第98話 遺された願い

 マーヴェラを抱きかかえ、部屋を出たレルムは彼女を一度安全な場所へ避難させるべく元来た道を戻り始める。

 しっかりとしがみつくマーヴェラは小刻みに体を震わせ、何かに怯えているようだった。

 レルムはそんな彼女を落ち着かせる為に、ぎゅっと力を込めて抱きしめる。

 マージ兵の亡骸を横目に長い廊下を駆け戻りロビーまでやってくると、緊急時の救護担当となっているヴァンディと出くわした。

「ヴァンディ! 良かった。すまないがこの子を安全な場所まで連れて行ってくれ」

「あ、は、はい!」

 駆け寄ってきた彼にマーヴェラを託そうとすると、彼女は力を込めてしがみつき一向に離れようとしない。

 困り果てたレルムはその場にしゃがみこむとマーヴェラの頭を撫でながら、静かに語りかける。

「マーヴェラ。今は君を危ない目に遭わせる訳にはいかないんだ。後で必ず会えるから、今は彼と一緒に安全な場所まで行けるね?」

 しかしマーヴェラはしがみついた手を一向に離そうとしない。

 怯えている内は心を許せる相手から離れたくないと思う気持ちは分からない訳じゃない。だが、それでは先に進む事が出来ないまま終わってしまう。

 レルムははめていた白手袋を外すと、それをマーヴェラの前に差し出す。

 何か一つでも自分に関わる物を持つことで納得してくれるかもしれない。そう思っての行動だった。

「私の手袋だ。これを君に託そう。私が戻ったら返してくれるね?」

 すると、マーヴェラはしがみついていた力を緩め恐る恐る顔を上げる。そして目の前にあるレルムの手袋を見つめ、手を伸ばすとぎゅっとそれを握り締める。

「……いい子だ」

 レルムは優しく微笑みかけてマーヴェラの頭を撫でた。そしてレルムはゆっくり立ち上がると彼女をヴァンディに託し、再び鞘に収めた剣を引き抜く。

「レルム様、マージ王は……」

 マーヴェラを抱き抱えたヴァンディが訊ねると、レルムは真っ直ぐに彼を見つめ返した。

「検討はついた。マーヴェラを連れて行くまでの間に会った兵たちに、中庭の女神像まで来るよう伝令を頼めるか?」

「分かりました。気をつけて下さい」

 ヴァンディに見送られ、レルムは中庭を目指して走り出した。

 胸元のポケットに入れた手紙がカサカサと音を立て、レルムはその手紙の入ったポケットにそっと手を当てる。

 手紙は、リズリーが遺した最後の願い。必ずしもデルフォスの人間に届くとは限らない、危険な可能性の方が明らかに高かったであろう手紙だった。



『この手紙を見つけた人へ、私の願いを託します。

 おそらくこれを読んでいる時、私はここにはいないと思います。あなたがこれを読んでいると言うことは、たぶん、この国が窮地に立たされている時でしょう。

 この国を窮地に追いやれる国はデルフォスだと思います。そしてこの手紙を見つけた人が私の愛する故郷、デルフォスの人であると信じています。


 敵国側である私の願いをあなたが叶える義理は何も無いでしょう。私はあなた方にそれ相応の事をしてきているのですから……。

 でも、どうか、あなたに一欠けらでも情けがあるのなら、私の願いを聞き届けてほしいのです。

 私は昨年、遠征先の森である少女に出会いました。

 私は彼女を育てる事に決め、誰にも知られる事無く連れ帰り、“マーヴェラ”と言う名前を授けました。

 彼女は野犬に育てられた野生児です。言葉も話せません。食べ物も私達と同じ物を食べる事はできず、生肉ばかりです。

 人として生きる事はまだできません。言葉はこの1年の間に少しは理解出来るようになりました。そして私の事も匂いで分かってくれるようになりました。

 彼女に罪はありません。差し出がましい願いであることは承知の上です。どうか、これを読んでいるあなたに、彼女を守って貰いたいのです。

 これから生きていく上で必要な知識と教養を……人として生きる術を教えてあげて欲しいのです。惜しみない愛情を注いであげて欲しいのです。

 私にはたぶん、それを成し遂げる事は出来ないと思います。


 この願いを聞き届けてくれるあなたに、この国の重要秘密を教えます。

 危険が及んだ時、国王は中庭の女神像の地下に身を潜め、敵国が諦めるのを待つようになっています。


 あなたの良心が、私の願いに応えてくれる事を信じて……。


 リズリー・ガモンズ』

 

