ACT10「エクスと楽器屋のトレムマン(後編・4)」

 宙を舞う4つのカラーボックスを受け止めた大道芸人が恭しく一礼し、広場に完成と拍手が巻き起こります。白く塗られた肌に走る汗も拭かずに満足そうに頬を緩めるその横顔を、エクスとテンデットは袖から覗いていました。関係者以外は立ち入り禁止、という事で、スィードは噴水の水よりも高い高度てホバリングしながら、二人を見守っています。



「今年は盛り上がってるなー……」



 ヴァイオリンを片手にテンデットが呟き、突然声を掛けられたと勘違いしたエクスの手から弓が零れ落ち、床にぶつかって乾いた音を立てました。



「す、すみません」



 出番が近づくにつれて、材質とは別の意味で固くなってきたエクスの体は、今や絶えず小刻みに震えていました。

 まるでボディの中央に重く震動する石を埋め込まれ、時間が迫るに比例してどんどん大きくなっていく。気を抜けば勝手に頭が地を向いてしまいそうになる心地。彼は初めての『緊張』を全身で感じていました。



「はは、無理もないさ」



 腰を屈めてエクスが取り落した弓を拾って弦が切れてない事を確認すると、テンデットは軽く拭いてエクスへと返します。



「テンデットさん、落ち着いていますね……私も、さっきまでは平静だったのに」



 沈むエクスへ向けるその顔は相変わらず柔らかく、彼の踏んだ場数を示すとともに、同時にエクスの緊張を解きほぐそうとする余裕すら思わせるものでした。



「皆初めはそう。それに、むしろ安心したかな」

「安心?」

「さっきのテンションのまま本番やったら、きっと息が合わなかったよ。ああ、やっぱり『機械』なんだな、って」



 、という単語を聞いてエクスの顔にまた暗い色が走ります。いつの間にかテンデットは顔から笑みを消し、真剣な面持ちでエクスの伏し目がちなその顔を真っ直ぐに見つめました。



「……でも、強張って狼狽えてる今の君はとても人間ひとらしい」



 その声に弾かれた様に顔を上げるエクスの前にはいつもの、見る人をも柔和にさせる笑顔に戻っていました。



「だから、大丈夫。それよりも――」



 それで暗い話は終わりとばかりに、テンデットは口調を軽くして話題を変えます。



「テンデットさん、見つかった?」



 ――が。その変え方がよくないと本人が気づくのが一瞬遅かったようです。再び顔に険を籠もらせて、エクスが首を振ります。



「ほ、ほら、あの人時間にルーズだから、きっと来るって」

「それならば、いいのですが……」



 先程までの落ち着いて雰囲気がどこかに吹き飛び、引き気味の笑顔で肩を叩くテンデットの励ましは、当然の如くエクスの記憶回路を上滑りしていきます。

 うろんな受け答えを口から漏らしながら、諦めの付かないエクスは気が付けばもう一度、舞台の袖から首を伸ばしていました。

 


「ははは……って、ちょっと!」


 

 ステージではアンコールをせがまれた大道芸人がとっておきの芸を始めています。思わず小声で叫ぶテンデットに肩口を掴まれながら、それでも未練がましく見回すエクス。

 引っ張られて後ろへと下がっていく視界の中でただひとつだけ、宙を舞う短剣から顔を外して自分へと交錯する一つの目線を見つけました。


「あ……」


 エクスの顔がカーテンの裏に隠れる間際、その目線の主の口が5回形を変えます。



「全く……よその芸を邪魔しちゃだめだよ」



 ステージから差し込む西日が届かないところまで連れて行き、ほっと一息ついたテンデットの呆れ混じりな小言も、今のエクスには聞こえていません。探す目線の先に彼女がいた。彼の頭は今やその事実と彼女が届けてくれた言葉にのみ支配されていました。声自体は歓声と熱気にかき消されて届かなかったものの――



『がんばって』



 口の動きと細める目が確かに伝えてきた激励が、エクスの中を何度も反響します。

 もしそれが平時であるならば――舞台を控えた今でなければ――それは彼を前へと歩ませる大きな力になった事でしょう。



「彼女が、いました」

「見つけたか。それじゃかっこいいところ――」

「い、一度再起動してもいいですか?」



 しかし今は却って彼の緊張を増幅させる結果となってしまい、その重圧に処理速度と許容量の限界を迎えそうなエクスが震える声で上を見上げ、スィードの遠隔ユニットに懇願します。



