ACT5「エクスと楽器屋のトレムマン(中編)」


「気の毒でしたね」



 エクスが終えるよりも一瞬早く、分析処理を終えたスィードが呟きました。

 互いにプロセスを終えるまでの間、ターミナルコンピューターの駆動音だけが響いていたせいか、囁きにも近いその声がいつまでも部屋の中に輪郭を残しています。



「……スィード。貴方は以前の私にも、こうして処理を終える前に、経験の所感を伝えていたのですか」



 向けられた質問の意図が分からずただ肯定を返すスィードに、エクスは自分でも気付かないうちに口内の軟質素材を擦り合わせ、弾いていました。

 それは昼間、エクスが経験したばかりの舌打ちというアクション。苛立ちを表現するその行為がまるで空気の振動と一緒にエクスの心の中に巣食う不快を運んだかのように、予想外の反応へ驚くスィードの心へとより大きくなったマイナスの欠片を落として行きます。



「気遣ったつもり、なのですが」

「いえ……ごめんなさい、スィード。でもこれからは私が自己の分析を終えるまでは、控えて頂けるとありがたいです」 

「構いませんが、どうしてです?」



 問い返すスィードの声に、エクスはなかなか返す言葉を口にできません。それはスィードへと説明できない、ましてやする気が無いからではなく、拒否する根拠が自分達に定められた『OSの更なる洗練』という目的とは真っ向から矛盾する、極めて私的な理由だからでした。

 しかし、互いを繋ぐ――いまだ切断処理を終えていない――ケーブルがそんな心情もおかまいなしに、エクスの真意をスィードへと伝えていってしまいます。



「……確かに貴方の経験を同期し分析するという事は、貴方の心を覗き見ているのと同じことですね」



 そんなエクスをいさめるでもなく、かといって自身を責める訳でもない。ただ納得した様子で、スィードは今日の役目を終えたケーブルを外していきました。



「すみません」



 自由になった両手を胸の前で合わせ、頭を下げるエクス。これもまた経験から学んだ、無理な頼み事を押し通すための所作でした。



「いいえ。以前のヴァージョンでは見せた事のない反応に少々理解が遅れただけです」



 それが功を奏した……のかはわかりませんが、スィードは決して声に不快を示すことなく、彼の望みを受け入れます。



「円滑なデータの蓄積には、不要な要請だとわかってはいるのです。しかし――」

「完全な心を持った今、そのプライバシーを重視する判断基準が生まれるのは至極当然のことですよ。むしろ新たなOSが正常に駆動している事の証明とも言える、喜ばしい事です」



 今度は慎重に選ばれた言葉を用いたスィードのフォローに、改めてありがとうと礼を述べてから、エクスはふと己の胸元を見やります。そこは制御・演算装置プロセッサーや記憶や入出力とのインターフェイスを備えた、いわば自分を自分たらしめる根幹と言えるべき部分でした。



「心を持つというのは、機械にとって不完全に近づく事と同義なのかもしれませんね」



 そこへエクスはそっと手を置いて、自嘲気味に呟きます。以前のヴァージョンでそうであったように、もし記憶の相互補完や分析が諾否なしに行えていたとしたら、このような互いのパフォーマンスを下げるだけのやりとりはそもそも存在し得ないでしょう。

 ものごとの効率化・合理化を命題として生み出される機械としては、こころという不定で、不確定で、そして未知の部分を抱えた今の自分は以前の自分より劣っている。



「だからといってあんな感情の振幅をもたらす演奏が出来るはずもない。完全な人にもなれない私は、完全な機械にも劣るだけの存在になってしまった」



 それは論理として異の唱えようもない、当たり前すぎる演繹えんえき



「それは貴方をただの機械として評価した場合の話に過ぎません」



 しかし自分と同じ、むしろ今となってはより完全な機械に近い筈のスィードが放つきっぱりとした否定の言葉に、エクスの顎がまるで引き上げられかのように上を向きます。



「言ったはずです。貴方は超える者エクス。機械と人、それぞれの良き所を一つの体に宿すことが出来る。博士はそう信じたからこそ、文字通り命を掛けてあなたを作り上げたのだと思いますよ」



 澱み無く続けるスィードの語り口には、さきほどエクスへと向けたフォローのような優しさは込められていません。しかしその代わり、自らを作り上げた人間がそう信じているというだけの、どこにも根拠など存在しない仮説を信じ、決して疑わない。そんな意志の硬さが表れていました。



「ですが、それならば私は恙無つつがなく交流を遂行できているはずです。私は博士の期待に答えられなかった」



 そんなスィードとは対照的に、エクスはただ戸惑ってばかり。自身に突き付けられた現実に裏打ちされた否定に、その意思はスィードと全く逆の方向へ意固地さを増していきました。



