ACT7「エクスと楽器屋のトレムマン(後編・1)」

「スィード、私は何故感情を宿されたのでしょう」



 ただいまの一言もなく、エクスは研究所のドアを開くなりスィードに問いかけます。しかしエクスが椅子に座って充電を開始しても、答えは返ってきません。



「貴方も分からないのですか?それとも、回答にアクセス権限が――」



 そこで初めて、エクスはスィードの様子が普段と違う事に気付きました。普段はケーブルに接続されると充電と共に否応なく始まるターミナルコンピューターとの同期の処理が行われていません。



「スィード……?」



 疑われるプログラムの不調よりも、スィードの存在を感じ取れない事に胸の内へざわめきを覚えながら、エクスは線の細い声でその名を呼びますが、やはり彼の声は聞こえません。ですがその代わりに、ターミナルコンピューターのモニターへ新しいウィンドウがポップアップしました。


 ――これは……?


 エクスが僅かに身を乗り出してウィンドウを覗きます。画面の4分の1ほどを占有するウィンドウにはたった一本だけ緑のラインが表示されています。それが音声を波形で表示するサウンドミキサーだとエクスが気づく前に、それまでは止まった心臓に繋がれた心電図のようにずっと直線を描いていたラインに変化が生まれました。



「その疑問を覚えるという事は、実証実験は順調のようだね」



 短いホワイトノイズの後、唐突にスピーカーから聞こえてきたのは、明らかにスィードとは異なるからついた低い声。エクスがエクスとして目覚めてアップデートを終えてからの記憶を幾ら探ったところで、彼はその声の主と出会ってはいません。



「ウィル博士」



 しかし、エクスは半ば意識の外で――その理由もわからないまま――躊躇うことなくその名前を呼ぶことが出来ました。



「久しぶりだね、エクス。とはいってもこれは単に、予想されうる疑問に対する回答を録音している音声に過ぎないけど」

「ならば教えてください。貴方が何故機械わたしに感情を宿したのかを」



 声に少しだけ懐かしむような笑みを込める博士に向かって、エクスは必死に問いかけます。



「期待を持たせて申し訳ないが、今その疑問に答える事はできない」

「なぜです」

「代わりに君だけの話ではなく、何故私が機械に感情を宿そうとしたか、その意図は答えよう」



 エクスの意思を無視するように、博士の声は話を進めていきます。全ての答えを知っているはずなのに、今自分と対話の真似ごとしているのはあらかじめ録音された音声に過ぎず、決まった回答しか用意されていない。そんな一種のずるさに追及を躱されて、エクスは思わず舌を打っていました。



「プログラムが持つ即断性、そして的確さに加え、直接的に関連付けられていない周囲の状況や環境、そして心情までを汲み取れる感情のフレキシブルな判断力。その2つを共存させる事で、自律制御システムは更なる進化を遂げ、機械はより人と寄り添う事ができるようになる。私が長年続けてきた命題だ」

「ならば私は単に、その実験機体に過ぎない?だから思うがままに生きろとだけ命じたのですか」

「いいや。私があのタイミングでASHである君に感情を宿したのは確かな動機がある。極めて個人的なものだけどね」



 まるで霞のように輪郭を持たないその返事に、エクスはただ押し黙る事しか出来ません。そうしてひたすらに続く沈黙を埋める様にターミナルコンピューターのファンが回転数を増し、モニターにはスィードの意識を司るプログラムが再び起動した事を表すダイアログが表示されていきます。



「……そうだな、君が人との交わりを続ける中で、いわば感情の果てを知るとき、自ずとその理由を知ることが出来る。それは保証しよう」

「感情の、果て?」

「これで一旦お別れだ」



 スィードの再起動を刻限の訪れとするように話を終わらせる博士へと、エクスは繋がれたケーブルを限界まで張り詰めさせて身を乗り出します。



「待ってください、博士!」

「次はより近いところで会おう。エクス」

「博士!」



 必死に追いすがりますが博士の声はそれきり返ってこず、代わりにスピーカーから響いた録音の終わりを示すぶつりという無常な音に、エクスは一人取り残されてしまいました。






 ※      ※      ※






「私は、今……?」



 エクスの叫びの残響が消える頃、まるで気付かないうちに落ちた居眠りから目覚めたばかりのような、スィードの呆然とした声が研究所にぽかりと浮かびました。



「スィード?」

「ああ、申し訳ありません、エクス」



 確かめる様に呼びかけるエクスに、スィードは慌てて短い謝罪を返します。



「原因は不明ですが、ごく短い間、私のOSが一時的に別の権限によって動作していたようで――」

「いえ、実は……」



 それからエクスは今しがた起こった事の説明を始めます。短く、しかし濃いそのあらましを話し終える頃には、ちょうどスィードの再起動と共に改めて始まった同期処理もシークエンスを全て消化していまいした。



「ふむ」



 少なくともエクスにとって、死んだ博士の残したメッセージをスィードが意思に関係なく話した、という事実は大きな驚きを伴っていました。しかし当の本人はというと、聴き終えて僅かな間の後いつもの調子で何かを思案するように鼻を鳴らした――正確にはそれを再現する音を発した――のみ。

 その平静振りたるや、彼との有線接続が解除された今でも、エクスへとそこに特段大きな感情は伴っていない事が手に取るように伝わるほどでした。



「あまり驚いていませんね」

「ええ。単に特定の条件下に応じて、私のOSに割り込むように自動的に別のプログラムが起動するよう、事前に博士が仕込んでいただけでしょう。技術的には全く不可能な事ではありません」



