第128話 諦め
リリアナ結婚の報告を受けたレルムは、思いの他落ち着いている自分に驚いていた。
なぜ自分はこんなにも落ち着いているのか。
あぁ、そうだ。覚悟が決まったからだ……。だからこの報告を受けてもほとんど動じていないのだ。
レルムはそう実感しながら靴音を響かせて報告書を手に謁見の間へと向かうと、玉座に腰を下ろしていたガーランドとポルカの前に跪く。
「レルム・ラゾーナ。ヴェリアス王国よりただいま戻りました」
「うむ。ご苦労であった。面を上げよ」
「……」
下げていた頭をゆっくりと上げると、久し振りに見るガーランドの表情は血色が良く見るからに機嫌が良い。それにくわえて、ポルカはやや硬い表情でこちらを見下ろしていた。
「ヴェリアス王国での報告書をまとめたものをお持ち致しました」
「あい分かった。ではその報告書は後で目を通すとしよう」
ガーランドの指示で、傍に控えていたバッファがレルムの傍に歩み寄ってくる。レルムはバッファに報告書を手渡すと、父はふっと笑みを浮かべ「よく戻ってきた」と小さく言葉をつけ添える。
「して、レルム。お前にこちらから報告する事がある。実はリリアナの結婚がこのたび決まったのだ」
「さようでございますか。それはおめでたいお話で……。して、王女様のお相手と言うのは……」
レルムはまるで初めて聞いたかのような素振りでそう訊ね返すと、ガーランドは彼の態度に満足そうに微笑みながら頷いた。
「うむ。そなたも知っておるだろう? わが国と同盟を組む、西大陸のアシュベルト王国のロゼス王子だ」
「ロゼス王子……。しかし、王子はアシュベルト王国の王位継承者では?」
すっと目を眇め、そ知らぬ顔でそう訊ね返す。
ガーランドはゆったりと椅子の背もたれに背を預けながらにやりと微笑んだ。
「その事なら心配は要らぬ。継承権は弟に譲渡するとすでに話はまとまっておるそうだ。自国を捨て、王座を捨ててまでリリアナとの結婚を望む……大した男だと思わないか?」
「……えぇ、まことに。王子であれば、デルフォスをきっと今以上にすばらしい王国に導いて下さる事でしょう」
「そうだろう? わしも鼻が高い。これでこの国も安泰だ」
レルムはふと目元を緩めて微笑むと、ガーランドは更に上機嫌な様子を見せた。しかし、ポルカは膝の上に添えるように置いていた手に僅かに力が入る。
「婚儀は、あの子の花嫁修業が明ける4ヵ月後。修行から戻った翌日に挙式を執り行う手筈になっておる。そなたもそれに向けて大いに励めよ」
「仰せのままに……。では、失礼致します」
頭を下げたレルムは、そっと瞼を閉じる。
大丈夫だ。まだ心はそれほど波だってはいない。
そう確かめるように内心呟いた自分に、思わず苦笑いが浮かぶ。
腹に据えるとここまで冷静でいられるものなのだろうか……。確かに戦の時も、いつも心は凪いでいた。
ゆっくりと頭を挙げ、くるりと背を向けて謁見の間を出るとレルムはふっとため息を吐く。
リリアナが戻った翌日には、挙式。なんとも慌しい事だ。それまでの間に、自分は自分にできる事をするだけのこと。
レルムはすっと前を見据え、自室に向かってゆっくりと歩き出した。
「レルム様……」
自室へ戻ってきたレルムが、扉に手をかけようとした瞬間ふいに声をかけられてそちらを振り返った。するとそこには、いつかのようにクルーが難しい表情をしたまま立っていた。
「クルー……」
扉からかけていた手を離して彼へと向き直ると、クルーはきゅっと口を引き結びレルムの前に歩み寄ってきた。
「少し、お話したい事がございます」
「……リリアナ様の事だろう?」
目を細めて見つめてくるレルムの表情に、クルーは思わず眉根が寄る。
「いえ……。でも、全く無関係ではないんですが……」
「そうか。なら、ここで話すのはマズイな。中に入れ」
促されるままにクルーはレルムの部屋へと招き入れられる。
レルムはすぐにマーヴェラの頭をそっと撫で、いつも腰を下ろす職務机に着くと自分に宛てられた手紙の数々を手に取った。
遠征に出ている間に、紐で束ねられるほどの手紙の束がいくつも机の上に置かれている。その一つを紐解き、宛名を見ながらおもむろに口を開く。
「……。それで、話とは?」
「はい。もうすでにご存知だと思いますが……」
「……リリアナ様の結婚の事なら、もう聞いたよ」
レルムは見ていた白い封書から視線を上げて軽く微笑むと、クルーの言葉を遮る様に口を挟んだ。
「……もういいんだ」
「え……」
思いがけない言葉に、クルーは驚いたように目を見開く。
まるで諦めたかのような「もういい」と言う言葉に胸がざわめいた。
あれだけリリアナの事を想っていたはずなのに、こんなに簡単に諦めてしまうつもりでいるのだろうか?
「もういいって……」
「覚悟は決まっている」
「それは、どう言う……」
「リリアナ様自身が選んだのなら、私はそれに従う他、道はないだろう?」
「……」
クルーは、自分でも思いがけないほどレルムがリリアナへの気持ちを簡単に諦めてしまっている事に、心底愕然としてしまった。
自分が今聞いた言葉が信じられなくて、思わず視線が泳いでしまう。
あんなにも穏やかな表情をしていたレルムが、また以前のようなまるで心が読めない状況に戻ってしまっている。
「……本当に、それで良いんですか?」
「どうした? お前らしくない言葉だな。お前は私とリリアナ様との仲を反対していたじゃないか」
手にしていた手紙を机の上に置き、レルムは困ったように微笑むとクルーはぎゅっと拳を握り締めた。
「確かに、少し前まで俺はお二人の仲を反対していました。でも、今は違う。俺はお二人の味方でいようと思って……」
「誰に言い包められたんだ?」
間髪を入れないその問いかけに、瞬間的にクルーが怯んだ。
「い、言い包められた……?」
「そうだろう? あれだけ反対していたお前が、なぜ急に私達の味方になろうと思ったんだ?」
睨むように見据えられ、クルーは眉間に皺を寄せながらぐっと口を引き結ぶ。しかし、握っていた拳を更にきつく握り締めると、クルーは負けじとレルムを見つめ返した。
「確かに、リリアナ様をレビウス修道院へ送って行った日の晩にパティさんとお話をさせて頂きました。でもお二人の味方でいると決めたのは、俺の意思です」
「……なぜ?」
「なぜって……。あの日のレルム様がとても穏やかで満たされた表情をされていたから」
「パティに、何か言われたんだろう?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくるレルムに、クルーは次第に苛立ちを覚えてき始める。
どうして彼は本当に好きな物を、ようやく心穏やかになれるものを見つけたと言うのに、それを簡単に諦めようとするのか。
以前のように心の読めない孤独に取り付かれた総司令官に戻って欲しくない一心でクルーは口を開く。
「パティさんはあなたを心配していました! 孤独の中で戦っているあなたを、いつも気にかけていて……」
「……杞憂だ」
レルムは冷静さを保ったまま、ふぅっと息を吐き席を立ち上がった。
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