みを掻き分けてきた彼は、歩き始めてから噴水広場にたどり着くまで全くと言っていいくらい2人の演奏が聞こえずにいました。

 まるでその短い間で演者が変わったのではないかと訝しむほどに、2人の――とりわけロボットの奏でる――ヴァイオリンの音色は違った表情を覗かせています。



「あれ、おっちゃん来てたの?」



 しばらく食い入るようにステージを見つめていたトレムマンの背中に、突然声が掛かりました。驚いた拍子に手にしたビール缶の口から中身が零れそうになりながら振り向くと、そこには大きな黒い塊を右の小脇に抱えたテンデットの弟が立っていました。



「びっくりさせんなや……ていうか、お前は出なくていいのかよ?」

「生憎ここんとこ忙しくてね。今日もいまさっきまで仕事してたんだよ」



 握り拳に親指だけを立ててステージを指すトレムマンに、テンデットの弟は左手に提げる半分ほど中身の減ったビールの缶をひらひらと振って苦笑を返します。



「ま、兄さんがばっちり代役を引っ張ってくれたみたいだし、今日の俺は気楽な観客ですよ」

「ふうん……ところで、お前何を抱えてんだ?」

 


 それなりの重量を誇っているのか、時折抱える腕を後退させながら彼が持っているのは、プロペラが2組ついた黒いボールのような見慣れない機械。缶ビールを握る手の人差し指を一本だけ伸ばして、トレムマンは訊ねます。



「ああ、これ?さっき上からふらふら落ちてきたんだよ。拾ったら『バッテリーが無くなって飛べなくなったからステージが見える所に持って行ってくれ』って音声が流れてさ、なんか珍しいから頼まれることにした」

  


 そんな要領を得ない彼の返答に再び生返事を返して、トレムマンは再びステージに集中します。彼も元々そこから話を広げる気はなかったらしく、自分の眼と抱える機械のカメラの焦点を2人の演奏へと戻しました。



「おい、どうした……?」



 ステージを見守る2人の間に再び会話が生まれたのは、それから3分ほど経った後でした。

 テンデットとロボットが大逆循環を繰り返す度に小さく驚きの声を漏らしていたテンデットの弟。そのややオーバーにも思える反応が気になったトレムマンが、横目で彼を見やりながら声を掛けます。



「成程……ただのASHを相方に選ぶわけねえと思っていたが、兄貴の奴……」



 問い掛けがまるで耳に入っていないかのように、一人得心して独り言を漏らすテンデットの弟に、トレムマンはうろんげな溜息をひとつ。



「そんなにすごいもんなのか?」



 確かに、目を見張るほど演奏はスムーズになっているが……黒い物体を抱えたまま落ち着かない様子でエクスの一挙手一投足を食い入るように見つめる彼に、トレムマンは理由をその訊ねます。



「っかぁー!分かんねえかなぁ……いやまあ、分かんねえか」



 渇きを覚えてビールを口に運んだ彼が少しばかりの取り戻し、いいか?とトレムマンに念を押し、教壇に立つ先生のような口調で続けます。



「ASHに限らず、本来ロボットっつーのは曖昧なサインや命令じゃ。それには誤作動による予期しないトラブルを防ぐって意味合いもあるが、それ以前に人工知能ってのは所謂いわゆる『瞬時に察する』という事が絶望的に苦手だからだ……それがどうだ?」

 


 彼はそこで一度言葉を切り、再びステージへと目をやります。釣られてトレムマンも顔を向けると、2人はまるで中身が入れ替わったように弓を捌く手の忙しさを変えるところでした。

 歓声が沸き起こります。循環し先頭のコードに戻る度に堅さが取れ、音が少しずつ洗練され、明らかに滑らかさを増していくエクスと、それを見て目を細めながら少しずつテンポを上げ、主旋律を大胆にアレンジしていくテンデット。2人の演奏は、今や噴水広場の空気そのものを支配しつつありました。



「今の、見ただろ?兄貴の目配せ1つで転調とテンポアップ、更に主旋律と交代までこなした。演奏を台無しにするレベルのラグもなく、だ。もしこんな小さな祭りじゃなく、どっかの展示会コンベンションで披露されたなら……見ているエンジニアが全員固まるぜ」



 ――いろんな意味でな。そう続けた彼が少しだけ、顔に少しばかりの陰りを差します。トレムマンがその複雑な表情の理由を訊ねなかったのはたんに気付かなかったからでも、その理由に見当すらつかなかったからでもなく、彼もまた壇上の2人が作り出す音の輪に魅入られ始めていたからに他なりませんでした。

