第112話 小さな一歩

 城下に降りたリリアナとドリーは、色々な店を見て回っていた。

 ドリーの行きつけにしているお花屋さんや雑貨店。そしてお気に入りの紅茶が飲める喫茶店。美味しい焼き菓子のお店など、ありとあらゆる場所を巡ってみる。

 リリアナにしてみれば、とても久し振りに接する人との距離感がとても懐かしいものがあった。

 自分も昔はよく村の人と他愛ない話をしたり自由に買い物をしたりしたが、今ではそれが出来ない事が少しばかり残念に思った。

 ぼんやりとそんな事を考えながら、リリアナはふと気になった事があった。

「ねぇ、ドリー……」

 リリアナは前を行くドリーに声をかけ、どこか落ち着かない様子で口を開く。

「今更だけど、あたし王女様ってバレてないかな……」

 城下に降りてから一度も騒ぎ立てられていないところをみると、まだバレていないという事だろう。だが一度バレてしまったらどうなるのだろうか。よもや、混乱を招くような騒ぎになったら気分転換どころの話ではなくなる。

 突然そんな事を言い出したリリアナに、ドリーは目を丸くするも、すぐにクスクスと笑って応えた。

「大丈夫ですわ。もう皆とっくに気付いてますもの」

「そ、そうなんだ……って、えぇ? 気付いてるって……」

 慌てふためきながらドリーを見ると、彼女はニコニコと微笑みながらこそっと耳打ちをしてくる。

「あそこの角にいる人と、あの店でお茶を飲んでいる人と、それからあの人とあの人……。それにあの店の店主も。皆リリアナ様の存在に気付いていますわ。でも、多くのお供もつけず普段着で城下に降りてきているという事は、お忍びだって事を理解して遠慮してるんですわ」

 そう言うドリーの言葉に、この国の城下の人間は良く出来た人たちなのだと気付かされた。

 先ほどまで立ち寄った店の店主やお客さんも、実は自分の存在に気付いていながらも騒ぎ立てないよう配慮してくれていたのだ。

「……そっか……皆、優しいね」

「えぇ、そうですわね。でも、必ずしもそう言う人たちだけではありませんわ。いくら治安が良い国でも、影では誘拐などを企む者も必ずいるものですわ」 

 ドリーはぐっと声を落としてそう忠告する。

 誘拐……。そう考えるとぞっとするものがあった。だからこそ、そう言う輩に気付かれないよう、あえて見て見ぬ振りをして普通に接してくれる城下の人々に感謝だ。

「では、お菓子も買いましたし、少し公園で休みましょう」

 持ってきたバスケットには、いつの間にか城から持参していた暖かな紅茶の入ったポットと、先ほど店で買ったクッキーやチョコレートなどのお菓子が入っている。

 ドリーに促されてやってきた公園は人影が少なく、国全体が一望できるとても見晴らしの良い場所だった。

「凄い綺麗……」

「ここはデルフォスの誇る国営公園ですわ。あまり大きくはありませんけれど、自然をそのままに残してる公園で、いつ来ても静かな所なので、私のお気に入りなんですのよ」

 そう言いながらドリーはテーブルクロスを引き、バスケットからポットとお菓子をベンチに広げる。その間、リリアナは目の前に広がるデルフォスを見つめていた。

 決して大きいとは言えない王国。それでも今この場所から見渡す世界はとても広くて、城の中に留まっていては絶対に知ることは出来なかっただろう。

 この景色。レルムと一緒に見られたらどんなに綺麗だろうか……。

 ぼんやりと景色を眺めながらそんな事を思っていたリリアナの前に、淹れたての紅茶のカップが差し出される。

「どうぞ」

「あ、ありがと……」

 手渡されたカップはじんわりと暖かい。その暖かさが、体の緊張を解いていくようだった。

「……それで、何があったのかお聞きしても、構いませんか?」

 ふと、ドリーがそう訊ねてくる。その言葉に思わずドキリとしたが、リリアナは胸の奥にある渦巻いた思いを誰かに聞いて貰いたくて仕方がなかった。

 手にしたカップの紅茶を見つめながらリリアナはしばし考え込んでいたが、おもむろに口を開く。

「あの、ね……」

 ポツポツと昨日の事を話し出したリリアナに、ドリーは静かに耳を傾けていた。

 リリアナは自分の仕出かした失態について語っているうちに、忘れかけていた痛みと悲しみを思い出していつしかポロポロと涙を流してしまう。

「あたし、ほんと馬鹿だよね……。何で疑ったりしたんだろ……。プリシラに言われたからって、レルムさんを想う気持ちは嘘じゃないのに」

 あふれる涙を拭いながら自嘲気味に笑うと、ドリーはふっと息をついた。

「リリアナ様のお気持ち、良く分かりますわ」

「え……?」

「それはごく普通の事なんだと思いますわ。恋愛って、普段から相手が自分をどう思っているか分かっているけど、でもふとした折に、もう一度安心したくて確かめたくなるものですわ」