「見ず知らずの他人とたった一度の交流で、望んだ成果が得られるような単純な仕組みであるならば、53時間前より遥か以前にこころを持ったロボットが世に出ていますよ……さてエクス、貴方には二つの選択肢があります」



 そんな彼の胸中を知りながら、意図的に一度話を大元へと戻したスィードは遠隔ユニットを飛ばし、追いかけるエクスの視線を蒸着槽へと導いていきます。



「まず一つは昨日述べた通り、全く別の外見に変更し、今日と同じ段階を繰り返すこと。既に追加の精製液は届いていますから、現刻より作業を開始すれば明朝にはパーソナルスキンへの変更工程が完了します。昨日とは異なり、今日一日のデータを分析し終えた上で新たな計画・実行・評価・改善P D C Aサイクルを組むことが出来る。いわばトレムマン氏との交流をアンドゥなかったことにする選択肢です」

「もう一つは?」

「好ましい兆候です」



 安易な結論を急がないエクスの姿勢を評価し、遠隔ユニットをターミナルへと戻したスィードが、モニターにトレムマンの顔を映し出します。その途端、エクスの記憶回路が独りでに再び昼間の交流と自分を卑下するトレムマンの声を再生し、彼のこころへと恐怖と焦りを運んできました。



「……敢えて貴方が同一性を保ったまま、トレムマン氏との円滑な交流を目指すという選択肢です。前者が不特定多数との浅い交流データを広く集めるのなら、こちらは失敗をリカバーしより深い交流を目指すパターンと言えますね」



 エクスは黙り込んで、しばらくの間不機嫌そうに自分を見つめるトレムマンの顔と睨みあっていました。これ以上マイナスの欠片が蓄積することは好ましくない事態である。当たり前で論理的な判断が等に浮かんでいるはずのその頭はしかし、いつまで経ってもモニターから目を離しません。



「どうしました?」



 更に30秒ほど経過したころ、エクスの感情波形図に新たな変化が生まれ、その振幅を強くしていきました。観測したスィードがすかさず訊ねると、エクスはゆっくりと顔を上げます。



「非効率であることは承知で希望します。私は彼ともう一度交流がしたい」

「彼は機械わたしたちが芸術という分野に踏み込んでくる行為そのものに強烈な否定の意志を抱いています」



 自分たちの属性そのものに嫌悪を覚えている以上、関係の修復と新たな交流を始める事が困難である。そうスィードが続ける前に、エクスの決然とした声が割り込みました。



「それでも、交流そのものを無かったことにするという判断は承服しかねます。その選択肢がある事で外へ出られた筈なのに、否定する適当な理由を説明できませんが……」



 言葉を探しあぐねるエクスの目の前に再び遠隔ユニットが飛んできて、一度大きく上下に高さを変えます。どうやら体を持たないスィードにとって、その行為はうなづきを示しているようでした。



「それは『悔しさ』ですよ」

「くやしさ?」

「失敗を無にするという事は、自分が劣っている事を認め、その事象から逃げ出す事を意味します。貴方にとってそれこそが効率的な判断を妨げる要因になっているのではありませんか?」



 蓄積された経験という一日の長を持つスィードに、不透明だった意思の源をゆっくりと紐解かれたエクスは何度も頷きました。



「……私を愚かだと思いますか?」

「いいえ」



 不安そうに訊ねるエクスの目の前で、遠隔ユニットのプロペラが突然回転数を増しまていきました。穏やかではないこころの内が表された風切り音をひとしきり鳴らした後、スィードは続けます。



「根源こそ異なりますが、私も同じ感情を抱いていますよ。トレムマン氏はどんな機械であれ芸術を理解できるはずがないとという固定観念の元、私達、ひいては博士へ不当な評価を下しています。それをただ引き下がって認めるのは『悔しい』」

「それなら」



 賛同を得て迷いがなくなっていくエクスの声に、スィードはええ、と負けず力強い肯定を返します。



「彼の意識を変える。その先に感情の素晴らしさがあるかは不明ですが、これを私達にとって初の能動的な行動の指針にしましょう」





 ※     ※     ※






 翌日、ドーム一帯に薄い雲が掛かる空の下、エクスはトレムマンの楽器屋から少し離れた小太刀の影に立っていました。その足元にはぼろぼろのケースも置いてあります。

 カメラを望遠モードに設定して、時折訪れる決して多いとは言えない来客の度、僅かな時間だけ外に出てくるトレムマンの顔を、エクスは一瞬たりとも逃さずに記憶回路に焼き付けていきます。

 昨晩から今日の朝までスリープモードに入る休むことなく続けられたスィードとの話し合いの結果、先ずはトレムマン本人の情報を集める事が肝要と判断し、エクスはもうかれこれ3時間同じ姿勢のままでいます。

