第129話 杞憂
「杞憂だよ。何もかも……」
レルムは呟くようにもう一度そう言って、クルーに背を向け窓辺に立った。
まだ陽は高い。レルムが城に戻ってきたのは昼前だった。高く昇った太陽の光が降り注ぎ、木々の間から暖かな木漏れ日が地上に降り注いでいる。
レルムが見下ろしている城門の向こうには、城下に住む人々が自由気ままに日々の生活を楽しんでいる姿が見えた。皆、とても楽しそうに笑い合っている。
リリアナももしかしたらあの中の一人だったら、今のように悩む事もなく多くに縛られる事もなかっただろう……。
ぼんやりと遠くに見える彼らの姿を見つめながら、レルムは浅くため息を吐いた。
そんなレルムの背中を見ていたクルーは、眉間に深い皺を刻み睨みつける。
「何が杞憂ですか。現にあなたは……!」
必死になって訴えかけてくる彼に、レルムはゆるゆると首を横に振りその言葉を遮った。
「私は自分が孤独だと思ったことはない。パティの心配もお前の気にしている事も、全部がただの杞憂でしかないよ」
「なぜそんな……っ!」
ゆっくりと振り返ったレルムの表情に、クルーは思わず口を噤んだ。
レルムは力なく微笑んでいるが、すでに決めた事を覆すつもりはないと言う断固とした決意が目に表れている。
そんな目を向けられては、それ以上何が言えるだろう。クルーはぎゅうっと拳を握り締め、下唇を噛む。
悔しげに眉根を寄せる彼の姿を見て、レルムは短いため息を吐き彼の方へ真っ直ぐに向き直った。
「私にはお前達がいてくれる。だからお前達が考えるような孤独を感じる事は一度たりともなかった。充実した毎日を送れていると実感している」
この言葉は嘘ではない。本心からそう思っている。だが、目の前に居るクルーにはこの言葉がどうにも信じられないのか困惑気味に首を横に振った。
「レルム様……。俺達が言いたいのはそう言うことじゃなくて……」
クルーが言いたい事も分からないわけじゃない。こちらの事を本気で心配してくれているのだろうという事は、黙っていても伝わってくる。
そして何よりも、彼らが自分達の味方でいてくれる事に素直に喜びを感じられた。
「お前やパティの気持ちは正直にとても嬉しいよ。心から感謝している。ありがとう」
笑みをその顔に湛えたまま、レルムは僅かに視線を下げて机に近づく。そして沢山ある封書の中から白い封書を一枚手に取り、何も言わずにそれをクルーに手渡した。
訳も分からず差し出されるままに手紙を受け取ったクルーは、困惑しながらレルムを見ると同時にポンと肩に手を乗せられた。
「昼食を簡単に済ませてくる。お前も部屋に戻り明日に備えろ。これから忙しくなるんだからな」
「……」
レルムはそういい残して部屋を出て行った。
残されたクルーは何もいえないままレルムを見送り、そして緩慢な動きで無造作に手渡された封書に目を落とした。
そこには、「レルム・ラゾーナ様」と書かれただけの真っ白な封書だった。なぜ、彼宛に届いている手紙を自分に手渡してきたのか訳が分からない。
封を切ってもいない手紙を開けることもできず、クルーはその手紙を机に戻そうとして何気なく裏返してみた。
「……っ!」
クルーは封書の裏側を見た瞬間、驚いたように目を見開いて動きが止まる。そしてその視線を上げると、もう一度レルムの立ち去った方へ巡らした。
「レルム様……」
手紙をぎゅっと握り締め、慌ててレルムの後を追いかけるように勢い良く部屋の扉を開き外へ出た。
「慌ててどこへいく?」
「え……」
追いかけようと思って部屋を飛び出した直後、背後からかけられた言葉に驚いて振り返ると、そこには腕を組んだまま壁にもたれかかりこちらを見ていたレルムと目が合う。
クルーは咄嗟に手にしていた手紙を突きつ返しながら、視線を下げ今まで必死だった自分の事を思い返して恥ずかしくなりながら口を開いた。
「お、俺はてっきり、本気で諦めるのかと……」
突き戻された手紙を受け取りながら、レルムは小さく笑う。そして手紙を見下ろしながらハッキリと告げる。
「“諦める”なんて、一言も言ってないだろう? 私は、“リリアナ様自身が選んだのならそれに従う”としか言っていない」
顔を上げてふっと表情を緩め微笑むレルムに、クルーは苛立ちのような安堵したような、複雑な気持ちに囚われる。
豆鉄砲を食らった鳩のように、拍子抜けしてしまっている彼の姿を見たレルムはクスッと笑った。
「お前は昔から、そそっかしい奴だな」
意地悪そうに笑うレルムの顔を見た瞬間に、ようやくそれまで気が張っていたものが緩んだのか、体から力が抜けた。
肩を落とし、ニコニコと笑うレルムを見ながら前髪をかき上げて浅く息を吐き、クルーは引きつったような笑いを浮かべる。
「……レルム様。人が悪いですよ……騙すだなんて……」
降参したかのように脱力して呟くクルーを前に、いたずらっ子のようにレルムは笑った。
「すまない。お前があんまりにも必死だったから、少しからかってみたくなったんだ」
クスクスと心底おかしそうに笑うレルムを見て、クルーはまた彼の新たな一面をみた。同時に、少年のような姿を見せてくれるほど、自分に打ち解けてくれているのだと思うと嬉しくもあった。
普段のレルムからは到底考えられない、冗談やいたずらをするような人だったと思うと急に親近感さえ感じてしまう。
こんな一面を引き出させたのも、やはりリリアナがいたからこその物なのだろう。
ひとしきり笑った後、レルムは真っ直ぐにクルーを見詰め柔らかくも真剣な表情で感謝の言葉を伝えてくる。
「お前が私の味方でいてくれると知って、嬉しかった。心から感謝する」
その言葉に、クルーもようやく自然体でレルムに向かい合いニッコリと微笑み返した。
「いえ。俺ごときがどれだけ力になれるか分かりませんが……」
「……いや、助かるよ。ありがとう」
レルムにとって、自分の右腕として動いてくれているクルーが味方で居てくれる。ただそれだけでとても心強く感じられた。
手にしていた手紙を改めて見下ろしたレルムは、きゅっと目を細めてその手紙を握り締める。
その裏には差出人の名前が書いていなかった。だが、代わりにただ一言、メッセージが書かれていたのだ。
――私を浚いに来て下さい。
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