第99話 平穏……?

 レルムが遠征から戻ったのは、マージ王を討ってから二週間後の事だった。

 デルフォスではマージ王国崩落の連絡を受けてからは、これで本当の意味での平穏を取り戻せたのだと国全体でその喜びを分かち合った。

 何ものにも怯える事無く、これから先、安寧の時を刻める事を誰もが喜んでいる。ただ一人を除いては……。

「……」

 リリアナは、複雑な表情を浮かべながらふてくされたように、自室の机に紙とペンを置いたまま、頬杖をついて窓の外を見ていた。

 そんな彼女を少し距離を置いた場所から見ていたドリーは、遠慮がちに小皿に載ったお茶菓子と淹れたてのハーブティを持って恐る恐る近づく。

「あの……リリアナ様?」

「……うん、何?」

「お茶が入りましたわ」

「……そこに置いといて」

 落ち込んでいるような空気の重たさの中、抑揚のない返事を返してくるリリアナにドリーはただ戸惑っていた。実際、リリアナは今とても言葉で言い表せないほど複雑な気分だ。

 怒りたいのか落ち込みたいのか、はたまた喜びたいのか泣きたいのか……。全く持って自分でも良く分からない。 だた、出来る事なら、あの時の浮き足立った時間を返して欲しいぐらいだ。

 そう思うと、やはり自分は怒りたいのかもしれない。怒って泣いて喚きたいのかもしれない。だが、そんな事をしてみたところで、駄々を捏ねる幼子のようでみっともなくて出来るはずもなく……。

「リリアナ様……大丈夫、です?」

 遠慮がちに声をかけると、リリアナはドリーを振り返る事無く呟いた。

「……分かんない」

 分からない。これが今言える真実だった。

 深いため息を吐きながら、頬杖を外してドリーを見上げ、リリアナはむくれた表情で口を開いた。

「レルムさんが帰ってきてくれた事は凄く嬉しいんだけど、でも、それだけじゃなかったんだもん」

「それは……確かにそうでしたけれど……」

「今回の事は仕方がないんだって、分かってるんだけどさ……」

 リリアナは再び頬杖をついて、机の上に投げ出していたペンを手に取ると置いてあった紙にグルグルと落書きをし始めた。




 彼女がこうなった理由は、つい先日。レルムがマージから帰還してすぐの事だ。彼の帰りを待ち焦がれていたリリアナは、ポルカやガーランド、新大臣のバッファと共に謁見の間で彼が現れるのを今か今かと落ち着きなく待っていた。

 もう二人きりで逢う事は出来ないからと言われていた以上、逢える場所はこういう所しかないと浮き足立った気持ちで椅子に座っていた。

「……リリアナ。もう少し落ち着きなさい」

 ポルカの目に余るほど、この時のリリアナはソワソワしていたのだろう。

 落ち着きない様子はポルカにもすぐにバレてしまい、それを聞いていたガーランドがニッコリと笑いかけてくる。

「マージが崩落し、これでようやく本当の意味で平穏な時間が過ごせるのだ。それは嬉しいに決まっている」

「え……あ、はい、そうですね」

 こうしてソワソワしてしまうのはレルムに逢えるからだとは言えず、リリアナはせめてガーランドにはバレないよう懸命に取り繕いながらそう答えた。

 その様子を見ていたポルカも、困ったように微笑みながら頷いて見せた。

「失礼致します」

 その時、謁見の間の入口から聞きなれた声がかかり、ゆっくりと扉が押し開かれる。

 リリアナはやっと待ち望んだこの瞬間に目を輝かせ、靴音を響かせながら入ってくるレルムに目を向けた。

「……」

「……」

 現れたレルムに対し、そこにいた全員が一瞬言葉を失ってしまう。それもそのはずだった。見た事もない子供を連れて現れたのだ。

 彼に手を引かれて現れた汚れたクセの強い赤毛をした子供は、立ち止まったレルムの足にしっかりとしがみつき、落ち着きない様子でキョロキョロと周りを見回して警戒心を露にしていた。