 しかし当然というべきか表情だけでは具体的な情報は得られず、無作法と自覚しつつマイクの指向性と感度を上げて客との会話を拾おうにも、トレムマンの言葉少なな性格が災いし、やはりこれといった手掛かりを得ることは出来ないでいました。

 何の進展もないまま、ただ時間だけが過ぎていきます。焦るエクスが木立から身を出して店へと足を踏み出そうとした矢先、突然後ろから声が掛かりました。



「午後から雨だって。プレーンスキンだと危ないよ?さん」



 記憶回路に残っていたその声紋パターンにエクスが振り返ると、そこには昨日、エクスへヴァイオリンの演奏を披露した男性が立っていました。何度もせがんだエクスを揶揄するそんな呼び方とは裏腹に、彼の声は物珍し気ではあるものの、明確な敵意がある訳ではありません。


 

「昨日はありがとうございました。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」



 新たな人間との新たな交流。残る昨日の苦い経験から、その予期せぬ始まりに躊躇ためらいが無かった訳ではありません。しかし彼の柔和な声色も手伝った事もあり、どうにか昨日のお礼と謝罪を述べることが出来たエクスへと、彼は笑いながら手を横に振ります。



「あの時は演奏会帰りだったから疲れてただけ。あれだけアンコールをせがまれるのは、演奏家冥利に尽きるってもんさ。それに――」



 彼はそこで一度言葉を切り、しげしげと眺めながらエクスのまわりを一周し終えると、今度は辺りを見回して、何かを確認したように一度頷きました。



「仕事柄ちょっと君に興味が湧いてさ……近くに所有者はなし、か」



 沈黙の前後でがらりと口調を変える彼に、エクスは少しだけ警戒を取り戻しながら訊ねます。



「貴方は演奏家ではないのですか?」

「だといいんだけどねえ。生憎そっちは趣味、普段は弟とエンジニアやってるよ」



 問いかけるエクスに苦笑を返した彼が、少しだけその眼の輝きを強め、すっと息を吸い込みました。



「君、OS弄られてるでしょ。それも相当高度……ってか、まだ実用化どころか発表すらされてないレベルで」

「何故それを?」

 一瞬で核心を付いてくる彼の瞳から逃げるように、エクスは目線を足元に落とします。しかしその動きが却って確信を抱かせたようで、彼は感嘆の声を上げて、ずいとエクスに一歩近づきました。

「やっぱり!昨日の反応込みで、君が外に出ているのに行動目標が設定されていないのは一目で分かるし、通常イエスかノーかで答えられる質問に、視線を外すというアクションは伴わない。

「貴方は一体」

「言ったろ、エンジニアだって。もしよければ、少し話を聴かせてくれないか?」



 彼の提案を受けるか否か、その裏に悪意が潜んでいないか、相談相手であるスィードがいない事もあってなかなか決断できないエクス。

 しかし彼にとってはそんな反応も新鮮なようで、悩むエクスをつぶさに観察しています。やがてその視線が足元に向き、彼は初めて地面に置かれていたボロボロのヴァイオリンケースに気付きました。



「もしかして、昨日と今日の君の行動は、こいつが関係してるとか?」

「それは……」



 指を指して訊ねる彼に、今度は別の理由で言い澱むエクス。彼は暫く顎に手を当てた後、何かを思いついたようによし、と声を上げました。



「こうしよう。君が話を聴かせてくれるなら、俺も君の悩みに協力するってのどうだい?どうやらトレムマンさんの所には行きたくても行けない理由があるみたいだし、そいつも込みだ。悪い話じゃないだろ?」

 


 思わぬところに渡来した助け舟に、予期した僅かなリスクとの天秤が傾いて首を縦に振るエクスを見て、彼は満足そうな笑顔を浮かべます。



「決まりだな。そろそろ雨が降るから場所を移そうか」



 その一言を合図に歩き出そうとた彼が、不意に何かを思い出したように、踏み出した足をぴたりと止めす。



「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。君の事は何て呼べばいい?」

「エクス」

「エクス、か。俺はテンデット・P。テンデットって呼んでくれ」

 


 初めてスィード以外の、それもれっきとした人間に名前を呼ばれた。ただそれだけのことがエクスのこころに、不思議とどこか暖かい欠片を落として行きます。



「はい。宜しくお願い致します。テンデットさん」

「せっかくなら堅い口調も直せばいいのになー。デフォで設定し直さなかったのか?」

「努力いたします」

「それだよそれ。OS組み変えできるほど優秀なんだろ?君の所有者は」

「いいえ、実は――」



 歩きながらそんなやり取りをしつつ、エクスとテンデットは近くの喫茶店へと入っていきました。

 

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