第108話 突然沸いた疑念
「あなた馬鹿なんじゃないんですの? お人好しにもほどがありますわ」
相変わらず包み隠さないストレートな罵倒に、リリアナは思わず苦笑いを浮かべた。
今日はリリアナにとって久し振りの休暇日。たまの休暇はのんびり過ごしたいと思っていたが、この日は以前から予定を組まれていた通り、ヴァレンティア王国からプリシラが訪ねて来ていた。
自室に招いて、召使の入れてくれたお茶とお茶菓子を前にリリアナはマーヴェラの事を話していた。
「分かってるよ……。でも、普通好きな人の助けになりたいって思うでしょ?」
たまの休暇ぐらいゆっくりさせて欲しい。などと言えるはずも無く、リリアナは眉根を寄せてふてくされたように口を尖らせながらそう言うと、プリシラは更に深い皺を眉間に刻み呆れたと言わんばかりにこちらを見つめてくる。
「それでも、その子の世話をするなんて、あなたには何のメリットもないじゃありませんの」
「メリットとかデメリットとか、そんなの関係ないよ。あたし、そう言うのは別にどうでもいいの。だけど、困ってるなら助けてあげたいじゃない」
損得勘定などまるで考えたことなど無い。それも時として大事だとしても、そんな事を考えてばかりいては上手くいくものも行かなくなる。そう思って反論すると、プリシラはますます怪訝な表情を浮かべた。
そんな、自分の感情に素直であまりにズバズバと物事を語るプリシラだが、ドリーがいない以上今は母以外にこの手の相談ができる唯一の人だ。当然、その恋愛の相手が誰なのかまでは話せないのだが……。
大袈裟なほど大きなため息を吐いて眉間に手を当て、ゆるゆると首を振る彼女のしぐさは心底理解できないと言っていた。
「あなたの想いを寄せるお相手が、元婚約者が育てようとしていた子を引き取って育てるだなんて……。そもそも、お相手の方は結局のところ、まだその婚約者の事が好きだという事なんじゃありませんの?」
思いがけないその言葉に、リリアナはドキリとし何故か鼓動が早くなる。
「そ、それは、無い……と思うけど……」
「絶対に? 言い切れますの? あなたの事が好きだという事は簡単ですわ。でも、結婚の約束までしていた相手がいて、その方が手の届かないところに行ってしまったと言う事は、未練の一つや二つあっても不思議じゃありませんことよ?」
無い、と完全に言い切れない自分が何だか歯がゆい。それに、プリシラが言う事も無いとは否定できない。実際のところ、そこまで考えてみた事がなかった。
ただ、誠実な彼の言葉に嘘は無いと全てを信じてここまできた。プリシラの言う、その事まで追求するほど頭が回らなかったのは恋愛に疎いからだろうか。
「男性の方なんて、意外と未練がましく長く尾を引くものですわ。それが結婚の約束までしていた女性ですもの。尚更ですわ。だから彼女が育てようとしたその子供の面倒をみようだなんて思うのだわ。そうでなければ、他の誰かに預けるなりなんなりするはずですもの」
「それは、彼の責任感の強さから来るもので……」
ドクドクと不安に鳴る胸の音を聞きながら必死になってプリシラの言葉に反論をすると、彼女はこちらを馬鹿にしたような目でちらりと見てくる。
「……あなた、本当に男性とは何たるかをご存じないのね」
「じゃ、じゃあプリシラは分かるの?」
「ま、まぁ、そりゃあね。これでも人並みに恋愛はしてきましてよ? ……全てフラれてしまいましたけれど」
フラれてしまった。その部分を呟くようにゴニョゴニョといい含むプリシラを見つめ、リリアナはこれまでぶち当たった事の無い不安に襲われる。
確かに、彼女の言う言葉にも一理ある。レルムの事を疑うわけじゃないのだが、それでもあまり彼について深く追求して来なかっただけに、彼女の事をまだ想っているのではないかと思うと不安になった。
