第107話 タイミング
スンスンと鼻を鳴らしながら、カーテンから顔を出したマーヴェラは用心深くこちらの様子を伺ってくる。そしてそろそろとカーテンを離れ、少しだけリリアナの傍に近づいてきた。
そんな彼女を黙って見つめていたリリアナは「やっぱりそうだったんだ」と確信に近い思いを抱くも、今はじっと耐えて彼女が傍に来るのを待った。
ジリジリと近づいてくるマーヴェラを見ていたレルムもまた、リリアナの言った言葉が本当だったのかもしれないと思った矢先、部屋のドアがノックされた。するとマーヴェラはビクリと体を跳ね上げ、カーテンの裏へと素早く戻ってしまう。
「あぁ~……もうちょっとだったのに……」
思わずそんな言葉が零れ、リリアナはため息を一つ吐く。
「リリアナ様、申し訳ありませんが少しこちらでお待ち下さい」
「え? あ、はい」
ここで待てと言われ、座り込んだまま顔を上げたリリアナは訳も分からず頷き返すとレルムは扉に向かって歩き、扉を少し開けて応対に出た。その彼から再びマーヴェラを見やると、彼女は眉をひそめたままこちらを窺っている。
今日はこれ以上の進展はないかもしれない。むやみやたらに迫れば、余計に避けられてしまうのがオチだ。
そう考えたリリアナはもう一度ため息を吐いてその場に立ち上がりドアの方を振り返ると、レルムの立っている向こう側に部屋を訪ねてきたクルーの姿があった。
「あ……」
思わず声をかけそうになったが、咄嗟にぎゅっと口を押さえる。
王女が従者の部屋にいるなど、あってはならないことのはず。うっかりにも今自分がここにいることがバレれば、怪しまれる事は必然。
リリアナはすぐ傍にあったテーブルの影にこそこそと隠れ、クルーが立ち去るのを待つ。
レルムがあまりドアを開けることなく、背中で隠してくれているのは分かっているのだが、それでも見つからないと言う保障は無い。
二人の会話は聞こえない。あまり大きな声で話すような事ではないのかもしれないが少しは気になる。だが、そろそろレッスンの時間が迫っている事の方が気がかりだ。
(そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ……)
モーデルにまた怒られる……。
ヒヤヒヤしながら待っていると、本当はそんなに時間は経っていないのにかなりの時間を待っているような感覚になっていく。
テーブルの影から入り口を覗き込むが、話は事の他長引いているようだった。
(一体何の話をしているんだろう?)
気になりはするがまさか盗み聞くわけにも行かず、リリアナはただじっとこの場所で待つしかない。
来るタイミングを完全に間違えてしまった。なぜこの朝一にここに来てしまったのか。この後の予定はギュウギュウだと言うのに……。
そんな事を後悔しながら、早くクルーが立ち去ってくれることを祈りつつレルムの後姿を見つめた。その時、ふと自分の傍に気配を感じて咄嗟に振り返ると、知らぬ間に近づいてきていたマーヴェラが飛び上がり大急ぎでまたカーテンの後ろに逃げ込んだ。
「……マーヴェラに手を焼いているようですね」
ふいにクルーのそんな言葉が耳に飛び込んでくる。
リリアナは更に身を小さくして表立って見えないよう気配を消した。そうしながらカーテン後ろのマーヴェラへ視線を向けると彼女も自分と同じような事をしていることに気付き、思わず笑ってしまう。
「ふは……っ」
思わず声を出してしまった事に慌てて口を塞いで振り返ると、いつの間にか話を終えて戻ってきていたレルムと目が合った。
「どうしたんですか?」
「へ? あ、お話終わりました?」
「えぇ。少し込み入った話になってしまってすみません。そろそろ戻られた方が……」
「はい。そうですね。じゃあ、また来ます」
リリアナは慌てて立ち上がると、パタパタとその場から駆け出して部屋を後にする。
レルムはそんな彼女の後姿をふっと柔らかな笑みを浮かべながら見送った。
忙しい身でありながら、一生懸命にマーヴェラと向き合おうとする彼女の存在はとても逞しく、力強く思う。
そっと扉を閉め、後ろを振り返ろうとするといつの間にかマーヴェラが自分の傍にいてズボンの裾を握っていた。
「マーヴェラ……」
彼女を覗き込むようにその場にしゃがみ込んだレルムは、マーヴェラの頭を撫でる。すると彼女は目を閉じて甘えるように顔を擦り付けてきた。
「私も頑張らなければな……」
ため息混じりにそう言うと、マーヴェラは閉じていた目を開きじっとレルムの顔を見上げてきた。そして小さな口を開く。
「ムー……」
「……っ」
今まで一度も言葉らしい言葉を口にしなかったマーヴェラに、レルムは驚きを隠せない。
突然の事に呆然としていると、彼女は無表情ながら他の言葉もたどたどしく口にする。
「ムー……、す、き。ムー、あい、たい……」
「……マーヴェラ」
片言で話す彼女の言葉は、彼女自身の言葉ではないことが分かった。
マーヴェラが今話しているのは、生前リズリーが意図せず呟いていた言葉だろう。当時彼女の傍でそれを聞いていたマーヴェラが、意図せずその言葉を覚えたに違いない。
驚きに目を見開いたレルムだったが、やがて目を細めて笑みを浮かべると彼女の頭をもう一度撫でる。そして落ち着いた口調で静かに語りかけた。
「あぁ、そうだね……。大丈夫。私はここにいるよ、マーヴェラ。君が一人前に人として人の世界に生きられるようになるまで、私は君の傍にいる」
静かにそう語りかけると、それを理解したかのようにマーヴェラは撫でられる感触に安心感を覚えながら目を閉じた。
「私だけじゃない。彼女も、きっと君の傍に……」
そう呟いて、レルムは無意識にも小さくため息を吐いた。そして立ち去った扉を振り返りながら意図せず物憂げな表情を浮かべると、マーヴェラはそんな彼の姿をじっと見上げていた。
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