 思いもしなかった登場にどう声をかけて良いのか戸惑いの色を露にしていたポルカが、固まってしまったリリアナとガーランドに代わり口を開く。

「……よく、戻ってきてくれましたね。マージ崩落の話はすでに聞き及んでいます。本当にご苦労様でした」

「勿体無いお言葉です」

 そう言いながら、レルムは小さく頭を下げる。その間も子供は、ジッと食い入るように玉座に座るポルカ達を見つめていた。

「それで……レルム? その子は?」

 子供の眼差しを受けて、ポルカが恐る恐る訊ねると、レルムは僅かに険しい表情を浮かべる。

「そのことですが……」

 ポルカの言葉にレルムは真っ直ぐに見つめ返しながら、マージであった出来事を包み隠す事無く全てを話し始めた。

 子供の名前がマーヴェラと言う事。彼女は一年ほど前にリズリーに保護された野生児であること。言葉も話せないことなど、全て打ち明けた。

 話を聞いたポルカも、複雑な面持ちで隣に座っているリリアナを見ると、リリアナはまるで時が止まってしまったかのように微動だにせず固まってしまっていた。

 そんな中、一通りの話を聞いたガーランドは、事態を把握し深いため息を一つ吐いた。

「では、その少女はそなたの養女になると言う事だな?」

 養女になる、と言う言葉に、リリアナはピクリと反応を示した。

 マーヴェラを養女にすると言う事は、レルムは未婚の父になると言う事。もうそれだけで言い様のないショックを受けてしまった。

 先ほどまでの浮き足立った気持ちはどこへやら、頭の中は真っ白になってしまい思考が停止する。

 レルムはガーランドの言葉に対する返事に詰まったが、事実、彼女を守り育てていくと言う事はそう言う事になる。ただ、リリアナの手前ハッキリと養女にするとは言いにくかった。だが、人一倍責任感が強いレルムには、今更他の誰かにマーヴェラを託すと言う選択肢はない。

 真っ直ぐにリリアナを見つめ返したレルムは、静かに口を開いた。

「まだ、正式にマーヴェラを私の養女にするかどうかは、正直決めかねています。ですがこの子を守ると決めた以上、私が親代わりになる覚悟は出来ています」

 精一杯の言葉でそう応えると、ガーランドは深く頷き返した。

「そうか……分かった。ならばその少女の為に、城の者にも面倒を見させるとしよう」

「ありがとうございます」

 ガーランドは納得したようにそう答えると、レルムは深々と頭を下げその場を後にした。

 リリアナはそんな彼の後姿をただ呆然と見送る事しかできなかった……。



 それから後の事は、正直あまり覚えてない。

 あまりにショックが大きすぎて、おそらくはドリーに支えられるようにしながら自室へと戻ってきたのだろう。その後の夕飯をちゃんと食べられたかどうかも良く分からず、眠れたかどうかさえ分からない。そのままその日一日を終えて、今に至っていた。

 リリアナはドリーの淹れてくれた紅茶を口に含み、深いため息を吐く。

「……養父になるって事はあの子のお父さんになるって事でしょ? 結婚もしてないのに子供だなんて……。一言くらい相談があっても良かったのに」

 ふてくされたまま呟いて見たものの、相談など出来るはずもないと言う事は自分でも良く分かっていた。相手は戦地にいて、自分はここにいたのだ。そもそも、お互い恋仲ではあっても、それは世間一般的に認められる仲じゃないのだ。

 状況的に仕方がなかった。そう思って諦める事も確かに一つの手段だろう。だが、そう割り切って考えられるほど今起きている事は簡単じゃない。

「あたし、どうしたらいいんだろうなぁ……」

 持っていたペンを置き、机に突っ伏してリリアナは溜息を吐きながら、悩んでいた。

 きっと自分が戦地に行っていたとしても、やはりレルムと同じ行動を取ったことだろう。別段その事に後悔をすることもなく、迷いなく保護するに違いない。しかもそれが、今は亡き人の遺された最後の願いだと分かれば尚の事だ。

 そう言う気持ちはとてもよく分かる。そして不遇な星の元に生まれてしまったその子のために、きちんと人として生きていけるようにしてあげようと、自分も考えるだろう。

 保護した以上、責任は保護した本人にある。連れ帰るだけ連れ帰って、右も左も分からずに自分だけに懐いて離れないその子を、他の人に丸投げにすると言うのも無責任と言うものだ。

「……」

 自分の腕を枕にして、ぼんやりと考えていたリリアナは何度吐いたか分からない溜息を吐いた。

「……分かってるのに、凄く、複雑な気持ち」

 ボソッと呟いた言葉に、ドリーは口を開いた。

「分かりますわ。今まで自分一人だけに向いていた相手の気持ちが、他の誰かのところへも向いてしまう事が嫌なんですのよね」

「……え?」

「リリアナ様。それ、嫉妬って言うんですわ」

 真面目な顔でそう言い切ったドリーを、リリアナは顔を上げて見つめ返した。

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