 

 

「つまりは、新しい仕組みを積んでる、ってことか?」



 トレムマンは頬を掻きながら、堅い頭でどうにか自分なりに噛み砕いた要約を口にします。それを聞いたテンデットの弟は長いうなり声の後、複雑な顔色で口を開こうとしました。



「それだけではありません」



 しかし、彼が口に出すよりも一足早く、トレムマンへの答えはそのもっと下から聞こえてきました。



「「うわっ!喋った?!」」



 トレムマンは驚きに、テンデットの弟は興味に丸くした瞳をその塊へと向けて声を重ねると、抱えた黒い物体のスピーカーの下あたりに緑の光が小さく灯ります。



「驚かせてしまいましたね。私はスィード、壇上に居る彼……エクスと共に暮らす者です。ここまで運んで下さってありがとうございました。さて――」 



 挨拶もそこそこに、スィードはまるで何かに急かされるように話題を切り替えます。それはまるで迫る刻限の中、どうしても伝えたいことがあるという焦りにすら思えるほどの唐突さを伴っていました。


 

「確かにあなたの言う通り、エクスと私はある人物によって開発された新機軸のOSを搭載しています。ですが、エクスがテンデットさんの演奏にあそこまで食らい付いていけるのはそれだけが理由ではありません」

「というと?」



 自分の知らない技術の話が聞けるかもしれない。そんな期待に目を輝かせるテンデットの弟が先を促しますが、スィードはあくまで平静に、なんのことはないとばかりに返します。



「単純な話です。彼と重奏の練習を重ねたのですよ。平日は彼の仕事が終わってから、休日は朝から晩まで」



 そんなスィードに一瞬肩透かしを喰らった心地を覚えたものの、それでもテンデットの弟が落胆の色を見せなかったのは、機械が反復練習に意義を見出すという事が新鮮に映ったからでしょう。何かを思い出すように空へと目を向けた彼は、やがて納得するように深い唸りを上げます。



「だから最近、兄さん帰りは遅いし、休みはどっか行ってたんだな」

「……今思えば、テンデットさんには随分と無茶を願ってしまいました。しかしその甲斐あってエクスの中に、それこそ無数に積み上げられた経験が、非言語下での意思疎通を確かに可能にしたのです」

「まさにの賜物、ってわけだ」

「でも、わざわざそんなことしなくてもよ。事前に打ち合わせして、演奏はプログラムを入れときゃ――」



 咄嗟に、トレムマンはそう口を挟まずにはいられませんでした。ですが口にした彼自身、今ではただのプログラムであの演奏が再現できるなどとは考えていません。

 それでも敢えて口に出したのはエクスの努力を否定する為ではなく、反論を受ける事で自分が恥ずかしい先入観と共に彼の積み重ねを否定した。そんなを得る為でした。

 


「……そうしなかった理由は、貴方が一番理解しているのではありませんか?トレムマン氏」



 無意識に行われるトレムマンの禊。それに応える様にスィードは聴く者に見えない圧すら覚えさせる静かな声を返します。



「俺は……」



 絞り出したようなその声は、いつぞやのエクスの呟きと似ていました。努力を常に傍らで見てきたものならば、水を差した自分に対して蔑みを向けるのは当然だろう。トレムマンは俯きながら、更なる面罵めんばに身構えます。



「俺は」

「……その続きは私に述べるべきではありません。それよりも――」



 しかし当のスィードは自らを抱えるテンデットの弟を促し、再びカメラをステージへと向けさせます。そこでは彼らより前に演奏を披露していた音楽隊が、ヴァイオリン2本だけじゃあ寂しいとばかりに、めいめいの楽器を手に壇上へ上がり、2人はそんな彼らを笑顔と共に迎え入れていました。



「今はただ観てあげてください。彼が積み上げてきたプロセスと、その結果を」



 ――私は、これ以上見ていられませんので。

 それきり再び休眠状態スリープモードに入ったことを示す赤いランプの点滅と共に沈黙したスィード。トレムマンは一度目を伏せて視線を離し、ステージへと意識を戻していきます。

 今や楽しそうな壇上の演奏者達プレーヤーに釣られた聴衆があちこちから私も混ぜろと歌声を重ねていき、ステージのみならず広場全体に広がった演者の輪が、それでも不思議な調和を保ちながらひとつの音楽を形作っています。

 そうして出来上がった即席の大楽団は出し物のプログラムを大幅に変えるほど盛り上がり、その音は日が暮れるまで鳴り止むことなく、広場へと響いていました。

 

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