もちろん彼が嘘を言う人じゃない事は分かっている。とても誠実で、時々ふとした時に意地悪を仕掛けてくるほど心を許してくれているのだと言う事も。なのに、彼女の言う言葉一つ一つが激しく心を揺さぶり続け、これまで揺るがなかった立ち位置が突然ブレ始めたような気がした。
そんなリリアナに対して、プリシラは止めを刺しにやってくる。
「あなたが完全に逆上せ上がってるだけに、実は彼にとって良いように使われているだけかもしれませんわ」
「そ、そんな事ないよ……たぶん……」
「たぶんとかそうだと思うとか。あなた、さっきから言ってる事があまりに歯切れが悪くて、結局は自分に自信がないじゃありませんの」
自分に自信が無い。ズバッとそう言われると胸に刺さるものがある。
自信が無い……。そうだ。確かにそうかもしれない。だからあえてレルムの深い部分に踏み込もうとも思わずここまで来た。
すっかり黙り込んでしまったリリアナに、プリシラはハッとなって「また悪い癖が出てしまった……」と言わんばかりに目を泳がせる。
プリシラは扇子で口元を覆い隠し、慌ててフォローの言葉をかけてくる。
「ま、まぁ、これはわたくしのただの憶測ですから、必ずしもそうだとは言い切れませんけれど」
「……」
苦し紛れのフォローにしか聞こえないかもしれない、と、プリシラは恐る恐るリリアナを見た。
リリアナはそんな彼女の精一杯のフォローすら耳に届かず、一人で悶々と考え込んでしまう。
あまりに相手を信じすぎていたのだろうか? まだ、レルムがリズリーに未練を感じているなんて事があるだろうか?
リズリーとの過去を清算したと言った事はある。そしてポルカにも問いただされて応えた「何ものにも代えがたいただ一人の人」と言っていた事もある。
いまさら、何でこんな気持ちになるのだろうか? 「好き」と言われた事もないわけじゃないのに、その言葉がもしも上辺だけのものだったとしたら?
そう考え始めると次々に不安が生まれ、疑念へと生まれ変わる。
信じているはずなのに、プリシラの言葉一つで突然彼の事を信じられなくなってしまった自分に酷く動揺し、リリアナは何も言えずに黙り込んでしまった。
結局その後、プリシラとの会話もろくに楽しめないまま時間だけが過ぎていった。
そしてその日の夜。リリアナは寝る支度を整えて、ベッドに一度は横になったものの昼間のプリシラの言葉が頭にこびりついて離れず寝付けなかった。
ベッドサイドのカーテンの隙間から覗く月を見つめながらぼんやりとしていたが、のそりと起き上がると寝室を出た。
部屋の中は静まり返り、今日は窓もしっかりと閉じられているせいでカーテンが揺れる事も無くシンとしている。
リリアナはソファに腰を下ろし、深いため息を一つ吐いた。
「……なんでこんな気持ちになっちゃうんだろう。レルムさんの事、信じてるはずなのに……」
相手の事を疑ってかかってしまっている自分の気持ちが恨めしく思う。だが、一度そう思うとその考えから抜け出せなくなってしまった。
こんな気持ちのままで彼に会ってまともに話をする事ができるのだろうか?
「自分に自信が無いなんて、あんなに面と向かって言われたの初めてだな……」
今はもうこの世にはいないリズリー。その彼女に未だに嫉妬してしまうのは、彼女が亡くなる間際に呟いた「レルムの記憶に留まる」と言う事が成功しているからだ。成功しているからこそ、未だに彼女と関連がある事に不安と嫉妬を感じている。
レルムの言葉に偽りはないともう一度確認したい。もう一度確認すれば、きっと自分は大丈夫だと自信が持てる。そして、彼を心から信じられるに違いない。
リリアナはキュッとした唇を噛み、いけない事だと知りながらも立ち上がるとそっと部屋を抜け出してレルムの部屋へと向かった。
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