「だめだ。君は何のためにここにいる?トレムマンさんを見返すんだろ?」



 異常を察知して高度を提げてくるスィードを手で制し、再びテンデットはスッと細めた目でエクスを見据えました。

 


「なら、都合のいい時だけ自分を変えちゃだめだよ」



 きっぱりと言い放って一度ヴァイオリンを椅子に置き、合わせる目を逸らさせまいと両肩を掴むテンデット。彼が持ち合わせているのはただ人当たりの良い言葉を吐くだけではなく、その裏に同じくらいの厳しさを持ち合わせて、それを説得力とするものでした。

 そんな真の優しさが見せる鋭さに芯を見透かされて固まるエクス。その後ろで一際大きな歓声が巻き起こります。大道芸人の全ての演目が終わったことを示し、同時に自分たちの出番が訪れた事を意味していました。



「さ、いよいよだ」



 片付けに取り掛かる大道芸人を見て肩から手を離し、再び楽器を手にするテンデット。しかし未だカメラのピントすら合わせられずに、エクスは立ち尽したままです。そんな彼を見て踏み出そうとした足を止めた彼は、その姿に覚えた懐かしさに軽い息を吐きます。

 俺にもこんな頃があったな――。彼はエクスの泳いだ目の中に昔の自分を見ていました。

 


「……いいかい?人が沢山いると思うから緊張するのさ。練習の時は誰に聴かせていた?」

「スィード……」

「その時は緊張しなかったでしょ?」

「それは、知り合いだからで――」

「だったら同じ、知ってる人にだけ聴かせるつもりのままでいいんだよ」



 知っている人。未だ姿を見せないトレムマン。そして互いの名前も知らない、それでも応援してくれる『彼女』。

 そのどちらにも無様な姿を見せたくない。リハーサルまでは自ら完璧な演奏をする必要はないと口にしていたにも関わらず、未来の失敗を恥じ入る思いがエクスの思考にこびりついて離れません。



「だけど――」

「トレムマンさんは無愛想だけど、懸命にやっている姿を嗤う人じゃないよ。彼女もそんなタイプには見えない」



 エクスが口にする前に、テンデットは先回りしてその不安を一蹴していきます。



「もしそうなら、俺がぶん殴ってやるさ」



 ロボットが人に振るうよりは軽いものの、もし人が人を殴れば決して微罪では済みません。エクスはそんな常識すら踏み越えて他人の不利益を怒ると豪語するテンデットの考えを理解する事が出来ません。

 しかし胸を張る彼の姿に、エクスはなぜかトレムマンに悔しさを滲ませていたスィードを重ねていました。

 今日まで努力を共にしてくれた2人。彼らと自分はそれぞれが同じもので結ばれている。そんな確信を得ると同時に、エクスのこころはその関係にふさわしい名前を探し出していました。

 巣食っていた緊張が少しずつ質量を減らし、空いた隙間を名前を得た+の欠片が埋めていきます。段々と力を取り戻していくエクスの顔に、テンデットは最後の助けを差し伸べました。 



「……あとは簡単。他の奴らはいないものと考えればいい」

 ――どうせ殆どはもう二度と会わないんだから。そう事もなげに続けるテンデットに、気付けばエクスも確かにそうだと噴き出すように笑っていました。



「ですが、演奏者の心構えとして、些か不適切じゃありませんか?」

「でも真理だろ?」



 そう言って笑い合う2人の名前を、会場のアナウンスが呼び出します。



「よしっ」



 ひと声気合いを入れたテンデットが、さっきまでより背筋が伸びたエクスへ向かって弓を持つ右手を突き出します。それを見て特段何かを考える前に、エクスは緩い曲線のを描くその指の元に盛り上がる拳へと、自分の手の甲を当てていました。



「なんだ、ばっちりいけそうじゃない」

「……?」



 テンデットは合わせた拳を離し、勝手に動いた自分の手を不思議そうに見つめるエクスへと、犬歯を見せて目を細めまました。

 


「今のが、ってことさ。それじゃ改めて――」


 

 そこで言葉を切り、一拍置いて息を吸い込むテンデットに追従して、エクスも人工声帯へと空気を送り込んでいきます。



「「よろしく」」



 再び通じ合わせた声を重ね、2人は仕切りの間から差し込む拍手と光の中へ歩き出していきました。

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