 切なる彼女の最後の願い。それを聞き届けてやらなければならない、そんな気がした。

 息を荒らげ、ひっそりと静まり返った中庭まで駆けて来ると大きな女神像が一体、不自然なほどに立っている。

 レルムは女神像に手をかけ、ぐるりとその周りを回ってみる。こうしてみると不自然に立ってはいるものの別段おかしなところは見られない。だが、下を見ると僅かに地面の上を擦ったような跡があるのに気がついた。

「……手が込んでるな。悪名名高いマージ王らしい」

「レルム様!」

 部下達が数人駆けつけると、レルムは彼等に声をかける。

「手を貸してくれ」

 兵士と共に女神像を正面から押すと、地響きのような音を立ててゆっくりと動き出した。そして徐々に現れたのは地下へ続く階段。

「ここに、マージ王が……?」

「あぁ。行くぞ」

 レルムは剣を握り直し、兵士が携帯していた松明に火を灯して先陣を切って階段を降りていく。兵士もレルムに習い後に続いて降りる。

 中は非常に暗く、ごつごつとした岩肌が剥き出しのままのトンネルが続いていた。地面には滲み出した水が溜まり、足場はかなり悪い。

 松明で地面を照らすと、確かにここを通った足跡が見て取れる。

 どこまで続いているの変わらないトンネルを注意深く進んでいくと、最深部に木枠の扉が一つ現れた。

「……」

 レルムは目配せをし、扉に背を預けて身構える。兵士の一人が慎重に扉のノブに手をかけ、そして思い切り扉を開くと中に駆け込んだ。

「なっ!? なぜここがっ!?」

 部屋の中には供もつけていないマージ王が一人、みすぼらしい木椅子に腰を下ろしてろうそく一つを灯して座っていた。

 レルムはそんな彼の前にゆっくりと歩み出ながら剣を握り締めた。

「マージ王……。総指揮官と言う任を担いながらのこのこと一人で身を隠すとは、随分なご身分だな」

「お、お前はデルフォスの……っ。そうか、リズリーの奴め。デルフォスとは手を切ったと言いながら、死して尚わしを騙し続けていたのだな。そうでなければこの場所が知られる事はまず無い」

 その言葉にピクリと眉が動く。握っていた剣をきつく握り締め、レルムはいつになく冷たい眼差しでマージ王を睨みつけた。

「お前がこれまで行ってきた事を、デルフォスだけじゃなく敵国に回した全ての国の人々は許す事はしないだろう」

「ほう、ではどうすると? このわしを殺すのか」

 そう言いながら、マージ王は傍に置いてあった剣を握り締める。しかし、小さく震えているのにレルムは気がついた。

 なるほど、戦に慣れていないと言う噂は本当だったらしい。だから自分だけが助かればいいと逃げるようにここへ駆け込んだ事も頷ける。

「国として王の居ない国は長くは続かない。戦が起これば先ず始めに、国王を避難させるべきは当然の事だ。しかし、お前は指揮を執る事もせず戦が始まってすぐに自らここへ逃げ込んだんだろう。国の外にいた兵も城の内外にいた兵も、指揮者不在の状況に振り回されほとんどが倒れた。お前は味方をも見捨てた事になる。味方も逃げ場も無いこの場で、お前に勝ち目はない」

 レルムは手にした剣を振り翳すと、マージ王は握っていた剣で避けようと身構えた。しかし、マージ王の剣はあっけなく弾き返され、椅子から転げ落ちたマージ王は腰が抜けた様子だった。

「ま、待てっ! 頼む! 待ってくれ!」

 あえなく追い込まれたマージ王はじりじりと後ずさりながら必死になって声を上げた。しかし、レルムはそんな彼を一歩一歩追い込んでいく。

「……全てを終わりにする」

 静かにそう告げると、レルムはもう一度剣を振り上げた。

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