 恐らく博士の口ぶりから、エクスが特定の言葉を発することが条件だったようですね。あくまで客観的な分析を続けるスィードにエクスは形容しがたい畏れを覚えました。



「……何の前触れもなく、自分の意志が抑え込まれたのですよ?」



 あやふやな輪郭の声を投げかけながら、エクスは自らの言葉に想像を膨らませます。

 今までのコンピューターに起こり得る事象で喩えるならば、ウィルスへの感染による暴走という表現が最も近いでしょう。本来の正常な駆動を妨げられることは機械にとってゆゆしき事態です。

 しかしエクスの場合、機能不全をいとうだけでは収まりません。意志を持つ機械として生まれ、今や製作者である博士はこの世を去り、彼に自意識を託されたエクスは、いわば存在となっています。

 そんな彼にとっては、コンピューターにとって当たり前に起こり得る『突然予期しない動作を行ってしまう』というトラブルもいわば『突然自分という存在が消えてしまう』事と同じです。そんな抗う術のない脅威に、底の知れない恐怖を覚えるのもごく当たり前の事でした。

 しかしそれと同じくらい、自身と同じく感情を宿しているにも拘わらず事務的と言える程淡々としたスィードの反応が、エクスには空恐ろしいものに見えていました。



「博士がいたずらに悪意のあるプログラムを仕組む事はあり得ませんよ」

「そういう事では――」


 返したスィードの声に籠る、解りきったことをわざわざ声にする煩わしさ。そこに彼と自分の決定的な違いを感じ取った気がして、エクスは口を噤みます。

 あるいはその差異こそがヴァージョンの違いであり、スィードの存在する理由そのものなのかもしれない。そこに深く切り込んでしまえば、スィードとの関係が望んでいない方向に変わってしまうかもしれない。仮定がもたらす結果の予測を計算できず、エクスは結局それ以上の追及をやめました。



「……感情の最果て、とは何のことだと思いますか」



 代わりに浮かべた一つの疑問。エクスは舌打ちが返ってこないだろうかと心配しながら、博士の残した言葉の意味を問います。

 


「それについては私も、明確な回答を用意することが出来ません。しかし博士の言う通り、人との無数の交わりの果てに答えが存在するならば、まずは目先の課題を解決することが先決かと」



 しかし、返って来たスィードの声は普段と全く変わらないものでした。その言葉に棘はなく、また強引に話題を変えたことへの疑念もありません。安心とそれに矛盾する少しの残念さを覚えながら、エクスはひとまず頷きます。



「彼に人ならではの努力を垣間見せる。テンデットさんの案は実行する価値があると思います」

「私も同じ意見です。それではこちらのバックアップも含めて、2枚のディスクのデータを完全に削除しますね」



 きっぱり告げるスィードの声が終わらないうちに、二人の回路から演奏の様子や奏でていた音色までがきれいさっぱり消えていきました。



「……あとは、新たに楽器を用意する必要がありますね。ネットショップへと接続を」



 この満足に音も出せないヴァイオリンでは練習のしようもない。椅子の傍らに置かれたケースに目をやりながら、エクスはスィードに買い物を頼みますが、ターミナルコンピューターには一向にブラウザーが表示されません。


「スィード?」

「それについてなのですが……」



 その代わりに、スィードのすこし躊躇いがちな、しかしはっきりとした意思の宿った声が響きました。



「テンデット氏曰く、トレムマン氏はプロセスを重視する傾向を持っている。そしてこの研究所には様々なパーツを自作するための加工設備も揃っていますね」

「?ええ……」



 続く言葉を聞いても彼の意図するところが読めず、エクスはうろんげな声を返す事しか出来ません。しかし僅かに熱を帯び始めたスィードの声に興味を惹かれて先を促すと、彼は遠隔ユニットを飛ばしてヴァイオリンケースの傍に陣取りました。



「我々は演奏を通じて芸術に対する理解の深さとモチベーションの高さを提示する必要がある。博士は仰っていました、人と機械の長所を同居させる事が目的だと」

「スィード?一体何をするつもりです?」



 感情の高ぶりをプロペラの回転数に乗せるスィードはエクスのせっつく文句にも答えず、代わりに遅まきながらブラウザーを起動させます。

 


「修練の先にある完成度を度外視した演奏は、あくまで辿です。納得させるだけならばそれで十分かもしれませんが……どうせ行うなら、私はトレムマン氏に博士の目的を理解して貰った上で、彼が下した博士への不当な評価を完全に覆したい」

「具体的にはどう……?」

「ケースを撮影、類似する画像データからメーカーと型番を割り出し……」



 彼にとってトレムマンの言葉はよほど悔しかったのでしょう。目にも止まらぬ速度で検索を繰り返すブラウザと傍を漂う遠隔ユニットを交互に見比べるエクスへと、スィードはスピーカーから仕掛けた悪戯の反応を頭の中に思い浮かべる子供のような含み笑いの声を漏らしていました。



「やはり、工場製の大量生産品マスプロダクト。ならば必ず存在する」



 独りちるスィードの声と共にモニターに映し出されたのは、エクスが押し付けられたヴァイオリンの分解図と、それを構成するパーツ全ての3Dデータでした。



「彼に博士の成果……こころと機械の融合わたしたちにしか辿り着けない場所。存分に見せようではありませんか」 

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