 流れる涙を拭いながらドリーを見ると、彼女はニッコリと笑いながら力強く励ましてくれる。

「ですからそれで良いんだと思いますわ。だって、それだけリリアナ様はレルム様の事を心から好きだって言う証明になるんですもの」

「ドリー……」

「確かに、少し確認の仕方は失敗だったかもしれません。でも、お互いがお互いを想い合っている事は、ずいぶん前から証明されている事じゃないですか。レルム様の想いがつまったそのペンダントが、何よりの証拠です。だから、自信を持っていいと思いますわ」

 彼女の言葉にとても勇気付けられた。こんな話はやはり最初から事情を知っていて、腹を割って話せる相手にしかできない事だ。

 一人で打ちのめされて落ち込んでいる中、こうして一日だけでもドリーが傍にいてくれる事が、この日ほど有難いと思ったことはないかもしれない。

 恋愛経験の浅いリリアナにとって、ドリーはすばらしい先輩だと言えた。

「ありがとう……。ちょっと元気出た。今日ドリーが来てくれてほんとに良かった」

「私も、リリアナ様の相談に乗れて光栄ですわ」

 彼女こそ、唯一無二の親友と呼べる人だろう。こんなすばらしい人に出会えた事を、リリアナはとても嬉しく思った。



 その晩。

 心配をかけた両親の前で食事をする事に躊躇いを感じたリリアナは、明日からは食堂で食べる事を前提に、ドリーに頼んで今日は自室で食事を済ませた。

「リリアナ様。可能なのでしたら、もう一度きちんとレルム様とお話をして下さいね?」

 全ての職務を終えてまた謹慎生活に戻らなければならないドリーの忠告に、リリアナは素直に頷き返した。

 ドリーからの後押しも手伝って、リリアナはすぐにでも行動に移すつもりだった。いや、正確にはこの勢いに乗らなければ、話し合うきっかけを掴むことが難しいような気がしている。

 少しでも早い内にレルムに会って謝りたい。謝ってもう一度きちんと自分の気持ちを伝えたい。

 ドリーに勇気づけられ再び湧き上がったレルムへの気持ちに、リリアナはまた周りの目を盗んで部屋を出た。

 昨夜と同様に周りに注意を払いながら兵士塔へ来たリリアナは、急ぎ足でレルムの部屋へと駆けていく。そして彼の部屋の前で乱れた呼吸を整え、一度大きく深呼吸をするとドアをノックした。

「……あれ?」

 もう一度ノックしてみるが返事がない。もしかしたらどこかに出かけているのだろうか?

 リリアナは意気込んできた気持ちが僅かに萎えて、深いため息を漏らす。

「……今の勢いだったら、言えたのにな」

 ボソッと呟いて落胆し、部屋へ戻ろうと来た道を戻り始める。その時、閉じられたドアの向こう側から引っ掻くような音が聞こえてくる。その音に顔を上げて振り返り、ドアの前に立った。

 カリカリと忙しなくドアの下の方から掻く音が聞こえ、リリアナはその場にしゃがみ込んだ。

「……マーヴェラ?」

 静かに声をかけると、一瞬引っ掻く音が止まる。だがすぐに先ほどよりも激しく掻く音が聞こえてきた。まるで「ここを開けて欲しい」と言わんばかりだ。

 リリアナは緊張した面持ちで立ち上がると、そっとドアノブに手をかける。そしてゆっくりとドアを開けると、中からマーヴェラが勢いよく飛び出してきた。

「うわっ……!」

 リリアナはマーヴェラに突き飛ばされるようになり、その場にしりもちをついてしまう。

 もしかしたら開けてはいけなかったのでは……と一抹の不安が過ぎるも、マーヴェラは思いがけず、リリアナの胸に飛び込んでしっかりと抱きついていた。

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